第8話 学園のマドンナは連絡先を交換したい

「ここからは釣る対象を変えることにしようと思う」


 食事を終えた時点で時計を見ると10時を過ぎていた。


「それは、私には無理だから釣り方を変えるってことですか?」


 表情を陰らせ、悲しそうな声を出す渡辺さん。俺の言葉が足りていなかったことに気付き反省する。


「いや、そう言う意味じゃないよ。俺もルアーを使った釣りはここまでにする予定だったし」


 彼女が首を傾げると亜麻色の髪がふわりと揺れる。


「時間帯によって釣りやすい魚と釣り辛い魚がいるんだ。今の時間はイナダとかは釣れなくなってるからルアーを投げても効率が悪いんだ」


 イナダが餌にしているのは小アジなどの回遊魚で、基本的に回遊魚は早朝と夕方の食事時に動きが活発になるので、昼前になると姿を消す。

 そうすると、小アジを食べに来たイナダも自ずと数が減るので釣れなくなるという寸法だ。


「今から何を釣るんですか?」


 そう言うことならと納得した渡辺さんは、首を傾げると釣る対象を何にするのか聞いてきた。


「まだ時期には早いんだけど、シロギスを狙ってみようと思っている」


 シロギスとは、浅い砂地に生息している魚だ。朝から昼過ぎくらいまでに活発に動き回るようになるので、今がまさに狙い時。

 この施設は場所によっては海底が砂地になっているので、仕掛けさえ用意してやれば多種類の魚を釣ることができる。


 そんなわけで、俺たちは場所を移動して、堤防の先端ではなくかなり手前側に陣取った。


「この時期でもうサーフィンをしている人がいるんですね」


 遠くの浜ではサーファーたちが波と戯れ遊んでいるのが見える。


「水温は割と高いみたいだし、あのスーツは結構暖かいらしいよ」


 釣りの時に話しかけてきた元サーファーの言葉を思い出した俺は、その知識を披露しておく。


「それで、今回使うのは餌なんだけど……」


「餌って、この前みたいな小さな海老が一杯詰まったやつですか?」


「いや、違う。これだよ」


「ひっ!?」


 先程売店で買っておいた餌を開けて見せると、渡辺さんから悲鳴が上がった。


「シロギスは動き回る生餌を好んでいるから、こいつをハリに引っかけて餌にする」


 俺が説明している間も、渡辺さんはショックから回復せず微動だにしない。

 初めて釣りをする女の子に、流石にこれに触れと言うのはきついだろう。


 彼女は我に返ると目を閉じプルプルと震えている。俺はその庇護欲が湧きそうな姿を見て笑ってしまった。


「はい、つけ終わったよ」


「あ、ありがとう、ございます」


 彼女が怯えている間に、ささっと餌を付けて竿を渡す。俺も自分の仕掛けを用意すると、


「あとは簡単だから。こうやって投げて海底まで落として、ゆっくりと巻いて行く」


 竿を下に向け、リールを回してずるずると巻いて行くだけ。キス釣りは初心者でも簡単に釣れるので、これなら渡辺さんも釣ることができる。


「こ、こうですか……?」


 早朝にルアーを投げて慣れたのか、彼女は淀みなく仕掛けを投げると俺の動きを真似する。


「うん、上手上手。もう少しゆっくり巻かないと、魚がいた場合餌まで追いつけないから」


「そうでした……」


 俺のアドバイスに従って動きを修正する。

 何度か違う場所に投げながら、海底を探っていると……。


(おっ、アタリがあった)


 俺は巻き上げる速度を上げて仕掛けを回収する。


「渡辺さん、こっちに投げてみてよ」


 難しい顔をしながら首を傾げる渡辺さん。釣りというのは誰かに教わったとしても、魚が釣れる瞬間までは実感が湧かないものだ。

 自分のやり方が正しいかわからず、色々と考え込んでしまう。


「は、はい!」


 渡辺さんはよい返事をすると、真剣な表情で俺が言うポイントに仕掛けを投げ込んだ。


「あっ!」


 先程、俺にアタリがあった場所で彼女が声を上げる。完全に無言になり竿の微妙な変化に集中する渡辺さん。やがて……。


「かかりましたっ!」


「落ち着いて、一定の速度で巻き続けて! 緩めるとハリがはずれるからね」


 焦る彼女にアドバイスを送る。渡辺さんはわき目も振らず海中を見つめている。仕掛けが段々引き寄せられ、目の前に近付いてくると飛沫と共に魚影が見えた。


 最後に竿を高く上げ、釣った魚を引き上げると、


「釣れましたっ!」


 ハリの先には淡い白銀に輝く美しい魚がついていた。


「おめでとう、それがキスだよ」


 浅瀬付近にいたのでそこまで大きくはないが、てんぷらにして食べると美味しいサイズのシロギスだ。


「やった! やりましたっ!」


 糸を持ち、誇らしげに俺にキスを見せてくる渡辺さん。


「よかったら、写真撮ろうか?」


 釣った魚との写真を記録として残しておきたいのではないかと思い提案する。


「お願いしますっ!」


 俺はスマホを取り出すと、彼女とキスが同じフレームに収まるように調整すると写真を撮る。


「どうですか?」


 写真の中の渡辺さんは、太陽のような笑顔を浮かべていて、じっと見ていると妙に恥ずかしくなった。


 彼女にせかされ、写真を見せる。


「これ、私のスマホに……」


 そこまで言いかけて、渡辺さんはピタリと動きを止めた。

 彼女の様子をみて怪訝な表情を浮かべるが、すぐに理由が思いつく。


 今更気付いたのだが、そもそも俺たちは互いの連絡先を交換していないのだ。

 本来なら、彼女のスマホを借りて撮影しなければならないところ、俺のスマホで行ってしまったので言葉が詰まっているのだろう。


「ごめん、こっちの写真は消すから。改めて渡辺さんのスマホを貸してくれる?」


 異性に写真を撮られて保存されるというのは、渡辺さんくらいモテる女性なら嫌悪感を持っていてもおかしくない。

 俺は慌ててそう提案するのだが、彼女は竿を置きスマホを取り出すと、口元を隠して言う。


「よ、良かったら連絡先を交換しませんか?」


 そう言ってチャットアプリのコードを見せてくる。

 言われるままに連絡先を交換し終え、今撮った写真を共有すると、


「えへへへへ、こうして記録に残していただければ、見返した時に思い出せていいですね」


 こんなことなら、初めて釣った時の写真も残しておいてあげればよかったと後悔する。人生で初めて釣れた思い出はとても大切な宝物だから……。


「それにしても、随分と嬉しそうだな」


 まだキスを一匹釣っただけなのに凄い喜びようなので、ついついそんな言葉が漏れた。


「えっ、だって。これでいつでも連絡が取れるようになったじゃないですか?」


「えっ?」


 何か会話が噛み合っていないのだが、彼女は上機嫌でスマホの画面を眺めているのでこちらが見ていることに気付いていない。


 しばらく考えていると、まるで渡辺さんが俺の連絡先を知りたがっていたという都合のより解釈がうまれてしまう。


「キスは群れで行動するから、同じ場所に投げればまだ釣れる可能性があるんだ! どんどん釣って行こう」


 俺は意識を釣りに切り替えると、彼女に指示をだした。

 そこから、俺たちは二人で20匹ほどのキスを釣り、収竿するのだった。

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