第8話 婚約破棄

「今日は告知したいことがあって、集まってもらった」


 王太子マーカスの言葉にざわざわと講堂に集まった学生が騒ぎ出す。

 突然、午後の授業が休講になり、学生全員に集合がかかった。内容も知らされないまま講堂に集まった生徒の前で、王太子マーカスが講壇に立ってそう言ったのだ。


「私、マーカス・サンゼルは、シャローン・ルベルトとの婚約を破棄し、レジーナ・ダンティールを新たな婚約者とする」


 王太子の婚約事情、いくら次に国を担う王太子の事とはいえ、学生の前でわざわざ宣言することではない。しかし、集まった学生たちの多くはそんなことを判断することができないほど混乱していた。

 それまで一定の距離を保っていたマーカスとシャローン。しかし最近は仲睦まじい関係を生徒の前で見せていた。

 よくいえば天真爛漫、悪くいえば奔放なレジーナ・ダンティール男爵令嬢に言い寄られていても、マーカスの対応は変わらなかった。なので、レジーナという邪魔者が二人の関係を近づけたのでは、と噂されるくらい、マーカスとシャローンは上手くいっているように見えていた。

 それで今日の婚約破棄宣言である。

 学生たちは信じれない気持ちで、それぞれの憶測を友人たちに話し、王太子がまだ講壇に立っているにも関わらず、がやがやを騒ぐ。


「静粛に!」


 マーカスが一喝して、生徒たちは我に返り話をやめる。講堂は静まり返り、彼は満足したように微笑む。


「レジーナ」


 王太子が甘い声で呼ぶのは、新しい婚約者のレジーナ・ダンティール。

 舞台の端に控えていたのか、彼女はすぐに学生の前に姿を現した。シャローンと異なり、豊満な女性らしい体型をした愛らしいレジーナ。女子生徒には嫌われていたが、男子学生の中では彼女に声をかけられたいと思う者も多かった。

 彼女はマーカスの隣に並び、緊張しているのか、その宝石のような緑色の目を潤ませていた。

 マーカスは彼女の腰に手をやり、学生たちを見下ろす。


「シャローンは私に言い寄るレジーナに執拗な嫌がらせをしていた。彼女のものを破損したり、捨てたり。貴族令嬢として誇りもないのか呆れ果てた。それ故に彼女を守るため、シャローンの前ではレジーナとの距離を置いていたのだ。しかしシャローンは嫌がらせを続け、許容できない範囲まできた。階段から突き飛ばそうとしたり、窓から鉢植えを落としたり。命に関わることだ。それで私はシャローンに接近して、その口から事実を聞き出そうとした。彼女を断罪するために」


 マーカスは視線を学生たちから、舞台右のシャローンへ向ける。


「彼女は何も話さなかったが、私の愛しいレジーナを邪魔に思うのは婚約者であったシャローンだけだ。またハリソンはシャローンがレジーナを突き飛ばそうとしているのを見たことがあると言っている。そうだな」

「は、はい」


 舞台左、なぜかヨレヨレの学生服姿で、ハリソンが力なく頷く。


「シャローン。何か申し開きすることがあるか?」

「私は、レジーナさんに嫌がらせをしたことは一切ありません。階段から突き飛ばそうとしたなど、いつのことでしょうか?カルフォード様?」


 シャローンはマーカスの視線を真っ向から受け止めた後、ハリソンへ目をやる。


「あ、あの」

 

 ハリソンはうわずった声を上げるだけだった。


「王太子殿下。証拠もなく、私は自供すらしておりません。カルフォード様の供述も確かかどうか。この件、家に持って帰り、父と相談する所存です」

「好きにするがいい。私は何があっても君との婚約は破棄する。愛するのはレジーナただ一人だ」


 シャローンは令嬢らしい、美しい礼を取ると舞台を降り、講堂から去った。


 この講堂での婚約破棄騒動は、家に戻った学生たちによって社交界に一気に広まる。

 王太子が主張した嫌がらせは実際に起きていたが、すべてシャローンとは別の者が行っていた。娘に醜聞を立てられ、怒ったルベルト侯爵が王家に賠償を求めた。婚約はもちろん破棄である。そうして奔放な男爵令嬢との愛を「真実の愛」と言い続けた王太子は、王位継承権を失い、平民に落とされた。王妃はショックのあまり寝込むようになり、かつてマーカスが長らく暮らしていた王領地で静養することになった。

 空いた王太子の地位には、三年前までその地位にいた王弟セオドアがつく。そしてその婚約者には、王太子妃として教育を受けていたシャローンが選ばれた。

 マーカスを狂わせる原因ともなったレジーナの家はお取り潰し、家族ともども国外追放になった。

 これが一般的に知られている婚約破棄騒動の顛末である。




 離宮の一室で、ハリーと王弟改め王太子セオドアが酒を酌み交わしている。


「本当にこれでいいのか?」

「はい」


 ハリーは、セオドアの問いに迷うことなく答えた。

 アルメがハリソンに襲われる前、彼はセオドアの提案を受け入れた。しかし、彼の計画を少し変更してもらった。

 セオドアはハリーが本物のマーカスでないことに気づいており、独自に調べていた。学校にアルメが編入してから、シャローンも同様に調べていることを知り、協力することにしたそうだ。

 王妃の手元に自身の駒を入れ始め、掌握し、ハリーの両親の安全を確保した。その上、彼はハリーに協力を申し入れた。シャローンからアルメとの関係などを聞き、ハリーを敵ではなく協力者として引き込むことにしたそうだ。

 ハリソンがアルメを襲ったことは完全に王妃とは関係なく、セオドアとハリーたちの話し合いで影がアルメから離れている時に起きたことだった。

 

「君は、私のもう一人の甥でもある。困ったことがあれば頼りにしてほしい」


 セオドアがハリーを信じた理由、それはもう一つ。

 彼が本当にセオドアの甥であったからだ。

 ハリーは、王が愛した侍女の子であった。懐妊が発覚する前に、王妃によって侍女は国を追い出された。ダンゼルダに流れついた侍女は出産した後、亡くなったそうだ。ハリーがあまりにもマーカス、王に類似していたため、セオドアが調べ、見つけ出した事実であった。

 ハリーの願いで、これは王には伝えられていない。


「本当に、兄上に知らせないつもりなのか?」

「ええ、これ以上、この国を騒がせたくありません。もし、陛下が退位された後、暇をしていたらお知らせください」


 ハリーの言葉にセオドアは少し寂しげに笑う。 

 けれどもこのことは何度も確認しており、ハリーの意志は変わることはなかった。

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