38 新しい日常へ

 毎年のように異常気象が起こるので、雷を伴った突然の豪雨も当たり前になっているが、幸い今回も大した被害は出なかったようだ。

 かなり酷い豪雨だったようだが、風も強かったらしく、季節外れの爆弾低気圧といった感じだった。

 ……などと、助手席に座った親父が、運転手と軽快なトークを続けている。

 見た目の威圧感に反する、このコミュニケーション能力の高さに毎度驚かされるが、この時に限って言えば、とてもありがたかった。


 親父とタクシーに乗るなんてことは、たぶん初めてだろう。

 順調に車が流れれば十分とかからない距離とはいえ、親父が俺に話しかけるところを他人に聞かれるのは、本当に勘弁してほしい。

 それだけに、運転手が親父の話相手になってくれたのは助かった。


 突然の異常気象は、黒い蛇男ブラックバイパーの影響らしい。

 俺が戦線離脱した後、無事に浄化が終わり、現実世界に現れた荒天も収まったという報告を受けた。

 秋月神社も、安全が確認できたとして封鎖が解かれたらしい。


 俺の左隣には鈴音の入ったキャリーバッグが置かれていて、そのバッグを挟むようにして、さらにその隣に美晴が座っている。

 美晴がこうやって世話を焼いてくれているのは、以前の恩返しだ。本人がそう言っていた。

 美晴の父親──俺にとっては叔父だが──は、心配そうにしていたが、俺は口を挟まず当人同士の話し合いに任せた。

 そりゃまあ、父親としたら、親戚とはいえ若い男のところへ娘が頻繁に出入りするとなったら、心配ぐらいはするだろう。

 でも、押しの弱い叔父さんだけに、こういう結果になった。

 ……なんてことを考えていると、目的地が近付いてきた。




 タクシーが止まったのは静熊神社の前だった。


 なんせ、うちのアパートは不便な場所だし、部屋は二階だ。だから、鈴音の勧めで、松葉杖生活に慣れるまで神社で暮らすことになった。

 それに、すでに親父たちは、その家で厄介になっている。

 俺を訪ねてやってきた親父たちの応対をした三藤さんが、まだ泊まるところが決まってないのならと勧めたらしい。

 勧めた後で、あとの二人が夜霧母娘よぎりおやこだと知って仰天していたようだが。


 先に下りた美晴は、キャリーバッグを下ろし、足元に寝かせてあった松葉杖を取り出すと、俺に手を貸してくれた。


「悪いな、美晴」

「なにゆうてんのん。こんぐらいで謝ってたら、しばらくずっと謝りっぱなしやで? せやし、うたやろ? これは恩返しなんやから、兄さんは気にせんでええって」


 楽しそうに笑って、キャリーバッグを抱え上げる。

 その間に、親父が荷物を全部下ろし、迎えに出てきた時末さんと一緒に家へと運び始めた。


「ありがとうございます、時末さん。しばらく世話になります」

「何を仰いますか、繰形殿。ワシは留守を任された身ではありますが、ここは繰形殿の家も同然。遠慮なく使ってくだされ」

「そういえば、三藤さんは?」


 授与所は閉まっているし、神社の敷地内に気配はない。

 あるのは……参拝者を除けば、ミヤチとユカリの気配だけだ。


「ふむ、それが養成所に戻らねばならぬということで、ついさっき出立された所で。残念ながら、入れ違いになりましたな。繰形殿に会えぬことを、非常に残念に思っておられましたぞ」

「そうか、悪いことをしたな。俺も顔を見たかったし、直接お礼も言いたかったんだが……」

「後ほどにでも、報せを送っておきましょう」


 ケータイは病院にあったが、電池が切れていた。

 三藤さんや会社に連絡するにしても、充電をしてからだ。


 たった数日ぶりなのに、石畳を歩くと、なんだか懐かしくて仕方がない。ようやく戻ってきたことが実感できたって感じだ。

 正面の拝殿に、右側に見える社務所を兼ねた住居。そして、左に広がる自然……

 蛇神の祠のほうを見る。話に聞いていた通り、代わりの箱に置き換わっていた。

 あの場所で俺はオオワシと対峙して……

 などと、感傷に浸っても仕方がない。もう、あの事件は終わったのだ。


「美晴、鈴音を……」

「あっ、せやな」


 バッグから出た鈴音は、う~んと伸びをしてから、ぶるぶると身体を振っている。やはりバッグの中は窮屈で退屈だったんだろう。

 こちらに向かってペコリとお辞儀をすると、家の裏手のほうへと走って行った。


 玄関には、俺の為に椅子が置かれてあった。バケツと濡れタオルも。

 ここに座って靴を脱ぎ、杖の先を綺麗に拭くためだ。

 三藤さんが用意しておいてくれたらしい。

 心の中で感謝しつつ椅子に座ると、後は全て美晴がやってくれた。

 それを見て、なぜか親父がハンカチを取り出し、目頭を押さえて出てもいない涙を拭うフリをする。


「ああ…、我が最愛の息子に、こんな出来た嫁が……」

「おいっ! 冗談にも時と場合があるからな!」


 さすがにコレは無い。最後まで言わせず、警告する。

 俺を相手にからかうのは百歩譲っていいとしてもだ、美晴を絡めてからかうのはさすがにやり過ぎだ。

 多少気まずくなるぐらいなら構わんが、避けられるようになったら悲しい。


「あら、お義父とうさまっ。できた嫁だなんて、嬉しいですわっ」


 だけど、悪ノリなら美晴も負けてなかった。

 むしろ、更に暴走させていく。


「まあ、けど、せやな。兄さんが寝たきりになっても、アタシがちゃんと最後まで面倒みたるから、安心してええよ」

「ああ……、本当によくできた嫁だ。息子も幸せ者だな……」


 再び、ハンカチで涙を拭う小芝居を始める。

 際限なくボケ続ける二人に、俺は心の奥底から声を絞り出し……


「頼むから、誰か何とかしてくれ……」


 そう神様に祈った。

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