第7話 初めての仕事2
帰りのバスの中で持田昭和が語った榊希美の情報に幾つかの納得できない箇所があった。事前に知らされていた未來理さんの情報との大きな相違。榊希美は40代くらいの男性だと言っていたが、持田昭和は二十歳くらいの女性だと語っていた。
どちらかが嘘を言っているとすれば持田昭和が怪しく思える。それもそのはずだ。榊希美は医者として、紹介屋として裏社会に精通している。そんな人物が二十歳そこらなはずがない。医学部は確か六年での卒業。最短での医師免許取得は二十四歳だからだ。
仮に榊希美は無資格の闇医者だということは中退もありえる。そこから裏社会で怪我人の面倒を見ながら生活していたとなれば、二十歳に見えても可笑しくはないのかもしれない。年齢の差違は化粧で誤魔化しが利くが、当時四十近い男性を耄碌していても見間違う可能性はほぼゼロと断定できる。
まずは帰宅してこのことを未來理さんに報告をする。
次いで。
未來理さんの婚約者と友人が二年前、榊希美を渦中とした事件で亡くしている。このことについて彼女の口から説明を聞かなければならない。今回の事件で名前が浮上した榊希美という人物は既に亡くなっているのだから。
未來理さんは榊希美が亡くなっているのを知っていたんじゃないか。知っていて未來理さんはあえて僕に持田医院へ向かわせ話を聞かせた。これは考え過ぎか。その答えは直接未來理さんから聞くことになるだろう。
最寄りのバス停で下車してから帰宅までものの数分。
玄関の扉を開けると未來理さんが、「お帰りなさい。初めてのお仕事よく頑張ったわね。偉いわぁ」両手を伸ばしてギュッと抱きしめられた。
「収穫はありました。それと未來理さんから聞きたい話もあります」
彼女の抱擁を断ってリビングへ。
夕飯の準備はもう済んでいるようだ。甘しょっぱそうな匂いは魚の煮付けだと予想。空腹を一度押し黙らせていつものように二人して対面で座った。
「未來理さんは知っていましたか、榊希美が二年前に亡くなっていたこと」
僕は開口一番で問う形で未來理さんの反応を伺った。
彼女は首を傾げて、「あら、亡くなっているの?」キョトンと眼を何度か瞬いた。
今の反応から嘘を言っているのか判断が付かない。「榊希美が亡くなったのは二年前の事件……、世間では事故という形にしているみたいですが、その事件で未來理さんの婚約者と友人の二人を同時に亡くしていると持田院長は語りました」つかさず早口に言った。
「ねえ、海津原君。持田先生は何を根拠に榊希美が亡くなっていると判断したのかしら。その部分はちゃんと聞いてきた?」
「あ……、いえ、すみません」
「いいのよ。相手から得られる情報が全く正しいという保証はないから、覚えておいてね」
項垂れる僕の頭に手を伸ばして撫でると、「二年前。警察も報道関係者も恐れて事故扱いにした事件で、婚約者と友人を確かに亡くしたわ」懐かしく思い返すように眼を細めて言った。
「それと、榊希美は二十歳くらいの女性だと聞きました。未來理さんが得た情報では四十代くらいの男性と言ってましたよね。本当はどっちなんですか。未來理さんは知っていたんじゃないですか?」
一番不審に思った点。
「榊希美の真相、教えましょうか。でも、その前に」
立ち上がってキッチンに向かった未來理さんは、「ご飯は大盛りにする?」緊張感のない声で聞いてきた。「普通盛りでお願いします」運ばれてきた料理を眺めて固唾を飲んだ。
「あの、食べながらですか?」
「これから話そうとしている事件。真相は警察や政治家、私を含めた数人の情報屋と裏社会の方々しか知らないのよ。もちろん誰も口にしようとはしないし、触れてはいけない禁忌なの」
「今回の八王子事件で榊希美の名前が世間に広まったらどうなるんですか」
「正直言ってしまうと想像がつかないわね。とりあえず簡単に話すから、ご飯と一緒に呑み込んでおいてね。絶対に他言してはいけない
二人で手を合わせて食事を始める。予想は的中して魚の煮付けだった。身を解してから一口、お決まりの焼酎ハイボールを決めて満足気に吐息を漏らした未來理さんは、「この話だけで一冊の小説が書けてしまいそうな事件。これをどう手短に語って聞かせようか、難しいところね」うふふ、と困ったように笑ってから、何かが憑依したように眼から優しさが消えた。
「この事件は犯罪史で最もと言って良いくらいに吐き気を催す事件だったわ。直近の事件で言えば三年前の悪魔払いバラバラ事件、去年のコンクリート詰め事件とは比較にならないくらいに。いいえ……、いけないわね。人死にが出ているのだから事件を比較していいものでもないけど、榊希美という人間は人道や道徳の垣根を躊躇いもなく越えてしまった、頭の回る
未來理さんの語りはそこから始まった。
「事件は八王子市、あきる野市、小平市、中野区、新宿区、板橋区で起きていたの。殺した被害者から眼球を奪い、代わりに眼窩には硝子細工の義眼が押し込められていたわ。同様に祈る体勢で。そんな事件が頻発していたのよ」
「そんな事件ありましたっけ?」
「表沙汰にされていない事件って言ったわよ」
一人暮らしをする若い少女が標的とされていた。その中には裏社会に属する幹部の子供も含まれていて、殺される少女達の共通点は黒い髪と黒い眼をしている端正な顔立ち。報復をするべく独自で動いていたヤクザたちは情報屋である未來理さんたちを雇い、徹底的な犯人捜しを人海戦術と併せて行われた。
警察、ヤクザ、情報屋、多方面で情報に強い勢力が結託しても犯人の足取りが掴めないでいる最中、彼等の捜索なんて余所の国の出来事であるように次々と被害者を増やしていった。報道関係者も警察達の動きを察知はしていたようだが、頑なに沈黙を続け、ヤクザや情報屋が非合法な手段で脅迫まがいの圧力で完全に黙らせた。
それでもスクープに漕ぎ着けようとするフリーのジャーナリスト達が日夜嗅ぎ回り、異常な事件を嗅ぎつけられたくない警察としては鬱陶しいことこのうえない。好奇心猫を殺す。彼等もまた被害者となって、変わり果てた状態で見つかった。これまでの被害者との共通点と外れている。
音信不通となったフリーのジャーナリストの家を訪れた報道関係者が遺体を発見して事件が明るみになったけど、その事件は結局世間の公にされることはなかった。
報道関係各社のトップが相次いで失踪したからだ。これについてはヤクザに攫われた等と噂が立ったが、噂より立ち入ってはいけない事件だと理解して彼等は事件から完全に目を背けた。
「私の婚約者だった
畠中さんは正義感が強くちょっと融通の利かない人物であったという。彼とは仕事で知り合って互いに一目惚れをしたという熱い話も交えた。
普段であれば他人の色恋なんて興味を抱かないが、此処までの話が中々にショッキングな表現が多く、清涼剤のようなスッとした気分になって聞けた。
「彼とは付き合って直ぐに婚約をしたわ。なんでも話せる間柄だったの。私を一人の女性として見てくれる数少ない人。情報のやりとりと、あれこれの将来について、この家で話していたわ。警察署に戻る彼を見送ったのが最期」
翌日に彼は自宅で見つかった。彼は両眼を持ち去られ、真っ赤な涙がベッドシーツに死に込み、祈る様に横たわっていたらしい。後輩を失った浅井刑事が忌々しく涙を流しながら言いにくそうに話したという。その話を聞いて未來理さんは直ぐに現場へと向かったそうだ。
「私ね、彼を見て、失礼な事を思っちゃったの」
ハイボールを一口飲んで、「なにこれ。気持ちが悪いわ……、って」自虐的に笑った。
「とうてい現実的な光景には見えなかった。血が乾いた髪なんてベットリと頭皮やシーツに張り付いていたのよ。後になって分かったんだけどね、彼、生きたまま眼玉を抉られたみたいなの。だから、あんな……苦痛と恐怖に顔が歪んでいたんだわ」
壁の薄いマンションに住む近隣からは争う物音や怒声などは聞いた覚えは無いとの証言。
「あんなに愛し合っていたのに、冷めちゃったの、彼に。酷い女よね、私って」
「酔いが回ってますね」
「そう、酔っていたの。愛とか結婚後の明るい未来に」
「榊希美はいつくらいから登場しますか」
自分ながら淡泊な人間だと思った。ここは未來理さんに優しい言葉でもかけておくべきだった。しかし自分には彼女の深い傷口を塞げるに足る言葉を持ち合わせてはいないのだから仕方がない。ならば早くこの話を最後まで聞いて終わりにしてしまうのが最善の優しさだと思えた。
「ちょうど今からかな。中野区ではある企業が世界に進出し始めていたの。防犯映像や電子セキュリティーに画期的な進化を遂げさせた千丈電子セキュリティー。その試作カメラが中野区に設置されていて、榊希美が被害者の自宅から出る瞬間を捉えていたのよ」
「なるほど」
「榊希美の姿は鮮明に映し出されていたわ。全国的に、内密に指名手配し、私たちもようやく事件解決の兆しが見えたと思い込んで舞い上がったものよ」
それからの進展はなく、されど被害者は増え続ける。警察やヤクザはそうとうに荒れていたという。どちらも硬派でいてプライドの高い組織に属しているのだ。あの手この手と使って日々奔走しているにもかかわらず、まるで自分たちをおちょくっているかのように次々と遺体から眼球を頂戴しているのだ。見境の無い犯行がいつ終わるのかも知れない疲労感も限界だったはずだ。
「真澄君より付き合いが長かった、宮野れん子っていう中学からのお友達も殺されたの。私の家で飲んだ翌日に。二人の近しい人間が私と会った翌日に殺されて、流石に精神的に参っていたのかもしれない。死んじゃおうかなぁって、気付いたら包丁を頸動脈に押し当ててた」
「よく思い留まれましたね」
犯人に繋がる日々の情報収集による疲労、近しい人間を短期間で二人も亡くした心労はそうとうのものだったはずだ。心身共に限界を迎えた人間は常人が考えもしない行動を、つい選択してしまうのも珍しくない。彼女が死を選択しそうであったように。
でも今こうして未來理さんが生きているのは、生きることに執着できる何かを見つけたからか。
生きる理由……。僕にはそんな崇高な輝きも希望もない。
これまで親の庇護下で生かされ、何かに真剣に打ち込むこともなかった怠惰で緩慢な人生。
ただ、生きているだけ。
ただ、生きていただけ。
ただ、生きていくだけ。
未來理さんのような状況下に自分が置かれたとき僕は何を選択するのだろうか。
「いま私が生きていられたのは、彼との想い出を思い出しちゃったからかな」
集中力が途切れたように、ふぅ、と酒の匂いを漂わせて、困ったように笑った。
「大切な人との想い出は生きる気力を湧かせてくれるのよ」
僕に大切な人はもういない。自殺してしまった。今まで信じてきた近しい者共の卑劣な裏切りによって。だから僕はもう、誰かを愛することも信じることもしない。愛せば愛するだけ失くした時の傷口が深くなる。未來理さんに拾われなかったら今頃は人知れず自ら命を絶っていた可能性だってある。
未來理さんが自ら死を選ぼうとしたように。
「それで、捜査はどうなったんですか」
「四苦八苦」
「はい……?」
「四苦八苦という四字熟語があるでしょう? 人間の煩悩の数の由来はこの四苦八苦から来ているという考えがあるのよ。四に九を掛けて三十六、八に九を掛けて七十二。二つを足して百八、ね」
「百八がなんだというのです? まさか、被害者の人数だとでも言うつもりじゃないですよね?」
「その通りよ」
「はぁ!? ちょっと待ってください。理解が出来ませんよ。だって、そんな……、馬鹿げています。百八人の犠牲者を出してまで……」
「自分の煩悩を消し去りたかったのかもしれないわね。自分の物差しで相手を測ることなんてできないわ」
「狂っている」
「私たちの物差しで測ればそうね。榊希美はそれを狂っているとは思っていないから、それだけの人を殺せたのよ」
背筋から全身が一気に体温が奪われた気がした。
そんな凶悪犯がまだ殺し足りなくて、この八王子で獲物を物色しながら、平然と人の皮を被って人として生きているというのか。
「結論を言うとね、私は榊希美を撃ったの。真澄君の遺体から拳銃を拝借して、追い詰めた私が撃ったんだけど、初めてだったから仕留められなかった。初めて人を撃った衝撃に手が震えて腰を抜かしちゃって、その間に逃げられちゃったのよ」
衝撃的な話ではあったが持田先生との話と辻褄が合った。
持田診療所に重傷を負った榊希美の話だ。そうなると今度は未來理さんの情報に焦点が向く。未來理さんが榊希美を撃ったなら、仮面を付けていたとしても二十代の女性を四十代の男性と見違えるはずもない。
距離が遠かったのか。女性の服を身につけてでもしていたのか。
「撃った時、榊希美は男性でしたか?」
「さあ、どうだったかしら」
嘘をついているような気がした。そんな笑顔だ。でもその嘘は僕を試そうとしているような、面白そうな口調だった。
未來理さんが撃った榊希美。持田診療所に現れた榊希美は女性。しかし、榊希美は男性だと言うのだから、不可解な謎だ。この謎に納得できる答えが思いつかなかった。
彼女の話を聞いて一件の殺害だけ例外があったことを素通りしそうになり、「殺人犯は若い女性を狙っていたんですよね。どうして、未來理さんの婚約者が殺されるんです?」その質問は当然してくると予測していた未來理さんは、「殺し方も流儀からかけ離れている。考えてみて、榊希美のイメージから」静かに答えて空になった酒缶をテーブルに置いた。
「え、だって、眼が抉り取られていたんですよね?」
「明日、一緒に出掛けましょう」
唐突な話題転換。これ以上事件の話をするつもりはないということなのか。「あの面について、浅井刑事たちと制作者の方にお話を聞きに行くわ」どうやら情報の裏取りができたようで、十一時に浅井刑事たちが迎えに来るようだ。
制作者には警察が話を聞くのかもしれないが、わざわざ未來理さんが出向くということは彼女も何かしらの役目を担っているということではないだろうか。僕は彼女がどういう立ち振る舞いをみせるのか興味があり、「新しい情報を引き出すから、見ていてね」彼女のその発言が裏取りだ。
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