第2話
「……はぁ……」
しばらくして、アリア様は視線と共にため息を下に落とす。
「こうなったらもうどうしようもないわ……もう割り切ってここからどう動いていくかを考えなくちゃ……まずは……」
ぶつぶつと呟いていたアリア様だが、一通り考えをまとめたのか再び顔を上げて立ち上がる。先程まで潤んでいた瞳は姿を消しており、意思の強さを感じる目で真っ直ぐ僕を見ていた。
「……お見苦しいところをお見せしました。申し訳ございません」
深く頭を下げて謝罪を口にした彼女は、真っ直ぐ背筋を伸ばして姿勢を正す。
「改めてご挨拶を。私はアリア=ミア=プラキドスと申します。リゲル様にシリウス様、どうぞお見知りおきをお願い致します」
「…………」
極めて形式的に名乗ったアリア様に対し、リゲル様は怪訝そうに眉を潜めて視線を向ける。
「挨拶はもういい。それよりお前はシリウスを知っていたようだがそれは何故だ? ……少なくとも数年間、お前は王家が引き合わせる者としか会っていないはずだ。俺の記憶ではカノープス家の縁者とは関わりがなかったはずだが?」
「…………」
その言葉にアリア様はちらりと僕を見た後、リゲル様に視線を戻した。
「確かに私は『先見の聖女』として知られて以降、ベテル様と関わりのあった方々としか会っておりません。……ですが、シリウス様とはそれ以前にお会いしていました。シリウス様、私を覚えてらっしゃいますか?」
再び視線を向けられた僕は小さく頷きを返す。
「幼少時……夢で話した少女はやはり、貴女なのですね」
「はい」
僕が口にした言葉を肯定したアリア様はふわりと微笑んだ。そして、怪訝な表情を浮かべたままのリゲル様へ向き直る。
「私は『先見の聖女』として、この先に起こるであろう事象を知っています。シリウス様が学院に進めば、その『役割』故に王国が危険に晒される可能性がありました。そのため、学院に進学しないように忠告をしていたのです。……まぁ、シリウス様には聞き入れて頂けなかったようですが」
後半、彼女は苦笑いを浮かべながら僕の方を見るものだから、流石に少し居心地が悪くなって視線を逸らす。一方、その言葉を聞いたリゲル様の表情は厳しいものへと変わった。
「……お前はシリウスの『役割』を知っているのか」
鋭いリゲル様の問いかけ。
……無理もない。カノープスの名が持つ本当の意味は本来、王家の者しか知らない事だからだ。
射抜くような視線を真っ直ぐ受け止めながら、アリア様は首を縦に振った。
「もちろん知っています。遥か昔、カノープス家の当主が王を救うために呪いを引き受けたという伝承も、その裏で何が起こっていたのかも、歴代のカノープスの嫡男が持つ呪われた血の意味も、全て知っています」
はっきりと言い切ったアリア様には一切迷いがない。確信しているのだ。僕の『役割』を。
……カノープス家の、危うい立ち位置を。
「リゲル様」
僕は彼女から目を離さず、第二王子の名を呼んだ。
「流石は先見の聖女といいましょうか。彼女は全て理解しているようです。隠すだけ無駄でしょう」
「……そのようだ」
その言葉にリゲル様は一瞬戸惑いの色を浮かべ――ややあって、小さく息をつきながら前髪を掻き上げた。
カノープス家がこの国において特殊な立ち位置である理由。
それはアリア様が先程言ったように、遥か昔僕のご先祖様は国王が受けるはずだった呪いをその身で引き受け、国王を救った事に由来する。
本来であればその功績を称えで位を上げるところだが、カノープス当主はそれを辞退。しかしそれでは国王の気がすまないという事で、カノープス家は男爵位でありながら公爵位と同等の待遇を受けるようになった――というのが、皆が知っている表の理由。
実際は別の理由がある。
カノープス家当主がその身に引き受けたのは、正確には呪いではない。……ご先祖様が引き受けたのは、当時世界を蹂躙していた魔王そのものだ。
強大な力を持つ魔王は勇者ですら倒しきれず、力を削ぐのが精一杯だったという。
そのため魔王を倒すのではなく、人の身に封じてその驚異をなくそうと試みる。そこで手を上げたのがカノープス家だった。
結果からいえば、カノープス当主はその身に魔王を封じる事に成功した。
ただし、時間に経つにつれてその身体や周りに影響が出始める。
最初に確認された異変はカノープス邸宅の周辺に魔物が徘徊するようになった事。しかし魔物の襲撃を受けた訳ではない。その逆で魔物達は邸宅を守るように周囲を囲み、近づく人間に攻撃を仕掛ける。
どうして魔物がそのような行動をとっているのか最初は不明だったが、それの理由はすぐに判明する。
カノープス当主が魔物達の前に姿を見せた時。
彼にかしずくように魔物達は頭を下げた。
そして彼が「住処に帰れ」と命令すれば、魔物達はそのまま姿を消した。
別の異変はカノープス当主がある不注意で負傷した時。
流れた血は強い魔力を発し、その血は強い力を持った魔物を召喚して呼び寄せた。
通常であれば人を一瞬で消し炭にしてしまうような力を持った魔物。
そんな存在ですら、カノープス当主が命令するとその場から姿を消して帰っていく。
……魔王を封じても、その強大な力を完全に抑え込む事は出来なかったと言う訳だ。
結局はその脅威が魔王からカノープス当主にすり替わっただけ。
聞いた話ではご先祖様に反逆などの意思は微塵もなかったようだけれど、魔物に命令出来る存在を放置する訳がない。
そのため王族とカノープス家は三つの取り決めを基にした血の契約を交わした。
一つ目は従属の契約。
未来永劫、子々孫々に至るまで王族を主とし、カノープスは従属を誓う。
血に刻まれた契約により、カノープスの人間は決して王族に逆らえない……いや、逆らおうという考えすら抱かないようになる。
それは魔王の力を引き継ぐ嫡男に対してより強く作用するような契約だ。 ……まあ、僕はあまり気にしていないけれど。どちらかというと王族であるリゲル様の方が気にしていて、出来る限り僕が普通に過ごせるように接してくれている。
二つ目は魔族の使役を禁止。
ただし、これについては一部特例がある。魔族が王族に対して危害を加えようとした場合のみ、退去命令の使う事を許されているのだ。王族に限定しているのは「王国」などといった広義を取ってしまった場合、使役できる範囲が広がってしまうのがひとつ。
もうひとつは魔族を使役して国を守ったとして。その存在が象徴となり、結果国の反乱に繋がりかねない可能性を懸念しての事。
最後が一番重要なんだけれど少し笑ってしまいそうな取り決め。
「怪我をしないこと」
カノープスの血は魔物を引き寄せたり、その出血量によって強い魔物を自動召喚してしまう。そのため僕ら一族にとって怪我は何よりも注意しなければならない事だった。
こういう経緯もあり、王族はカノープス家を従属させつつも最重要機密として扱っている。
伯爵などの位を与えて王族の近くにおけば監視もしやすいが、ただでさえ強大な力を持っている一族に対し権力まで与えるというのは非常に危険であるため、カノープス家は程々の地位を持った男爵家という位置づけになっているという訳だ。
そういった事情は貴族を含め、ほとんどの人は王家とカノープス家の関係については表の理由しか知らない。そのため一部の貴族からは特別扱いされているカノープス家を妬む声もあったりするが……それはどうでもよくて。
王族であるベテル様と関わる前にその事を知っていた『先見の聖女』様の方が僕の興味を引いていた。
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