【短編】デジタル義肢『EAL(エアル)』

結城 刹那

第1話

 机の中に入れた教科書を取り出し、カバンへと入れる。

 一ヶ月前に比べて、手の感覚には慣れてきたものだ。僕はそう思いながら、教科書を掴む自分の手に目をやった。


 神経の通らない模造の手。肌色に塗られ、人間に模されたデザインで作られたその手は一見したら本物の手と相違ない。しかし、夏服をめくった時に見える模造の腕と僕の腕の境目から手が僕のものではないと言うことが誰にでもわかる。


 だから極力、袖がめくれないように細心の注意を払って動作する。

 とは言ってももう遅いのだが。クラスのみんな全員、僕が腕と足を失ったことを知っている。多分、僕を知る学年全員の周知事項だろう。


 今年の夏。僕は大きな交通事故にあった。

 家族旅行の帰り道。高速道路で居眠り運転をしていたトラックと衝突した。トラックが後ろから追突する形で事故は起こり、後部座席に座っていた僕は大きな損害を受けた。幸い、命に別状はなかったものの腕と足を断切せざるを得ないほどの損傷を受けてしまった。


 そうして、僕の腕と足は偽りのものへと姿を変えた。

 クラスのみんなは心配して僕に声をかけてくれた。しかし、無残な僕の姿を目の当たりにして、心配するとともに恐怖していたことだろう。


 彼らは僕のことをもう自分たちと同じと思っていない。心のどこかで僕のことを人ではない別の生物だと思っているに違いない。そうでなければ、日々少なくなる口数や今まで経験したことのないクラスのみんなからの不思議な視線に納得ができない。

 

 人間の友情なんて所詮そんなものだ。 


「だいぶ慣れてきたね」


 教科書をしまっていると前にいる女子生徒が僕へと微笑みかける。

 ミドルヘアの黒髪をポニーテールに結んでいる。赤色の瞳が煌びやかに輝き、僕を見つめていた。


 松里 千春(まつざと ちはる)。

 ボーイッシュな性格の陽気な女子生徒だ。

 彼女は僕が事故に遭ってからも普段通りの振る舞いでいてくれた。多分、彼女が今のように声をかけてくれなければ、僕は不登校になっていただろう。


「うん、流石に一ヶ月も付ければ慣れたものだよ」


 僕は教科書をカバンに入れると彼女に手の甲を見せ、グーパーの動作を見せた。


「良かった、良かった」


 松里さんは僕の動きを見ると頷きながら感嘆を漏らした。

 彼女のみが僕の学園生活の唯一の救いだった。そして、僕はきっと彼女のことを好いている。最近は彼女と話す時は胸がドキドキしていた。そのドキドキが僕がまだこの世界にいることを示してくれていた。


 ****


 学校の帰り、僕は『神田義肢研究所』へと足を運んだ。

 神田義肢研究所はその名の通り、義手や義足などを作成・メンテナンスしている施設だ。僕の使っている義手と義足両方ともここで作成してもらった。今は週に一度の頻度でメンテナンスを行っていただいている。


「いらっしゃい!」


 メンテナンス室に入ると一人の女性が僕を迎えてくれた。

 黒髪ロングヘアを頭少し上でポニーテールに結んでいる。キリッとした目つきは自信に溢れ、白衣を着た佇まいには覇気がある。しかし、接する際の彼女は非常に優しい。

 神田 卯月(かんだ うづき)。神田義肢研究所の社長を務めている人物だ。

 社長と謳っている彼女だが、現場仕事が好きなため自分もこうしてメンテナンス作業を通して患者とふれあっている。彼女の対応は丁寧で、慕っている患者は数多い。僕もまた、その中の一人である。彼女のことは神田先生と呼んでいる。


 僕はペコリと頭を下げると彼女の方へと歩んでいく。

 神田先生は微笑ましそうに僕の表情を見ていた。僕は彼女の表情を訝しげに伺った。


「何ですか?」

「いや、その様子を見ると今日は何かいいことがあったみたいだね。差し詰め恋愛関係か」


 神田先生の言葉に思わず、眉をあげる。おそらく松里さんと帰り際に話せたことで浮かれていたことを勘づかれたのだろう。こんな短時間でよくそんなことが分かるなと感嘆する。先生は僕の日常を盗み見ているのだろうか。


「やっぱりな……眉が上がっているよ」

「先生ってどうして心理学者にならなかったんですか?」

「心理学は好きだが、職にしようと思ったほどではなかったからね。趣味程度でやるのが一番楽しくできる。学者にならなくても、日常の色々なところで使えるからね。今とか」


 確かに今まで楽しくやっていたことを仕事にすると、途端に苦しくなると聞く。先生ももしかするとそれを恐れていたのかもしれない。


「それにしても、だいぶ義足には慣れてきたらしいね。歩き方が前と比べて自然だ。痛みとかはないかい?」

「はい。特には。それと腕の方もだいぶ慣れてきました」


 そう言って、帰りに松里さんに見せたように手の甲を見せ、先生にグーパーする。先生は「良かった、良かった」と僕に対して頷いた。松里さんと全く一緒の行動で何だか面白かった。


「基本的な動作には問題なさそうだね。何か日常で支障を来たすことはあったりするか。例えば、ペンで書くのはまだおぼつかないとか」

「いえ、特にはないですね。細かい動きにもだいぶ慣れてきましたので、針に糸を通すとかしない限りは大丈夫かなと思います」

「そいつはかなりニッチだな」

「ですね。あとは……」


 そこで僕は口を噤んだ。一瞬、頭の中によぎったことだが、これを先生に言うべきか迷ってしまった。


「言ってみてくれ。私でよければ、君の助けになろう」


 先生は僕の一瞬の隙を見逃さなかった。立ち止まった僕の背中を押すように言葉を告げる。噤んだ口はそれによって、小さく開く。


「僕は他のみんなとは違うんでしょうか?」

「どうした急に? 君は他のみんなと何も変わらないよ」

「みんな自分の手や足を持っています。でも僕は、みんなと違って自分の手や足を失ってしまいました。だから僕はみんなと同じと思っていいのでしょうか。僕は人間を構成する要素を失ってしまったんです」

「まるで『テセウスの船』みたいだね。非常に哲学的な問題だ」

「テセウスの船?」

「テセウスと言う名の船があって、その船が老朽化したことでパーツを取り替える作業を行った。そして、最終的に最初のパーツが全てなくなった時に、それをテセウスと呼んで良いのか否かという問いだ。君の悩みはそれに近いものがありそうだね」


「おそらく、それと同じ感じかと。手と足を失ったことで僕は人としていられるのかとても不安なんです。みんな僕のことを今までと違う視線で見ているような気がするんです。まるで異種族を見るような目で。僕は彼らにとって別種の存在なのでしょうか」

「『そんなことはない』と言いたいところだが、きっとそれでは君の悩みは消えないだろうね。私が君に与えられることがあるとすれば一つかな。ちょうど今、私自身も試してみたいと思っていたところなんだ」


 そう言うと、先生は奥の方へと足を運んで行った。段ボールの並べられた棚へと行くと一つの箱の中を探る。手で作業をしつつも、僕への話は途切れることはなかった。


「君は彼らと違っていることを恐れていて、彼らは君を嫌っていると思っているのだろう。なら、彼らにとって都合の良い存在になれば君を見る目は変わる。例えば、警察犬が良い例だろう。君は自分が犬よりも優れていると思うか」

「はい。流石に犬には負けないかと」

「だろ。ただ、犬は人間よりも嗅覚がとても優れている。だから、麻薬などの探索は犬の方が重宝されるのさ。彼らが君を異種族と思っているのは私にはどうにもできない。しかし、君が彼らにとって重宝される存在となるためのアシストはできるだろうさ。これを使ってね」


 先生は段ボールから義手と義足を取り出した。一見したところ僕が使っているものと何ら変わりはない。


「何ですか、それ?」


 僕の問いに対して、先生は不敵な笑みを浮かべ、得意げな表情を見せる。


「これはインターネットにつながった次世代の義肢。その名も『EAL(エアル)』さ」

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