第四話 〝妖精の騎士〟コラン・マヤールと錬金術師サン・ジェルマン伯爵

 第四話 〝妖精の騎士〟コラン・マヤールと錬金術師サン・ジェルマン伯爵


 ブルターニュ地方、イル・エ・ヴィレーヌ県、レンヌ郊外、霞がかった深い森の外れにある寄宿舎学校、『マゴニア学園』には、苔むした岩が並ぶ小川を隔てて、まるで合わせ鏡のように大聖堂を思わせる二つの校舎があり、一つは男子生徒が通う、『リヴ・ゴーシュ』、もう一つは女子生徒が通う、『リヴ・ドロワット』である。


 それぞれ、小等部、中等部、高等部があり、成績優秀な生徒は、男女共学の特別選抜クラス、通称、『嵐をテンペスタリイこす者達』に編入される事になる。


 現在、特別選抜クラス、『嵐を起こす者達』には、二人の生徒が所属している。


『リヴ・ドロワット』、高等部二年生の成績第一位が〝人形姫〟フィネットなら、『リヴ・ゴーシュ』、高等部三年生の成績第一位は、〝妖精の騎士〟コラン・マヤールである。


 マヤールもまた、成績が優秀なだけではなく、容姿も端麗と来ている。


 彼の家族構成は同級生の誰一人として知らなかったが、本人の洗練された立ち居振る舞いからどこぞの貴族の嫡子なのではないかと実しやかに噂されていた。


 確かに彼には、余人にはない高貴な雰囲気を感じざるを得ないし、穏やかな笑顔と愛想のよさから、女子生徒の憧れの対象となり、いつからか〝妖精の騎士〟などと呼ばれ、持てはやされていた。


 普段、〝妖精の騎士〟がどこで過ごしているのかと言えば、彼に夢中である女子生徒達の話によると、特別選抜クラスの専用校舎、通称、『空中庭園』の中庭にいるらしい。


 その名の通り、バビロンの空中庭園のように階段上の建物で、何層かある階段には、大きな柳の木が垂れていたり、シダの葉が這っていたり、色とりどりの季節の草花が咲き誇る。


 庭園を見上げながら中央の通路を行けば、鉄門に閉ざされた中庭が見えてくるが、早朝や夕方には、寄宿舎と『空中庭園』を行き来する、彼の姿をよく見かけるという。


 マヤールは中庭に続く通路の片隅に置かれた長椅子に座り、鉄門を隔てた向こう側、視界いっぱいに咲き誇るトリコロールの薔薇の花を、何を思ってそうしているのか、ただじっと眺めているそうである。


 他にも、『空中庭園』の中庭には、いつも薔薇の花に水をやっている女子生徒の姿を見る事ができた。


 やはり学年一位の成績を誇る高等部二年生、〝人形姫〟、フィネットである。


 もちろん、彼らの他にも『空中庭園』を訪れる者はいる。


 例え話す事はできなかったとしても一目でいいから憧れの〝人形姫〟、フィネットに会いたいと思う男子生徒だったり、〝妖精の騎士〟マヤールに会いたいと思う女子生徒である。


 噂ではお菓子と珈琲好きのマヤールの気分次第で、その場で一時、茶話会に誘われる事もあるという。


 もう一つ、誰が言い始めたのか、こんな可愛い噂もある——〝妖精の騎士〟マヤールは、お菓子しか食べないと。


 マヤールはその日の夕方、専用校舎の給湯台で珈琲を淹れている途中、『空中庭園』の中庭にふいに足を踏み入れてきた、闖入者の存在に気付いた。


「——こんにちは」


 マヤールは偶然、見つけた招かれざるお客に対して、屈託のない笑顔で挨拶をした。


「うわ!?」


 どうやらお忍びでやって来たらしく、男子生徒は素っ頓狂な声を上げた。


「こんにちは、アヴナンさん。こんな時間にどうしたんですか?」


 お菓子と珈琲を載せたお盆を長椅子のそばに設置された小さな卓子の上に置き、突然現れた下級生ににこやかに質問した。


「いや、何か用があって来た訳じゃないんですよ! ちょっと通りかかっただけなんです!」


 アヴナンはしどろもどろだった。


 だがアヴナンの視線の先、鉄柵を隔てた中庭の向こうでは〝人形姫〟フィネットが、トリコロールの薔薇の花にじょうろで水をやっている。


 まるで美しいビスク・ドールのように整った目鼻立ち、いかにも人形のように無表情なところから、〝人形姫〟などとあだ名されている少女。


「……まさかアヴナンさん、あの子に会いに来たんですか? こんな時間に会いに来て、どうしようっていうんですか?」


 マヤールは物言いこそ柔らかい調子のままだったが、視線には鋭いものがあった。


「アヴナンさんはただ通りかかっただけ、それだけですよね」


「は、はい、まあ、そんなところですよ」


 アヴナンは図星らしく、あたふたとしていた。


〝人形姫〟は淡々と水をやっている。


「あの子の事が気になりますか?」


 追い討ちをかけるように聞いた。


「確かあの子、俺と同じ学年の、〝人形姫〟って呼ばれている子ですよね。なんだか本当に人形みたいですね、俺達の事も気にしてないみたいだし、表情も変わらないし」


 アヴナンは〝人形姫〟について話しているものの、自分がここにやって来た理由について言及しようとせず、話を逸らそうとしているようだった。


「——人形みたい、ですか」


 マヤールは聞き咎めるように言った。


「ええ、これだけ周囲に無関心だと〝人形姫〟と言われるのも納得ですよ。だけど、実際、事に及んだらどんな反応を示すのかな」


 アヴナンは意味ありげな事を言って、一瞬、下卑た笑みを浮かべた。


「ここは学校です。いくら冗談のつもりでも感心しませんね」


 マヤールは眉を顰めた。


「その通りだ」


 と、二人の会話に入って来たのは、すらりとした長身の男子生徒だった。


「アヴナン、こんなところにいたのか」


 アヴナンの同級生と思しき長身の男子生徒は、彼の隣に並んで立って言った。


「ああ、悪い悪い、リュドヴィク。ちょうど通りかかったら、あまりにも『硝子の庭園』が綺麗なものだったから」


「確かにね」


 が、アヴナンとリュドヴィクの視線の先にあるのは、『空中庭園』の中庭に咲き誇るトリコロールの薔薇の花などではなく、薔薇の花に水やりをしている一人の少女である事は明らかだった。


「ところでマヤール先輩、ここに出入りできるのは特別選抜クラスの先輩と、俺達と同じ学年の、もう一人の女子だけなんですよね?」


 リュドヴィクの視線は鉄柵に隔てられた向こう側、中庭に向けられたまま、彼女の事をじっと見つめている。


「はい」


 マヤールは頷いた。


「それじゃ中庭の鉄門を開けてくれませんか? こうして出会ったのも何かの縁だ。俺達も中庭を散歩してみたい」


 リュドヴィクはこれっぽっちも散歩したいなどとは思ってはいないだろう。


「そりゃあいいや! 俺もこんなに色んな薔薇の花が咲いているところなんか見た事がないし、一度、近くで見てみたい!」


 アヴナンも両手を上げて賛成した。


「どうしたんですか、早く開けて下さいよ」


 リュドヴィクはマヤールがなかなか鉄門に向かおうとしない様子を見て、早く開けてくれるよう促した。


「……悪いけど、君達を〝薔薇の中庭〟に入れる訳にはいかないな」


 マヤールは穏やかな微笑みはそのままにはっきりと断った。


「僕達も寄宿舎学校の生徒だ、見学ぐらいさせてくれたっていいんじゃないですか?」


「そうそう、見学ぐらいさせて下さいよ」


 アヴナンとリュドヴィクは負けじと食い下がった。


「…………」


 マヤールは〝薔薇の中庭〟に続く鉄門の前にまるで警備員のように立った。


「マヤール先輩、〝人形姫〟も僕達と話せば、少しは気分転換になるんじゃないですかね」


「そりゃ俺達が、突然、入ってきたら驚くかも知れないけど、ちょっと世間話をすればすぐに打ち解けると思いますよ」


 二人は自信満々だった。


 マヤールは好き勝手言っている二人を冷たい目で見やる。


 マヤールの視線の冷たさに気づき、アヴナンとリュドヴィクは思わず口を噤んだ。


「……私はみんなから〝妖精の騎士〟なんて呼ばれているけど、騎士はお姫様を守る為にいるんだよ」


 マヤールが自嘲気味に言うと、二人は呆気に取られた。


「〝妖精の騎士〟だって?」


 リュドヴィクが嘲笑うように言って、アヴナンも吹き出した。


 マヤールだけが大真面目な顔をして、こくりと頷いた。


「おいおい、ちょっとばかり女子生徒に持ち上げられているからって、天狗になっているんじゃないのか」


 リュドヴィクはいかにも気に食わないというように、詰問するように言った。


「俺達とどれほど違いがあるっていうんだ」


 アヴナンも不満げである。


「リュドヴィク、君は彼女がいながら浮気をして、彼女の事を傷つけ、悲しませたね。そんな男にフィネットの笑顔を取り戻す事ができるとは思えない」


 マヤールはおもむろに言った。


「僕にはフィネットがそんな人に笑顔を見せるなどとは思えない。そんな人間が彼女の涙を拭うはずがない」


 マヤールはそして、アヴナンを見やる。


「アヴナン、君にも彼女がいるね。君は彼女と同じ進学先を選んで、本当なら毎日、勉強に打ち込んでいるはずだ。彼女と一緒に、勉強すると約束したはずだ。なのに君は、今日もこんなところに羽を伸ばしている。最初から君には彼女と同じ道を歩んでいくという気持ちも、一緒に勉強するつもりもなかったんだな」


 マヤールは悲しげに言った。


「僕にはそんな男にフィネットの笑顔を取り戻す事ができるとは思えない。そんな人間が彼女に近づけば、いたずらに彼女の心を傷つけるだけだ」


 マヤールの赤く血に染まったような瞳が射抜くように二人を睨んだ途端、彼らは金縛りに遭ったように動けなくなった。


「さあ、ここで起きた事は忘れて眠りにつくといい。そして目覚めた後は二度とここに足を踏み入れてはならない……それは決して、〝妖精の騎士〟が許さない」


 マヤールの催眠術師のような一言で二人の男子生徒達は、がくんと崩れ落ちるように深い眠りに落ちた。


「——フィネット」


 マヤールは〝薔薇の中庭〟に続く鉄門を開け、トリコロールの薔薇の花に黙々と水をやっている少女の名を呼んだ。


 すでに夜の帳が下りていた。


 周囲には僅かに外灯があるだけで、辺りは夜の底に沈んでいるかのように暗い。


「君は笑顔を失っても尚、人を惹きつける魅力があるんだね。できれば笑顔を取り戻してあげたいけど、僕にできる事と言ったら人間に化けて学校に忍び込み、邪魔者を追い返す事ぐらいだ……何しろ僕は、人食い鬼だからね」


 マヤールは——いや、人食い鬼のロベールは正体を現し、寂しげに独りごちた。


 ここに〝妖精の騎士〟はいない。


 人食い鬼の角隠しの為に黒い三角のフリジア帽を被り、茶色いジャケットを羽織ったサンキュロット姿——『お菓子の家』に迷い込んできた〝人形姫〟のその後が気になり、彼女の様子を見守る為に人間の青年に化けて『マゴニア学園』に忍び込んだ人食い鬼がいた。


 そう、コラン・マヤールは、人間の青年に化けた、人食い鬼のロベールだったのである。


「でも……それでも、いつか、一緒に……」


「いつか、一緒に、なんだって言うんだ?」


 茂みの向こうから、誰かの声が聞こえた。


「ヴェルダン先生? こんな時間に、いったいどうしたんですか?」


 ロベールは驚いたように言った。


「おいおい、そりゃあないだろう。せっかく君が寝かしつけた悪ガキ二人を、寄宿舎に連れ帰ってやろうっていうのに。ちょっとは〝薔薇の中庭〟に招いて、おもてなししようっていう気持ちはないのか?」


「生憎、そんな気分じゃないですね。一刻も早くこの人達を連れていって下さいよ」


「判った判った」


 ヴェルダンが釣り糸で操り人形を動かすような仕草をすると、二人の男子生徒はそれこそ操り人形のように眠りについたままぴょこんと立ち上がった。


 どうやらこのヴェルダンという男、只者ではないらしく、二人ともそのまま、夢遊病者のように歩いて行く。


「ああ、そうそう、これを忘れちゃいけない」


 ヴェルダンはふと思い出したように言った。


「なんですか?」


 ロベールはなぜか眉を顰め、身構えるようにして言った。


「なに、『お菓子の家』に立ち寄ったら君の姿はないし、これは置きっ放しだったし、だからわざわざ、こうして持ってきたんだよ」


 ヴェルダンは懐から、硝子の小瓶を取り出した。


「さあ、どんなに平静を装ったところで私にはお見通しだよ、君は今日も悲しみに暮れているね。その涙を頂戴しよう」


 ヴェルダンはにんまり笑って、ロベールの頬に硝子の小瓶を寄せた。


「…………」


 ロベールはまるで観念したように目を閉じ、されるがまま。


 すると青年の頬から、きらきらとした銀の粒が飛び散った。


「もういいですか?」


 ロベールは不機嫌そうに言った。


「大量、大量」


 ヴェルダンは今し方、涙の雫を回収した硝子の小瓶を揺らして、ご満悦な様子である。


「そんなものを集めて、何になるって言うんですか?」


 ロベールは怪訝そうな顔をした。


「おやおや、君はまだ私の言う事が信じられないのかな? 私の魔法の小瓶、『落涙の瓶詰め』に誰かの事を思って流した涙の雫が一定量溜まったところに賢者の石の粉末を上手い事調合すれば、虹色に煌めく飴玉、〝空知らぬ雨〟が出来上がる」


 ヴェルダンは得意げな顔をして言った。


「その話はもう何度も聞きました。でも、小洒落た名前をした飴玉は一向に完成しないじゃないですか?」


「まあまあ、こいつは世にも珍しい飴玉だからね。完成させるにはそれなりの手間と時間が掛かるんだよ。君の片思いが溶けた〝空知らぬ雨〟、彼女が虹色に煌めく飴玉を舐めれば、きっと心を取り戻す事になるだろうな」


 ヴェルダンはいつになく真剣な顔をして言った。


「……本当ですか?」


 ロベールは疑いの眼差しを向けた。


「ああ、本当だとも、君も私の正体を知らない訳じゃあるまい?」


 ヴェルダンはまるでロベールの事をからかっているように言った。


「サン・ジェルマン伯爵」


 ロベールを思わず、その名を口にした。


 サン・ジェルマン伯爵と言えば、フランス革命前夜、突如として、花の都、パリに現れ、一躍、社交界の寵児となった、不老不死と言われた錬金術師の名である。


「そう、錬金術を究めて一度は『賢者の石』を完成させ不老不死すら手に入れた私にとって、人の心を取り戻す飴玉を作る事など造作もない事だよ」


 ヴェルダンこと、サン・ジェルマン伯爵は自信満々だった。


「だが、あまりにも長く生きていると退屈で仕方ない。君のような人と出会うと、いい刺激になるよ。これから君は今より辛く悲しい目に遭うかも知れない、自分と同じく何がしか引き裂かれた境遇にある人と出会う事もあるだろう。人は必ず生き別れ、死に別れる事になる。それは不老不死の私からすれば、永遠の苦しみになるが……その出会いに意味がない訳じゃない」


 ヴェルダンは、いったい、何がそんなに楽しいのか、いやに笑っていた。


「例えば全てに飽き飽きし始めた私にとっては、君と彼女の出会いは人間らしさを思い出させてもらえるいい機会だしね。御用の際はいつでも言ってくれ。また近いうちに、おいしいお菓子を食べに行くよ」


 ヴェルダンはいっそ悲しげなまでに、優しい目をして笑って言った。


 ロベールはたった一人取り残された夜の底で〝人形姫〟の笑顔を夢見て、ただただ悲しみに暮れていた。


 ——いつか……。


 今日まで誰とも関わって来なかった分、人間とは何なのか知りたい、他人の人間らしいところを見たいのだ。


 ——いつか一緒に……。


 だから。


 ——いつか一緒に、フィネットと笑顔を交わしてみたい。


 今夜、まるで祈りを捧げるように彼女の事を思っていた、人食い鬼の涙が枯れる事はなかった。

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