第5話:脱落者



 部屋の滞在時間は残り二分を切っている。


「次の部屋に移動した方が良さそうですね」


 とは、扉のノブに手をかけ、一同に声を掛ける銀丈。

 淡々とした口調ではあるものの声色は冷めきっており、理不尽なゲームに対しての怒りを感じさせる。流星のように怒りを露わにしないが、だからこその怒りのオーラというものもある。

 もっとも脳内での会話では『最初は何のゲームですかね? 誰が最初に死にます?』とノリノリなのだが。これは身内にしか分からない。


「……ねぇ」


 ふいに声を掛けてきたのは真尋だ。

 実際に声に出して皆に呼びかけ、次いで彼女はふらりと立ち上がると己の首に触れた。


「本当にこんなの小型爆弾信じてるの?」


 震える声で真尋が尋ねてくる。

 この状況も、そして首に埋め込まれたという小型爆弾も信じられないと言いたげだ。それでいて恐怖が胸を締めているのだろう、視線が力なく彷徨っている。

 ……もちろんこれは演技でしかない。


『私、一人目の脱落者になりたいわ。この首の小型爆弾ってやつを試してみたいの。ねぇみんな話を合わせてちょうだい』


 実際にはこのようにノリノリである。


『一人目の脱落者って、真尋さんはゲームには参加しないんですか?』

『私、体が無くなっても幽体になって意識が漂うだけからゲームは見守れるわ。それに見せしめに首が爆発なんて開幕の箔付けになりそうでしょ?』

『そう言う事なら話を合わせますけど……。どうやって爆発させるんですか?』

『安心して、私、演技には自信があるの。私ね、アカデミー賞を……』


 言いかけ、真尋がふっと視線を他所に向けた。憂いを帯びた表情。美しく、それでいて鬼気迫るものがある。

 脳内の彼女の話を聞けぬ者には残酷なゲームに参加させられ気が動転していると思うだろう。

 そして脳内の彼女の話を聞いた者には『まさか』という感情を抱かせた。

 まさか、彼女はアカデミー賞に名を連ねるほどの名女優だったのでは。そんな女優が若く無念の内に命を落とし、不条理さに地縛霊となったのでは……。


『真尋さん、もしかして貴女は……』

『私、アカデミー賞をオープニングアクトから見る女だから』


 堂々と力強く真尋が断言する。

 その言葉に誰もが言葉を失うが、真尋は動じることなく、それでいて表情はいまだ不安と躊躇いを残したまま「爆弾なんて嘘に決まってるわ」と演技を続けた。

 この温度差、さすがアカデミー賞をオープニングアクトから見る女である。演技力とはまったく無関係な気もするが。


「こんなの信じられない……。馬鹿みたい。爆弾なんてあるわけないわ。どうせあんた達もグルで、質の悪い冗談なんでしょ。どこかから私が怯えてるのを見て馬鹿にしてるんでしょ!」


 次第に語気を強めて真尋が声を荒らげる。

 狂気とすら感じさせる迫力だ。美しい真尋の顔が疑惑と憤怒に歪む。

 そんな真尋の返事は、無情に響く電子の声だった。


 残り、一分です。


 まるで時報のように単調な声。

 春樹がはっとしてモニターを見れば、映し出される数字は0:59、0:58……と無情に時間を刻んでる。


「とにかく次の部屋に行くぞ。話はそれからだ!」


 流星が声を荒らげ、次の部屋へと続く扉を開ける。

 彼が扉を押さえている間に、春樹は次の部屋へと滑り込むように入った。銀丈がそれに続き、紅子がメグの手を繋いで扉を抜ける。

 だが真尋だけは部屋の中央に佇んでいた。残り時間を示すモニターに向けて「ねぇ!」と声を荒らげる。


「ねぇ、見てるんでしょ! もう分かってるんだから早く種明かしして私達を外に出してよ!」/『残り三十秒よ。やだ、ドキドキしてきちゃった。こんなにドキドキしたの生きてた時以来だわ!もう覚えてないけど!』


 実際の声と脳内の声の温度差をより激しくしつつ、真尋がモニターに向けて訴える。

 問いかけは次第に罵声染みたものに変わり、表情も険しく変わっていく。最初に受けた穏やかで優しそうな女性といった印象はもう無く、まるで憎悪をぶつけるかのような形相だ。

 春樹達は扉にしがみつくようにしてそんな真尋を呼んだ。


「早く」「良いからこっちに」と声を荒げ、春樹は言葉だけでは足りないと扉の縁を掴んで身を乗り出すと手を伸ばした。部屋の中央に立つ真尋には届かないが、いつ彼女の気が変わっても直ぐにこちらに引き寄せてやれるようにだ。

 もっとも、『残り二十秒!』とウキウキでカウントダウンする脳内の彼女の声を聴くに、気が変わる可能性は無さそうだが。

 そんな脳内とは逆に室内は鬼気迫る空気が占め、紅子が悲痛な声で真尋を呼び、メグは怯えの表情で紅子にしがみついている。


 モニターの数字は既に10を切っている。

 カウントダウンの盛り上げのつもりなのか、数字だけでは足りずに数字が刻むのと同時に電子音までしだした。

 無機質な音。頭の中に響き渡るかのように感情を昂らせる。心臓が鷲掴みにされるような苦しさを覚えて、春樹は関節が痛みかけないほどに手を伸ばして真尋を呼んだ。


「こっちに来てください! 早く!!」


 9、8、


「これはテレビ!? それとも動画で配信しようっていうの!」


 7、6


「早くこっちに来て!ねぇ!!」

「そうだ、とにかく来い。話は後で聞くから!!」


 5、


「どこかで私達のこと見て笑ってるんでしょ! 出てきなさいよ!」


 4、


 真尋を呼ぶ声、怒声、そして電子音が重なる。……脳内では真尋どころか全員のノリノリのカウントダウンも始まっているが、それはこの室内には響いていない。

 先程までの沈黙が嘘のように室内が騒がしくなり、そして……、


 ピーーーー、


 耳を傷めそうなほどの高い電子音がそれらの音すべてを掻き消した。

 説明されずともタイムリミットを知らせる音だと分かる。分かってしまう。モニターを見れば数字は0:00を映したまま制止していた。


「峰真尋さん、ゲーム放棄により脱落です」


 聞こえてきたのはゲームマスターの声だ。

 その声に触発されたのか真尋の表情が一層険しくなり、落ち着いた女性の柔らかさも失い、目を大きく見開いて激昂を露わにした。


「ふざけないで! 私はこんな悪ふざけに屈したりっ……」


 真尋の言葉が途中で止まる。

 その瞬間に聞こえてきたパンッという音は、さながら風船が爆ぜたりクラッカーが破裂するかのように一瞬のものだった。

 奇妙な沈黙が室内を包み込む。

 次いで真尋の首がぐらりと揺らぎ、大きく右に傾けられた。長い髪がはらりと落ちて春樹達の視界に彼女の首筋が露見される。


 ……その白い首筋にはぽっかりと親指程の切れ込みがあり、次の瞬間、白い肌すべてを塗りつぶすように赤黒い血が溢れ出した。


 白いワンピースはすぐさま赤く染められ、体が斜めにバランスを崩したかと思えば大きな音を立てて床に倒れ込んだ。

 コンクリートの床に真尋の細い体が叩きつけられる。受け身を取る事はおろか腕で庇うこともせず、美しかった顔も容赦なく床に打ち付け不自然に一度首だけ跳ねた。

 首筋からの血が衝撃を受けて周囲に散らばり、真尋の体の下に赤黒い血だまりを作っていく。

 数秒遅れて春樹の鼻にむわと籠るような鉄の匂いが纏わりついた。粘っこい、鼻の奥にこびりつくような血の匂い。生温いと感じたのは籠る血の匂いか、それとも伸ばしていた手に血が掛かったせいか。


「そんな……」


 目の前で人が死んだ。

 まだ出会って数十分でしかないが、それでもつい先程まで目の前で話をしていた人が、今は無惨な亡骸となって血だまりの上に横たわっている。

 白かった首筋は血で真っ赤に染まり、抉れるように開いた傷痕は赤黒い血濡れの断面を露見させている。陰惨としか言いようのない姿。

 爆ぜたのは首の一部だけだ。範囲だけならば親指程度か。だがその深さと、首筋という致命的な場所、なにより真尋の体の下に広がり白かったワンピースを赤く染め上げる出血の多さが、彼女の死を物語っている。



 脈をとって確認せずとも分かる、峰真尋は死んだ。



 もっとも、


『あ、良かった。倒れる時にスカートが捲れたらどうしようかと思ってたけど、見えてないみたいね』


 平然と頭の中で話し始めるので、正確に言えば『峰真尋の肉体は死んだ』というべきか。否、もっと詳しく言うのであれば『ずっと昔に死んでいる峰真尋の一時的に顕現させた肉体は死んだ』である。もはや死ではなく破損という表現の方が正しいのか。

 なんにせよ、目の前で真尋の肉体こそ死んだものの、彼女の意識はしっかりと残っていて頭の中で話をしている。曰く、今の彼女は元々の幽体となって自分の亡骸の上に浮かんでいるらしい。その光景は生憎と春樹達には見えないがさぞや恐ろしいものだろう。


「そんな、さっきまで話してたのに、どうして……」/『それにしても真尋さん、演技凄かったですね。僕もつい当てられて手を伸ばしちゃいましたよ』

「酷い、なんでこんなことに……。もうやだよ……」/『ね、私もなんか感化されて声あげちゃった。これがアカデミー賞をオープニングアクトから見る女性の演技力なのね』

「あれと同じ爆弾が全員に着けられてるってことかよ、冗談じゃねぇ。ふざけんなよ」/『本当にすまない……、申し訳ない……俺、一瞬だけ下着見た……』

「とりあえず首の小型爆弾が本物ということは分かりましたし、今後はあのゲームマスターとやらの指示に従ったほうが良さそうですね」/『わー、流星さんのスケベー!』

「……怖いよぉ、お父さん、お母さん」/『流星のすけべー』


 各々が死を目の前に突きつけられた憐れなデスゲーム参加者を演じつつ、脳内では好き勝手に話す。

 相変わらず温度差はあるものの、存外に慣れるものだ。最初は頭の中に話しかけられる事に違和感しか無かった春樹も今やすっかりと慣れてしまった。


「……とりあえず、ゲームが何かを見てみましょう。多分、この部屋にも長くはいられないはずですし」/『ゲームって何をするんでしょうね。次は誰が死にましょうか』


 実際の声では怯えを含みながら、脳内では少しテンションを上げながら、春樹が声を掛ける。

 これに対して、四人は不安と躊躇いを露わにした表情で頷いて返しつつ、脳内ではやはりやる気に満ちながら楽しそうな返事を返してきた。


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