第14話:SideGM 数秒遅れの死



 モニター越しに眺めていた観客達はこの展開に瞳をぎらつかせている。

 久我銀丈の裏切り、そこから殺されかけた八幡流星が土壇場で彼を粉砕機へと落とした。やはり久我銀丈が前回のゲームでの裏切り者だったと一部は己の予想が当たったと喜び、一部は自身も騙されたと感心の表情を浮かべる。

 そこから更に久我銀丈が道連れを謀るのだ。死を目前にしながらも生にしがみつき、それどころか全員死ぬのが嫌ならばゲームをクリアさせろと訴える。


 二転三転する展開に観客達はモニターに釘付けである。

 ゲームマスターもまた今回は面白い流れだと手元のタブレット端末を眺めていた。果たしてここからどうなるのか、さすがにタイムアウトで全員死亡とはならないだろう。

 四人が手足を切って粉砕機に投下するのか、それとも久我銀丈が制限時間前に力尽きて落ちるか。稲見メグを投げ入れはしないだろうが、もしもそうなったら観客達は予想外の展開に大喜びするに違いない。


「あの男が無様に命乞いをして死ぬ様を見たいけど、あの男が生き残った方がゲームが面白くなりそうだわ。それに、もっと苦しんで惨めったらしく命乞いしてくれないと」


 猿渡夫人が欲を隠さぬ声で話し、親ほど年の離れた夫にしなだれかかった。

 その顔は一目で欲情していると分かる。赤い舌でちろりと唇を舐め上げ、熱っぽい吐息を漏らす。ここが二人きりの空間であったなら今すぐにでも密事に及んでいただろう。

 彼女は知的な男が無様に命乞いをし、生にしがみつきながら死んでいく様に興奮する質だ。とりわけ若くして人生に成功した、いわゆる【勝ち組エリート】と呼ばれるような井出達の男ならば尚更。

 久我銀丈はまさに彼女の好み通りで、そしてこの流れも理想そのものだ。興奮しないわけがない。

 夫も妻の趣味を十二分に理解しており、欲情する妻を自身もまた欲の強いぎらついた目で見ている。


「落ち着け、いまはゲームの続きだ」

「えぇそうね。私ってばつい興奮しちゃって」


 夫妻が交わしているのはただの会話だ。卑猥な単語一つとして口にしていない。

 それなのに表情や声から卑猥を通り越した下品な雰囲気が付き纏う。

 だが先程の忠告もあってかこれ以上の行為に進む気は無いようだ。なにより今は密事に及ぶよりもゲームである。

 猿渡夫妻が改めてモニターへと視線をやった。



 ◆



 久我銀丈の道連れ発言により、場の優劣は歪んでしまった。

 明確な危機的状況にあるのは変わらず久我銀丈一人だ。僅かにでも足を滑らせようものなら一瞬にして粉砕機に巻き込まれ、足元から歯車に押し潰されて十五キロの肉塊にされる。

 だが彼がこのまま残り時間を耐えきれば小型爆弾が作動し全員が脱落となる。


 一人で死ぬか、道連れに死ぬか、久我銀丈は後者を取った。

 彼が選んだ最悪な結末から逃れる方法は一つ。高みにいる四人がゲームをクリアするしかない。


「さっさと手足切るなり、そのガキ投げ入れるなりしろ!!」


 久我銀丈の怒声が続く。

 それを聞き動き出したのは八幡流星だ。「待ってろ」と誰になのか一言告げて下がっていく。

 彼はそのまま覚束ない足取りで武器を集めている場所へと向かうと徐にスカジャンを脱ぎだした。下に着ているのは黒一色のシャツ、鍛えているのだろうしっかりとした身体つきが陰影の着きにくいシャツながらに分かる。

 そのまま八幡流星は刃物と鈍器をまとめてスカジャンで包みだした。袋代わりにして全て入れ終えると再び粉砕機の元へと戻ってくる。


「八幡さん?」

「俺がやる。見たくなけりゃ離れてろ」


 低い声で八幡流星が告げる。覚悟の決まった声だ。

 彼の纏う空気から何をするか察したのか、日下部春樹と常盤紅子が息を呑んだ。常盤紅子が自分にしがみつく稲見メグの肩に手を置く。

 だが誰一人として下がろうとしない。そこにもまた決意があるのを察し、八幡流星が一度だけ頷いて返した。

 そうして刃物が入ったスカジャンを両手で持ち、穴の縁に立つ。底に居る久我銀丈には今まで何があったのかは分からず、八幡流星の手元に視線を向けると怪訝な顔で何かと尋ねてきた。


「そ、それは……、なにを……?」

「……悪いな、もう時間が無いんだ」

「は……?」


 久我銀丈が疑問の声を漏らしたその瞬間、八幡流星が持っていたスカジャンの端を掴んで広げた。


 中に入っていた刃物や鈍器が落ちる。

 刃零れしたナイフ、錆ついた包丁、アイスピック、欠けた金槌……。他にもあるが、どれも等しく手荒に扱ってはいけないものだ。

 そんな危険な武器が瞬く間に穴の中に落ちていく。


 穴の底にいる久我銀丈を目掛けて……。


「やめっ、たすけ、ぎゃ、あぁぁあ!!!」


 命乞いと悲鳴が混ざり合った断末魔が久我銀丈の口から溢れた。

 体勢を崩せば粉砕機に巻き込まれるため碌に己を庇う事すら出来ず、頭上から降り注ぐ凶器を無抵抗で受けるしかない。

 包丁が彼の顔を切り裂き、アイスピックが肩に深々と刺さる。バールが壁にしがみつく手を直撃し、大振りのナイフが片腕を切り裂いていく。

 次いで響くのは落ちていった凶器が歯車に巻き込まれてひしゃげ砕ける音。容赦なく砕き巻き込んでいく様はまるで怪物が租借しているかのようで、豪快な音と合わせて機械の強さを訴えてくる。

 その音にいよいよをもって己の死を感じ取ったのか、先程までは憎悪の色を宿していた久我銀丈の顔が一瞬で恐怖に染まった。


「ひっ、い、いやだ! 死にたくない!! 死にたくない!!」

「……一つ忘れもんだ」

「助けてくれ、何でもするから! 助けて……っ」


 久我銀丈の命乞いが停まった。

 彼の目が恐怖で大きく見開かれる。

 その瞳が向かうのは頭上に立つ八幡流星。そして彼の片手にある……、


 大振りのサバイバルナイフ。


 転がっていた刃物の一つ。

 そして、八幡流星の喉を潰すために使い、抵抗する彼を散々痛めつけた凶器。

 手に持つ八幡流星の瞳は酷く冷たく、己の喉を潰した柄を握り刃を下に向けている。まるで久我銀丈の顔に落とすためのように……。


「まっ……!!」


 待て、か、それとも、待ってくれ、か。この状況下なので待ってくださいと懇願しようとしたのかもしれない。

 だがその言葉もまた途中で止まった。

 八幡流星の手からナイフの柄がするりと抜けていく。サバイバルナイフが垂直に吸い込まれるように穴に落ちて行き……、


 トスン、と久我銀丈の左目に突き刺さった。


「がっ、あっ、あぁああ!!」


 獣の咆哮のような断末魔を上げ、耐え切れずに久我銀丈が反射的に体を逸らした。その右足がずると床を滑る。

 彼の体が大きく揺らぎ、そして粉砕機という化け物の口に足を捕らえられるのはあっという間だった。一瞬、誰かが「あ、」と小さな声を漏らすだけの僅かの間。

 次いで、先程よりもいっそう激しい悲鳴が周囲に満ちた。


 聞くに堪えない悲鳴、粉砕機の稼働音、噛み合う歯車が何かが潰す音……。


 一分ほどその音が周囲を占め、緩やかに静まっていった。

 ヴンと小さな音をたてて粉砕機が止まる。


「……久我さん」


 小さく名前を呼んだのは日下部春樹だ。

 眉間に皺を寄せて視線をそらす、彼の表情には嫌悪の色がありありと浮かんでいる。常盤紅子は顔を背け、しがみついていた稲見メグは彼女の腰元に顔を埋めて眼下の光景を拒否していた。

 唯一直視している八幡流星でさえ見る事が辛いと目を細めている。


 それ程までに陰惨な光景なのだ。


 鉄製の歯車は血で染まり、血と肉片があちこちの凹凸こびりついて粘ついた糸を引いている。

 ピチ、ピチ……と聞こえるのは血が滴り落ちる音か。それとも噛み合う歯車に付着した肉片が引き剥がされる際にたてた音か。

 粉砕機という化け物の口の中は赤黒く染まっており、そして中央には……、人の姿があった。


「……あっ、がっ」


 ビク、ビク、と体を振るわせ、噛み合う歯車から上半身だけを出した久我銀丈が体を揺らす。

 まるでそこから生えたかのように。もしくは埋まったかのように。

 腿の半分から下を歯車に食われたまま、それでも彼は生きているのだ。

 ……辛うじて、と言えるが。

 最早憎悪の言葉も命乞いの言葉もなく、だらしなく開かれた口からは声とも言えない音と血を零す。

 片目をサバイバルナイフで潰されてもなお瞳は真っすぐに頭上を、数分前までは立っていた数メートル先へと向けられている。だがその瞳に光はなく、見ているというよりは、眼球を動かすことも目を瞑ることも出来ないのだろう。


 ゲームの終了条件は粉砕機に十五キロを投下する事。そして粉砕機の下に設けられた測定器が十五キロを計測すると機械が止まる。

 たとえ歯車に絡めとられた人物がまだ生きていても、いっそ死んだ方がマシであろう苦痛の中に居ても、役目を終えた粉砕機は一ミリとて動かない。……動いてやらない。


「……最後にナイフの一本でも残してやれば良かったな」


 憐れみの色を交えた声で八幡流星が呟いた。

 久我銀丈に殺されかけ、逆に彼を死に追いやった。助けを乞われても応じはしなかった。

 だが流石にこの最期はあんまりだと考えたのだろう。なにせ、今だ久我銀丈に【最期】は訪れず、彼の体は不自然に跳ねているのだ。その動きは次第に弱まっているものの、完全にこと切れるまであと数十秒は掛かるだろう。


「これで次のゲームにっ……、っ、う、」

「八幡さん!」


 ぐらと体勢を崩しかけた八幡流星を日下部春樹が咄嗟に支えた。

 だが彼もまた前回のゲームで胸部を負傷している。自分より背が高く体躯の良い男を支え切れるわけがなく、二人の体が穴へと落ちかける……。

 次の瞬間、


「駄目!!」


 高い女性らしい声が響き、穴に吸い込まれかけていた二人の男の体が真逆の方向へと揺らいだ。

 常盤紅子が咄嗟に日下部春樹の腕を掴み、自ら倒れ込むようにして体重を掛けて二人を引き寄せたのだ。稲見メグも抱き着いて彼女を支えている。

 だが常盤紅子は日下部春樹よりも華奢な少女であり、当然だが倒れかけた男二人を支えられるわけがない。稲見メグも加勢しているが十歳に満たない子供など全体重を掛けても微力なものだ。

 それでも幸い穴に落ちる事は無く、四人の体がぐしゃと重なり合うようにしてその場に崩れた。

 各々が苦痛で呻く。とりわけ、二回のゲームで誰より負傷している八幡流星の呻きは痛々しい。だが穴に落ちるよりはマシだろう。


「あ、危なかった……。常盤さん、メグちゃん、ありがとう」


 尻もちをついたまま日下部春樹が礼を告げる。

 そんな彼に常盤紅子が安堵したように息を吐き、落ちなくて良かったと返す。

 そして稲見メグはと言えば、日下部春樹にしがみついたままじっとしていた。


「メグちゃん?」

「……メグ、いつも何も出来なくて、……ごめんなさい」


 謝罪する稲見メグの声は弱々しく、日下部春樹の服を掴む小さな手は震えている。

 突如理不尽なゲームに巻き込まれた恐怖、何も出来ずただ見ているしかない罪悪感。挙げ句さっきは久我銀丈に『ガキを粉砕機に投げ入れろ』とまで言われたのだ。それでも何も出来なかった。

 本等ならば背負う必要のない負の感情がこの小さな体に伸し掛かっている。

 そんな彼女の腕を日下部春樹がそっと擦って宥めた。


「メグちゃんが謝ることはないよ。メグちゃんは頑張ってくれてる。それに、今も僕達のことを助けてくれたんだし」


 落ち着くように諭せば稲見メグが俯いたまま小さく頷き、そっと離れる。

 その会話に激しい咳が被さった。咳き込んでいるのは八幡流星だ。辛そうに咳き込み、次いで痛みに呻く。


「八幡さん、大丈夫ですか!?」

「あ、あぁ……。問題ない。それより次の部屋に行くぞ。……時間が無い」


 苦し気な声で告げ、八幡流星がゆっくりと立ちあがると部屋の扉へと歩き出した。

 足取りは覚束ないが強い意思を感じさせる、むしろ気迫さえ感じさせる後ろ姿だ。

 稲見メグがその後を追いかける。八幡流星の隣について彼を見上げるのは幼いながらに心配しているのだろう。気付いた八幡流星が「心配するな」と掠れる声で返した。


「行こう、常盤さん」

「…………」

「常盤さん? どうしたの?」

「ねぇ、日下部君。これ……」


 常盤紅子が手のひらをそっと見せる。

 その手のひらにはまるでペンキを垂らしたかのような真っ赤な液体が付着していた。日下部春樹がぎょっとして大丈夫かと案じる。

 だがそれに対しての常盤紅子の返事は首を横に振る事だった。自分の血ではない……。


「さっき、二人を助けるために八幡さんの服も掴んだの。その時に、多分……」


 それ以上の言葉は伏せ、常盤紅子が次の部屋へと向かう八幡流星の背中を見つめる。

 日下部春樹もまた彼女に続くように視線を向けた。



 ◆



「久我銀丈、脱落です」


 モニターを背に立ち、ゲームマスターが第二ゲームの終了を告げた。

 だが観客達の興奮が落ち着く様子はない。

 とりわけ歓喜しているのは久我銀丈に賭けていた猿渡夫人だ。賭けには負けたが、久我銀丈の最期はよっぽど彼女を楽しませたのだろう。発情とさえ言える悦の表情を浮かべている。


「本性を出してそのうえで命乞いするなんて、無様過ぎて堪らないわ。それも止めを刺したのが自分が使っていたナイフでしょ? あぁ、なんて良いの。こういうのを求めてるのよ」

「ご満足頂けたようで幸いです」

「私が賭けた男が脱落したのは残念だけど、でも満足したわ。後は私も純粋にゲームを楽しませて貰うわね」


 この状況下、ひとが不条理に苦しみ死んでいく様を楽しむことのどこが純粋なのか。

 だがそれを指摘する者は居ない。観客達は誰もがみな猿渡夫人と同じ考えで、そもそも人が死ぬ不条理なゲームを観戦することも、出資することも、何一つとして悪い事とは考えていないのだ。

 金を払っているのだから楽しんで当然。自分達は【楽しむ側】なのだ。

 それを疑いもせず、観客達は優雅に酒と目の前の陰惨なゲームを楽しんでいる。


「まだ夫の賭けは生きてるし、それに男も二人残ってるんだもの楽しめるわ。特にあの止めを刺した男、面白い事になりそうじゃない。ああいう威勢の良い男が最期に醜く足掻く姿も好きよ。興奮しちゃう」

「……あれは僕が賭けているんですよ。いくら猿渡夫人と言えども、渡しませんからね」


 猿渡夫人の言葉に、観客席のソファにこしかけていた一人の男が口を挟んだ。

 スリムというには些か痩せすぎている、ひ弱な印象を受ける若い男だ。

 彼の口調は怒りを抱いているわけでも叱責するわけでもない。むしろぶつぶつと呟いているに近く、賑やかな場であれば聞き逃してしまいそうなほどだ。これに対して猿渡夫妻は楽し気に笑って返す。


 陰惨なゲームに反して、むしろゲームが陰惨であればあるほど、こちら観客側は穏やかで楽し気である。


 まるでその差を示すように、モニターの画面にはようやくこと切れた久我銀丈の惨たらし遺体が映し出されていた。


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