第27話 カルナ

 あの夜会のあと、僕は屋敷を出られないでいた。ラヴィーリアの裏切りの裏付けが本人から取れることは予想されていたことだったが、彼女があんな嘘を吐くなんて今でも信じられないでいた。


「ロスタルの跡取りがそのように腑抜けていては困るぞ。噂は広まるばかりだ。女のひとりくらいなんだ。こちらに非は無いのだ、堂々と学び舎に顔を出せ」


 そう父から言われた。

 女のひとりくらい――公爵家三女におそらくそこまでの価値は無いのだろう。実際、彼女は跡継ぎ問題には全く関わらず、自由にさせた結果が聖女の噂へと繋がった節がある。


 ただ、父の様子も腑に落ちなかった。最初はルテル公に対して――聖女と呼ばれるような大事な娘の管理を一体どう考えているのか――などとルテル公本人への怒りがあったように見えたが、いつの間にか――あのような女――などとラヴィーリア本人を貶めるような言葉に変わっていた。


 父に何がわかるのか。これは僕とラヴィーリアの問題だ――そんな反発があった。



 ◇◇◇◇◇



 従者を連れ、学び舎へと足を運ぶ。

 目に入る貴族、従者、城の侍従、皆が僕の噂をしているように感じる。

 目を合わさないようにしているようにも見える。

 自信の無さが現れていたのか、僕の従者も戸惑っているように――。


 ガッ――注意が散漫になっていた僕は、柱の陰から飛び出してきた人影にぶつかり、相手の足を縺れさせてしまう。僕は咄嗟にその小さい影を抱き込むように庇い、石の床に体を打ち付けた。


「だっ、大丈夫ですか!? ごめんなさい、おっ、お怪我はっ」


 小さい影は女の子のようだった。

 侍女かと思うような質素な衣装が目に入った。


「いや、こちらこそすまない。僕の不注意だ。責任は取らせてもらう」


「えっ!? ふふっ、何言ってるんですか。責任なんて大げさな」


 彼女は先に立ち上がると僕に手を差し伸べてきた。女性に助け起こされるなんて――僕が反応に困っていると、彼女は首をかしげ、栗色の髪がぱらりとこちらに向けて垂れ下がる。


 僕は差し伸べられた手を取って立ち上がった。

 間近で見た彼女の顔。碧の瞳がきらきらと輝いていた。


「私、急ぐので行きますね」


「待って。せめて従者と話を」


「従者なんていませんよ。貧乏文官の娘ですから!」


 そう言って去っていく彼女。


「王城の学び舎の生徒とは思えませんね」


 傍に居た従者も驚いていた。ただ、その顔はすぐにまた別の驚きに変わった。

 振り向くと、そこにまだ彼女が居たのだ。

 息を切らしているかのような彼女。


「どうしたの? 急いでいるのでは――」


「あっ、いえ、本当に大丈夫です? 何だか顔色が悪いように思えて……」


「そんなことのために引き返してきたの?」


「そんなことじゃないですよ。本当に大丈夫ですか?」


「うん、まあちょっといろいろあって。でも、ありがとう。少し元気が出たよ」


「そうですか? でしたら……あっ、急いでたんでした! じゃあごめんなさい!」


 彼女は風のように去っていった。



 ◇◇◇◇◇



「こんにちは! また会いましたね」


 翌日、そう言って声をかけてきたのはあの栗色の髪の少女だった。

 やはり従者も連れず、一人で書板や筆記具を運んで講義にやってきている。


「こんにちは、お嬢さん。君は前からこの講義を受けてた? 君くらい目立つ子なら覚えてると思ったんだけど」


「お嬢さんだなんて……名前で、セアラでいいですよ。――私はですね、ずっと独学だったんです。でも、少し前に私の出来を見て貰った先生に、学び舎に来なさいと言われまして……。父に無理を言って来させてもらったんです」


「君の年で独学? それはすごい」


「そんな小さくは無いですよ。もう十四ですし」


「じゃあ僕と同じだ。名はカルナという。以後お見知りおきを」


「そんな改まらなくてもいいですよ。ただの文官の娘相手に」


 セアラはあどけない笑顔で笑った。あの日のラヴィーリアのように。



 ◇◇◇◇◇



 それから学び舎でセアラと幾度となく会って話をした。彼女は勤勉で、たくさんの講義を受けていたらしく、僕の受ける講義にはほとんど顔を出していた。その度に話しかけられ、笑顔を向けてくれた。



 そしてある日――。


「ずいぶんと顔色が良くなりましたね」


 セアラはそう言った。そういえば最近は学び舎に来ることが億劫ではなくなった。

 周囲の人間が噂話をしているようにも見えなくなったし、視線も気にならなくなった。

 他人にも普通に話しかけられるようになった気がする。


「えっと、君も何かいいことでもあった?」


 いつもより少し声が弾んでいるような気がする。そして笑顔も。


「う~ん、それは後のお楽しみですね。もう少ししたらわかりますよ。ふふっ」


 その日、彼女には朝会えただけで、いつもの講義に顔を出していなかった。珍しいこともあるものだと思ってもいたが、忙しい身なら毎回の講義に顔を出すことの方が稀だ。



 ◇◇◇◇◇



「カルナ様、改めてご挨拶申し上げます。セアラ・エンフィールドと申します。父はルテル公に召し上げていただいた文官でロスタル家とは遠縁にあたります。どうぞお見知りおきを」


 夕食の席に来客があるとは従者から聞いてはいた。

 ただまさか、あの彼女がこの場に居て、美しいドレスで着飾り、公爵家の娘と言われてもおかしくないような所作と言葉遣いで僕に挨拶してくるとは思わなかった。


「カルナよ。良い相手を見つけたではないか。エンフィールドはロスタルとも縁のある文官で多くの領主と繋がりを持っている。そしてその御令嬢はとても聡明と聞いておる」


「あ……の、相手とは」


「何を言っておろう。婚約者に決まっているではないか」


「え……」


 そうだ。僕はラヴィーリアとの婚約を破棄する。そう自分から言ったのだ。

 今更ながらその事実が自分に突き付けられ、心に大きな穴が開いた気がした。


 僕はラヴィーリアに何を期待していたのか。


「――そう……ですか」


 父は当然のように話を進めていく。セアラも貴族として申し分ないような会話を父と交わしている。父も上機嫌だ。


「セアラ嬢はとても勤勉と聞いている。エンフィールド家から学び舎に通うのは不便もあろう。屋敷に部屋を用意させたからお前もそのつもりでな」



 ◇◇◇◇◇



 セアラとの日々は僕に安らぎを与えてくれた。その日から彼女は学び舎でも上質な衣服に身を包み、貴族らしい振る舞いと距離感を学友たちへ見せるようになった。そしてかつての砕けた態度は僕にしか見せなくなった。婚約者として安心させてくれた。



 そんなある日、父から新しい侍女を入れると言う話を聞いた。

 父が侍女を雇うくらいでわざわざ話をするようなことはない。

 僕はどういうことかと父に聞いた。


「あの女をソノフが差し出してきたのだ。あのような女、こちらも要らぬのだがな。せいぜい侍女として置いてやるのが情けだろう」


 あの女――父がそう呼ぶのは彼女しかいない。


「お前も立場をわからせるようにしろ。間違っても情婦にして子など作るなよ」


 父は金属製の首輪のようなものを投げてよこした。じゃらりと重い鎖がついている。


「こ、これは」


「隷属させるには丁度いいだろう。それを使え」


「こんなものを……」



 ◇◇◇◇◇



「セアラ、僕はどうしたらいい……」


 部屋で彼女と二人、話をしていた。

 僕は目の前に突き付けられた現実とその物体に困惑していた。


「かわいそうですけど、それだけお父上の怒りも大きいのでしょうね」


「そ、そうだな……」


「その方も、本当に悔やんでおられるなら受け入れるのではないでしょうか?」


「そうか……ただ、これは可哀想な気がする」


「では、カルナ様があつらえればいかがです? その方も納得されるのでは?」


「そうか。そうだな」


 セアラの助言の元、僕は商人を呼んで革職人にもっと柔らかい革の首輪を作らせた。



 ◇◇◇◇◇



 ラヴィーリアが侍女としてやってきた。

 彼女が休日によく着ていたゆったりとした服を着て。

 ドレスの類は持たせられていなかった。生活するのに最小限の服だけなのだろう。


 彼女は挨拶をしただけで何も話さなかった。

 後から思えば立場の違いから話さえできなかったことは容易に分かると言うのに、この時の僕には彼女に発言を促すという余裕さえなかった。


 彼女は本当にあのことを悔やんでいるのだろうか?

 そんな考えしか頭になかった。


 彼女が首輪をつけることを受け入れ、僕が誂えさせた首輪を嵌めると、得も言われぬ嗜虐芯が僕に沸き起こった。


 ――父から与えられた首輪ではない、僕が作った首輪だ。


 ――甘んじて受け入れたその哀れな姿はどうだ。


 ――第二王子のものではない、僕の物だ。


 ――惨めな姿をさらして悔やみ続けろ。


 ただ、そんな心は彼女から離れ、夜になると一転した。

 あのような考えに支配された自分がみっともなく、愚かに思えた。

 夢の中でラヴィーリアに謝り続ける自分が居た。



 ◇◇◇◇◇



 屋敷でラヴィーリアの姿を見かけるたび、再び僕にあの嗜虐芯が舞い戻ってきた。

 夜会でのことを思い出すときにも同じく。

 しかし夜になると後悔――の繰り返しだった。



 その下卑た感情からの支配と抵抗のうち、僕はセアラにも心配されるほど憔悴していった。


 そしてある日、僕の知らぬ間にラヴィーリアは屋敷から消え失せていた。


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