うまくいかなくても

 夏休みが終わり、新学期が始まった。

 いぶきは学校が終わると急いで家に帰り、毎日リハビリと出来るトレーニングを一生懸命にやった。


 ケガをしてから3ヶ月後には折れた骨もくっついて、お医者さんにマウンテンバイクに乗ってもいいと言われた。ただ、まだ振動しんどうの少ない舗装路ほそうろだけにかぎられた。

 それでも外で自転車に乗れる事はうれしくて仕方なかった。


 こんなに長く乗れなかったのは初めてだけど、熱を出したり、ちょっとしたケガをして、1週間くらい乗れない事はあった。

 そして1週間くらい乗れなくても、すぐに普通に乗れるようになっていた。


 今回は3ヶ月乗れなかったけれど、他のトレーニングも頑張ってやっていたから、すぐに普通に乗れるようになると思っていた。


 しかし、その考えはあまかった。

 特に上り坂はぜんぜん気持ちよく上れなくなった。

 そしてお医者さんに舗装路以外の凸凹道を走って良いと言われた時、「ヤッター!」って喜んだのに、ぜんぜんうまく走れなくて打ちのめされた。


 こんなにも走れないなんて‥‥‥。

何がそんなに変わってしまったのだろう。ケガの前はどんなふうに走っていたんだろう。

わからない。

 あの頃のビデオを見たり、監督に色々アドバイスをもらっても、どうやったらそう出来るのかがわからない。


 いぶきは天才少女と言われていただけあって、努力してうまく、速く走れるようになった選手ではない。

 たいした練習もせず、あまり考える事もなく自分の感覚かんかくで走ってきた。


 うまくいっている時は調子にのってどんどんうまくいく。

 しかし、ひとたびそのバランスがくずれると、その修正法しゅうせいほうがわからなくなる。


 これがさだめなのか?

 だとしたら、天才とはなんてもろくてはかないものなのだろう。

 かつての天才少女の面影おもかげは消えていた。


 いぶきはなやんだ。

 いくら考えても、努力しても、以前のように気持ち良く走れなかった。



 それでもいぶきはあきらめない。

 東先生に言われた事をいつも思い出し、言い聞かせていた。


「うまくいかない事もいっぱいあると思うけど、いぶきならえられるはずだから。大丈夫だよ。僕を信じて。自分を信じて」

 

 先生にはこうなる事がわかっていたのかな? 先生を信じる。自分を信じる。大丈夫。


 そして莉子の言葉も。

「出来るなら、出来なくなるまで、いぶきには挑戦し続けてほしいな」

 私はまだ出来る。挑戦し続ける。


 コツコツコツコツと毎日いぶきは自分が出来る事をやり続けた。



 寒い冬も過ぎ、小鳥のさえずりがにぎやかになってきた。ほっぺたに当たる風も優しい暖かさをふくむようになった。いぶきはもうすぐ中学2年生になる。

 そんなある日、父親がいぶきに声をかけた。


「いぶき、ちょっと気分転換きぶんてんかんした方がいいんじゃないかな。明日で春休みも終わりだし、明日あのハチミツ農園に行ってみようか?」


 いぶきは迷わず「行きたい」と言った。

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