第28話 ニンジン

 また体温計が甲高い声をあげる。


 表示されていた体温は38.0。さっきよりも上がっている。


「柚ちゃん。はい、おかゆだよ」


 柚ちゃんに熱があると知った久美さんがわたしたちのご飯とは別に作ってくれた。


 柚ちゃんの部屋におかゆを持って行くついでに、様子を見てきて欲しいと言われたわたしは柚ちゃんに声をかけて、ベッドの傍の机にお椀を置いた。


「お姉ちゃん、ごめんね」


 柚ちゃんが申し訳なさそうに口を開いた。


 わたしたちに心配をかけたくなかったから、体調が悪いとは言わなかったんだろうか。後から聞けば、ずっと頭痛とダルさがあったことを隠していたらしい。


 すぐに気が付くことができなかった自分が恥ずかしい。


 だけど、わたしよりもずっと一緒にいる楓ちゃんと茅ちゃんでも気が付かなかったんだから、柚ちゃんは相当隠すのが上手だったんだろう。もしかしたら、こう見えていろんなことを内に隠してしまうタイプなのかもしれない。


 それならわたしが柚ちゃんの気持ちを汲み取れるようにならないと。


「そういうときはね、ありがとうでいいんだよ」


 わたしはスプーンでおかゆをすくって、柚ちゃんの口元に運ぶ。柚ちゃんは特に抵抗することはなく、口を開いて、スプーンをくわえた。


 良かった。食欲はあるみたいだ。


「にんじん……」


 柚ちゃんが小さな声で呟いた。


「もしかしてニンジン嫌い?」


 わたしはイチョウ型に切られたニンジンと柚ちゃんを交互にみつめる。


「うん」

「どれくらい?」

「世界で一番」

「そっかあ…… でも頑張って食べた方がいいと思うけどなあ」

「絶対やだ」

「うーん……」


 普段なら嫌いなものを無理して食べろとは言わない。


 わたしにも嫌いな食べ物はあるから、美味しくないと感じるものを食べないといけないツラさが分からないわけではない。


 だけど、今は柚ちゃんは風邪をひいている。


 そんな人に「じゃあ食べなくていいよ」なんて、言っていいんだろうか。


 わたしは頭を悩ませながら、とりあえずはニンジンを避けつつ、おかゆを柚ちゃんの口に運んでいく。


 もしわたしが柚ちゃんと同じように風邪をひいていたとして考えてみよう。


 一番嫌いな食べ物であるトマトを食べろなんて言われても絶対に食べはしないだろう。トマトに何の栄養が入っているのかなんて知らないし、こんなものがわたしの風邪の直りを早めてくれるんだろうか、むしろ悪化させるのではと思ってしまうはずだ。


 食べさせた方が絶対的に正しいのかもしれない。ニンジンに栄養があるのはたぶん事実だし。


 だけど……


「じゃあ残ったニンジンはわたしが食べとくね」


 やっぱりわたしには無理やり食べろなんて言うことはできない。


 もし久美さんに言ったら怒られちゃうかな。まあいっか。


 わたしはお椀の下に溜まってしまったニンジンを見つめる。


「……お姉ちゃん、ニンジン嫌いじゃなかったっけ?」

「あれ、そうだけど、ニンジン嫌いだって言ったことあったっけ?」


 わたしは俗にいう緑黄色野菜というものがほとんど苦手なわけで、ニンジンも例外ではない。


 ニンジンに関しては、味というよりかは、触感が苦手なのだ。


「まあ我慢すれば食べれるレベルのものだから大丈夫だよ」


 さすがに世界で一番嫌いとかではないし、柚ちゃんに比べれば、全然食べれる方だ。


「……そうなんだ。ありがとう、お姉ちゃん」


 柚ちゃんはへにゃっとした笑顔を浮かべた。


 そんなふうに笑っている柚ちゃんを見ていて、わたしはふと、昔、今日みたいに誰かの看病をしたことがあるような気がしてきた。


 こんなふうにおかゆを食べさせてあげて、だけど、何か嫌いな食べ物がお椀の下に残っちゃって。


 場面はなんとなくはっきりとしているのに、記憶はふわっとしていて、それが誰だったのかは思い出せない。あれは誰だったんだろう。お父さんではないはずだから、美々ちゃんだろうか。


 そんなことを考えながら、残っていたニンジンをわたしの口に運ぶ。


「ねえ、お姉ちゃん」

「ん?」

「好き」

「あはは、ありがとう」


 こんなふうに真っ直ぐに好意を伝えられると、くすぐったいな。


 嬉しさと恥ずかしさが混ざったような気持ちが心の中で活発に動き回っている。


「……そういうんじゃないんだけどな。まあいいや。お姉ちゃん、本当にありがとうね」

「どういたしまして。じゃあわたしもう行くね」

「うん」


 わたしは空っぽになったお椀を持って柚ちゃんの部屋を後にした。


 ラッキーなことに、久美さんからニンジンの件について何も言われることはなかった。

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