第12話 無様な僕とアヒルの涙

 レースも終盤にさしかかる。


 いまだに僕は先頭を走っている。後方から誰かが追い上げてくる気配は全くない。走りながら振り返って確かめてみる。二番手の男子は遙か遠くだ。


(おかしいな……。いつのまに僕はこんなに足が速くなったんだろ)


 よくよく考えてみると、僕は今までのマラソン大会はいつも休んでいたし、運動会もここ最近は参加していなかった。要するに他人と比べる機会がなかったのです。どうやら、毎日の公園でのジョギングは、僕にマラソン大会で優勝してしまうほどの走力を培ってしまったようだ。


(もしもこのまま僕がトップでゴールしてしまったら大事件になっちゃう)


 とたんに、僕の吐く息が焦りの色を帯びてくる。まるで焦燥感を追っかけて走っているようなそんな感じだ。


 前方にT字路が見えてきた。


 ここを左に曲がって坂を上りきったところはもう校門だ。そこを入って校庭を一周してしまえばゴールしてしまう。


(どうしよう……)


 もう一度、願う気持ちで振り返ってみる。二番手との差は縮まっていない。このままのペースだと追い抜いてくれそうにない。


(── 優勝なんて、ゼッタイにごめんだ。僕は目立ちたくなんてないんだ。それに、誰も僕が一番になることなんか望んじゃいない)


 戸惑いながらも、T字路を左へ曲がる。カーブミラーに映りこんだ自分の姿が歪んで見える。最後の坂を登り始めてもやはり誰も追いすがってはこない。


(このままじゃ……ほんとにやばい)


 僕はここで強硬手段に出た。


 坂の途中でわざと急減速した。やってはいけないことだとはわかっていた。でも僕は自分に……負けた。 


 ほとんど歩いているのと変わらないスピードになった僕を後続の男子たちが次々と抜き去っていった。


 何人ものひとたちに追い抜かれていくうちに、なんだか自分が情けなくなってきた。そもそも今日のマラソン大会に参加したのは、トミ丸君というはじめての友達ができたことによって僕の中で何かが変わったような気がしたからだった。


(それなのにこの有様ったらなんだ。今までと何も変わっちゃいないじゃないか)


 僕はそんな自分がたまらなく嫌になった。


 そこへ、追い打ちをかけるように、背後からずしりと重みのある足音が聞こえてきた。振り向くとヤマモトモウタが必死の形相で迫り来ている。


(ヤマモトモウタだけには負けたくない)


 微かに残っていたプライドがそう思わせた。だけど、思いとは裏腹に、足がうまく動いてくれない。そうこうしているうちに、ヤマモトモウタにさえあっさりと抜かれてしまった。


(……僕にはプライドのかけらさえ残っていなかったのか……)


 足が完全に止まった。


 離れてゆくヤマモトモウタの後ろ姿を呆然と見送っているとき、僕の耳に信じられない声が飛び込んできた。


「クエー」 


 他ならぬアヒルの声だ。


 急いで辺りを見まわす。すると道の端の側溝のなかから彼が顔だけを出してこちらを見ているその目と目が合った。


(どうしてこんなところに……)


 アヒルのその目は同情のまなざしではなかった。情けない僕を見て失望しているように見えた。その目にキラリと光るものを認めた。もちろん彼は泣いてるわけじゃない。アヒルという動物には、時々、目から油分がでる特徴があるということを僕は知ってる。でも、今の僕にはアヒルが本当に泣いているように思えた。


 また何人かが追い抜いていった。


 僕はその場に立ち尽くしたままでいた。


 アヒルはそんな僕をただじっと見つめて続けていた。

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