第9話 自然の循環(※一人称)

 口止め料、か。確かに有効な手段ではある。相手に自分の弱みこそ知られるが、一応の誤魔化しはできるからだ。それがいつ、終るかは終らないが。とりあえずの時間稼ぎは、できる。その意味では、彼等への口止め料も「最善策」と思われたが。やはり不安である事に変わりはない。「俺がいた時よりは時代が進んでいる」とは言え、その思想はあまり変わっていない筈だ。


 。守るべきルールは、破る。快楽は無法の先にあり、無法の先には無秩序がある。無秩序の中に入った人間は、己の本能を抑えられない。周りの姿に倣って、自分も己の欲望を解きはなつ。それこそ、「秘密をばらす」と言う優越感に。相手から言われた事を忘れて、その優越感に浸る筈だ。「おっしゃる通り」

 

 そう笑う緑川(彼には、呼び捨てでいいだろう)もまた、俺と同じように唸っている。彼は俺にスマホの画面を見せると、画面の情報に溜め息をついて、それをまたじっと見はじめた。「迷宮の目撃情報が、チラチラと出ている。政府の介入で、情報規制はなされているようですが。国民全員の目は、欺けない。早くも、考察班が動いていますよ? 


「だろうね」と、俺。「場所が場所だし。すべての口を止められるわけがない。見える範囲の口は封じられても、そこから漏れた物も必ずある筈だ。余程の管理社会でない限り、国民全員の目を欺くなんてできない。この事は、遅かれ早かれ公になる。現場の周りにいくら、キープアウトを巡らせても。情報社会が抑えられる情報は、意外と限られているんだ」


 緑川は、その言葉に苦笑した。俺も同じだが、今の話に呆れたのだろう。キープアウトの向こうに野次馬達が群がる中で、何とも言えない表情を浮かべていた。彼は顔の眼鏡を弄ると、迷宮の出入り口に視線を移して、それをじっと見はじめた。俺も彼と同じ方に目をやって、出入り口の亀裂に目を細めた。俺達は亀裂の向こう側をしばらく見ていたが、外野の声がうるさくなった事もあって、迷宮の中にさっさと入った。

 

 迷宮の中には、例の光景。では、ないらしい。それが迷宮である事に変わりないが、迷宮の色が緑である事、その表面にも草木が生えていた。地面の上には美しい花々、通路の諸処にも低い木が生えているし。「怪物」とまでは行かないものの、現実で言う虫や鳥、小動物なども迷宮の中を動いていた。


 俺達は、その光景に目を見開いた。特に緑川は、初めて見る迷宮に驚いていたらしい。俺もこう言う迷宮は初めてだったが、その反応以上に驚いていた。俺達は迷宮の中にしばらく立って、その場からゆっくりと歩きだした。「不気味ですね? 危険な場所である筈なのに? 感じられるのは、妙な安らぎだけだ」

 

 そう呟いた緑川に俺も「うん」とうなずいた。確かにおかしい。頭では「嫌な空間」と分かっていながら、それが妙に落ちつく。地面の感触を味わう度、迷宮の空気を吸う度に何故か、言いようのない安心感を覚えてしまった。


 俺達の前にふと、一羽の蝶が横切った時も。それに妙な安堵を覚えてしまったのである。緑川は、その感覚に眉を寄せた。俺も、その反応に釣られた。俺達は迷宮の違和感に戸惑いながらも、それに「しっかりしろ!」と怒鳴って、不気味な通路を歩きつづけた。

 

 通路の中に怪物(恐らくは、偽獣だろうが)が現われたのは、それからすぐの事だった。植物と動物が合わさったような怪物、その頭にも花が付いている偽獣。それが群れをなして、俺達の前に現われた。偽獣達は体のツルを伸ばして、俺達に「それ」を飛ばしはじめた。

 

 が、そんな攻撃に怯むわけがない。現代人の緑川は流石に怯えていたが、俺の方は終始冷静な状態だった。こんな事は向こうで、「嫌」と言う程味わっている。最初の一撃が背後を取ってくる事も、向こうの経験ですぐに分かった。


 俺は緑川の周りに防壁を作ると、彼に「そこに隠れていろ」と言って、目の前の化け物達に向きなおった。化け物達は今も、俺に攻撃を仕掛けようとしている。「上等だ」


 そっちが、その気なら。こっちも、殺す気で挑む。俺達は元々、そう言う関係なのだから。「殺る」も、「殺られる」も、同じ意味である。俺は相手の攻撃を素早く躱して、手前の敵達から一体ずつ、その命を奪っていた。


 が、おかしい。戦況はこちらが有利だが、その攻防がいつまで経っても終らなかった。倒しても、倒しても、次の敵が沸いてくる。俺が目の前の敵を倒すと、それに合わせて、迷宮の敵からまた新しい敵が現われた。

 

 俺は、その現象に眉を潜めた。「これは、何の罠かも知れない」と思ったからだ。(一見すると)怪物に出会っただけだが、それが一種の囮で、その奥に「何か仕掛けがあるかも?」と思ったからである。「『そうだ』とすると?」


 敵の狙いは一体? 俺達の足を止めて、何を? 俺はその理由をじっと考えたが、緑川が俺に「豊樹さん」と話しかけると、今の思考を一旦忘れて、彼の方に素早く下がった。「なんだ?」


 緑川は、その質問に眼鏡を動かした。何かこう、不安な気持ちから逃げるように。「これはあくまで、僕の想像ですが。貴方が倒した怪物の残骸、地面の中に吸われていますよ? 自分の撃破に合わせて、その肉片が吸いあげられるように。妙な循環が、見られるんです」


 その言葉に「ハッ!」とした。それがもし、見間違いでないのなら。この罠を破る手掛かりになるかも知れない。俺は彼の洞察力に礼を言って、今の考察が合っているかを確かめた。彼の考察は、合っていた。俺が倒した敵の肉片は、地面の上に吸われている(視覚的には、沈んでいくような感じ)。まるでそう、底のない湖に沈んでいくように。終らない循環を繰りかえしていた。


 俺は、その光景に眉を寄せた。これは、文字通りの永久機関。正に自然環境である。消費者である俺が生産者である敵を倒しても、分解者である地面がそれを吸いあげて、また元の生産者を作ってしまうのだ。元の生産者に戻ってしまうなら、今の努力も無駄になってしまう。


 相手がそう言う性質を備えた相手なら……くっ、やはり不味い。相手が無限に近い戦力である以上、それにいつかは負けてしまうからだ。一体、一体の力は弱くても、それがずっと続くなら流石に負けてしまうからである。俺は敵の仕掛けに驚く一方で、その狡さにも敬意を抱いた。


「強者は力に頼り、弱者は術に頼る。戦力がまだ戻っていない状態では」


「確かにそうなりますね? 僕もきっと、同じ手を使います。わざわざ一対一で戦う事はない。どんな手を使っても、敵の侵入を拒む。そいつらが貴方の言う、『人工物であった』としても。敵の侵入を拒めれば、問題なし。相手はただ、こちらが力尽きるのを待てばいいんですから」


「有効的な手。それは、俺も分かっているが」


 それでも、何とかしなければならない。この仕掛けを破って、少年を助けなければならなかった。俺は敵の攻撃をしのぎながらも、真面目な顔で迷宮の攻略法を考えつづけた。だが、迷宮の攻略法は、そう簡単には見つからない。


 いくつからの案は思いついたが、そのどれもがイマイチで、「こうだ」と思える手ではなかった。俺は自分の頭を掻いて、目の前の敵を薙ぎはらった。目の前の敵もやはり、地面の中に吸いあげられている。「くそっ!」


 このままでは、本当に。ちくしょう。


「好い加減に!」


「落ちついて!」


「え?」


 俺は、緑川の方に振りかえった。緑川は冷静な顔で、俺の目を見ている。


「緑川?」


? 向こうの世界を救った英雄。プロなら、こんな事態なんて」


「無茶言うな! いくらプロでも」


「分からないなら、考えればいい。僕も一緒に考えますから!」


 俺は、その言葉に目を見開いた。「今時の(いけ好かない)覚めた奴」と思っていたが、以外と熱いところもあるらしい。それが妙におかしくて、彼の言葉に思わず笑ってしまった。俺は口元の笑みを消して、迷宮の攻略法をまた考えはじめた。「自然の循環、無限再生……」


 そう呟いてから数分後、ふと思いついた事に「もしかすると?」と驚いた。この予想がもし、当たっていたら? この仕掛けを何とかできるかも知れない。「それなら」


 。俺はそう思って、迷宮の植物に目をやった。

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