第2話 楓

「入ってもいいかな?」


 わたしの目の前にある扉には「かえで」と書かれた木の札がぶら下がっている。


 わたしはドアを二回ノックして、入ってもいいかと問いかけた。


 なんだか昔受けた英語の面接試験で、部屋に入る前に「May I come in?」と言ったあの時と同じような緊張感が襲ってきた。


 わたしは今、姉の資質を試す試験を受けに来ているのかもしれない。


「どうぞ~」


(よしっ……)


 そう面接官(楓ちゃん)の声が聞こえて、わたしはドアノブに手をかけた。


 親睦なんでどう深めればいいのかは分かんないけど、これから家族になるんだし、妹とはみんな仲良くなりたい。


 そのためには長女になったわたしがなんとか積極的にならないと。


 今日からわたしは徐々にダメ人間から素晴らしい人間へと昇華して行くのだ。


「どうしたんですか?」

「ちょっと話したいなって思って」


 楓ちゃんは服を着替えて、部屋着になっていた。


 クリーム色のゆったりとした部屋着からは、まだ出会って少ししか経っていないわたしにも楓ちゃんらしいなと思わせた。


「ほんとですか!? わたしも話したいと思ってたんです!」


(えっ……!)


 いきなりわたしの背中が冷たくて固い床に触れた。


 柔らかいビーズクッションがわたしの頭を支えてくれている。


 部屋の電気がわたしの両目を刺激して、わたしは目を細めた。


「はあ…… やっと由衣さんと二人になれた……」

「か、楓ちゃん!?」


(どうなってんの!?)


 わたしは楓ちゃんに抱きつかれて、床に押し倒されるような形になっていた。


「えへへへへ……」

「ど、どうしたの!?」


 楓ちゃんからは甘い香りがふわっとかおる。


 香水っぽい強い匂いではなさそうだから、柔軟剤の匂いかな……なんてことを考えている場合ではない。


「えへへ…… 由衣さん良い匂い……」


 わたしの胸に顔をうずめながら、楓ちゃんの息を吸ったり吐いたりするような音が聞こえる。


(今これどういう状況!?)


 目の前で何が起こっているかよく理解できていない。


 え、これってもしかしてわたしの理解力が足りないだけで、姉妹にはあるある現象なのか? わたしが動揺してるのがおかしいのか?


「あっ、ごめんなさい!」


 すぐにわたしの現状に気づいたかのように自分を取り戻した楓ちゃん。


 楓ちゃんはわたしから急いで離れると、床に転がったわたしを引っ張って、起き上がらせてくれた。


 手、めっちゃすべすべ……なんて気持ち悪いことを考えてしまったのは内緒だ。


「ごめんなさい、ちょっと興奮しちゃって…… わたしお姉ちゃんがずっと欲しくて、夢だったんです! だから嬉しくてつい……」

「あ、ああ、そうなんだ」


 あるある現象ではなかったみたいだけど、やっぱりわたしの理解力が足りなかったみたいだ。


 もっと理解力を鍛えようね、わたし。


「あ、でもわたし、楓ちゃんと同い年だよ?」


 今年から高校二年生になる同学年。


 わたしの方が誕生日が早いだけで、お姉ちゃんと言われるには少し心もとない。


 長女として頑張ろうと決めたけど、できることなら長女の座は楓ちゃんにぜひ明け渡したい。


「はい、知ってます。わたしの誕生日は七月なので、一か月違いですね!」

「え、一か月!?」


 わたしの誕生日は六月。


 まさかたった一か月しか変わらないなんて。


 もうほとんど一緒じゃん。一か月違いに長女も次女もないよ。


 だから真の長女の座には楓ちゃんにぜひ座って欲しい。


 わたしはお飾りとして楓ちゃんに操られるから……


「それでもお姉ちゃんはお姉ちゃんですから。由衣さんはわたしのお姉ちゃんです!」


(うっ…… わたしのお飾りへの道が早くも……)


 わたしは、はあ……と肩を落とした。


「由衣さん、由衣さん」

「ん? あ、ちょっと待って。さっきから思ってたんだけど、わたしのことはさん付けじゃなくてもいいよ? それにもう家族なんだから敬語も使わなくていいよ」

「あ、いえ。わたしの場合、敬語は癖みたいなものですから。このままでもいいですか?」

「うん。楓ちゃんがいいならいいよ」


 敬語が癖だなんてすごいな。


 家族にまで敬語を使う人はなかなか見たことがない。


 わたしがお父さんに敬語使ったことあるのなんて、うっかりお父さんの楽しみにしておいたプリンを食べちゃって、「申し訳ございませんでしたあ!」って謝ったときくらいだよ。


 お父さん甘党だから、結構いいとこのプリンだったらしい。すまぬ、父。


「それでですね」

「うん」

「もうちょっと由衣さんにくっついててもいいですか?」

「え……? あー、うん……? いいよ?」


 わたしはくっつくという意味をあまり理解せずにそう言った。


 というか理解するよりも先に口が動いていた。


 楓ちゃんはわたしの腕に手を回して、わたしの肩にこつんと頭を置いた。


(……な、なんかこれ恥ずかしいんだけど!)


 いくらもう家族だとはいえ、昨日まで会ったこともなかった人がこうしてわたしの近くにいると思うと、なんかドキドキしてしまう。


 姉妹って家でこんなにくっついたりするものなの?


 うーん、もしかしたら楓ちゃんはちょっと甘えたなのかもしれない。


 今までずっと長女だったから甘えられる人がいなかったのかな。


 うん、お姉ちゃんがずっと欲しかったって言ってたし、たぶんそうなんだろう。


 ならばわたしができることは一つ。


 楓ちゃんの要求にはなるべく答えてあげること!


 だけど……


「楓ちゃん、わたしそろそろ次に行かないとだから……」

「次?」

「うん。あと茅ちゃんと柚ちゃんと話したいからさ」

「そうですか…… もう行っちゃうんですね……」


 そう言うと楓ちゃんは名残惜しそうにわたしから手を離した。


(くっ…… 妹ってこんなに可愛いのか…… 聞いてないぞ、父よ……)


 わたしは妹の素晴らしさと申し訳なさを同時に噛み締めながら、楓ちゃんに手を振って、部屋を後にした。


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