華岡渚の運行日報

万事屋 霧崎静火

1:自分→他人

 「ふう…。」

段々蒸し暑くなって来る5月の下旬。昼の12時過ぎ。タクシーを高架下、会社指定の待機所に停めて車両を降りる。車内の冷房が効きすぎているのか、外が暑すぎるのか分からないがじんわりとワイシャツが濡れた。

 僕の名前は華岡渚(はなおかなぎさ)。21歳の若手新米タクシードライバーだ。まあ新米と言ってももう始めて2カ月になるが。ちなみに僕が務める成修タクシーには僕以上の若手はいないらしい。つまり最年少ってわけだ。それもあってか自分でも感じるくらい重宝されている。

「…ま、こんな職定年退職後だろうがいつだろうが誰だってなれるなぁんて言われてるからなぁ…。」


待機所隅にある喫煙所で煙草に火をつけた丁度その時、古臭いエンジン音が待機所に響いた。この音は旧式クラウンか。

「よう、華岡。調子はどうよ。」

降りて来たのは根川さんて言う50歳くらいのドライバーだ。研修の時にかなりお世話になった。善人の塊であり性格も明るい、人当たりの良い先輩だ。

「いやぁ、まあまあ朝、夕方、1日と目標の金額には達してきてますし、ペースに乗ってきてはいますかねえ。根川さんには負けますがね。」

すると根川さんは煙草に火を付けながら、お前は良いドライバーになるぜと呟く。

「どーいうことです?」

「いやぁ、そもそもタクシーってのは個人仕事だろ?だから目標なんて他人と比べるもんじゃない。自分で決めるもん、ここまでは分かるな?」

「はい。」

「お前、その朝、夕方、1日のその目標金額ってのは誰かが決めたもんか?」

首を横に振った。

「自分でなんとなく…最初はとりあえずこれくらい…達成したら次はこれくらいって少しずつ更新してます。」

すると根川さんは、それだよと指をさしてくる。

「実はお前が入る3カ月くらい前にな、25歳のあんちゃんが入社してきたんだよ。そいつは運転テクニックも営業トークも最高だった。だがたった1カ月で辞めちまった。辞める時にあいつが言った辞職理由なんだと思う?」

「…さぁ…。」

「皆さんのようになかなかうまく良い金額稼げないから、だってよ。言っとくが俺らも会社もノルマや目標なんてあいつに押し付けていない。なのによぉ…。」

なるほど。そのドライバーは他人との差を気にしすぎていたという訳か。

「この世の中は最近特に他人との差や目線、ペースを気にして伺いながら動かなきゃ社会的に締め出される世界になってきている。そんな中でも自分のペースで動けるお前には天職だろうよ。」


ま、頑張れよ~と言いながら根川さんは自分の車に乗り、行ってしまった。…果たして僕らはなぜ他人と比べたがるのだろうか。そんなことを考えながら倒していたシートを戻し、運行表示板を回す。【空車】の文字が点いた事を確認し、車を出す。

「さぁて、今回も頑張りますかっ。」


~これは、とある郊外の市街を走り回る、若手ドライバーの体験談を交えた運航日報~

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