死んで巻き戻りましたが、婚約者の王太子が追いかけて来ます。

綾南みか

1 血の海に横たわる


 アリゼは自分の吐いた血の海に横たわっていた。


 こんな男なんか好きじゃなかった。目の前にいた金髪碧眼の男は、騎士に護衛されてこの場を離れて、もういない。


 急に喉の奥が乾いてただれて、目の奥が真っ赤に燃えるようになって、喉を掻きむしって苦しんだ。夜会に参加していた人々は悲鳴を上げて逃げた。

 アリゼは血を吐いてその場に頽れた。


 直ちに近衛兵達が来て、人々を別室に誘導し、その場を囲んで保全し、検分の魔法医が呼ばれた。彼はその場を検分した後、アリゼの手を取って脈を診て、開いたアリゼの瞼を光を当てて調べてから閉じた。


「死亡しております。吐しゃ物の中の溶けた丸薬の残りに毒素の反応がございます。食して1~3時間程度経過しているかと思われます」

「そうか、ご苦労であった」


 衛兵がねぎらって、アリゼの身体は布を被され、どこかに運ばれて行く。もう意識が無くなる。


 どうして……。

 もう一度、アリゼは声にならない声で呟いた。



  ◇◇


 マクマオン侯爵令嬢アリゼは、12歳の時に王太子フランソワと婚約した。完全な政略の為の婚約であった。

 王太子フランソワはこの時、アリゼより3歳年上の15歳。王立学園に通っていて、取り巻きの令息令嬢がいて、その周りは賑やかだった。


 アリゼは15歳になって、王立学園に通うようになり、王太子妃教育を受けることとなった。王立学園を卒業と同時に、フランソワと婚姻する。

 王宮で王太子フランソワと時折すれ違う。国王の補佐として執務を執る金髪碧眼の美しい王子には大抵、男女の取り巻きがいて近付けもしない。彼らはアリゼを敵対視するように睨みつける。


 その中に金髪の美しい令嬢がいる。パストレ侯爵令嬢ジャニーヌであった。

 アリゼは鈍色の様な銀髪で目の色も薄いグレーのみすぼらしい少女だった。ジャニーヌは蔑むようにアリゼを見て、フランソワの身体にそっと手を置き寄り添う。


「わたくしは、あのようなみすぼらしい方にも見劣るのでございましょうか」

 王子に言っても仕方がない事をこれ見よがしに言う。

「そんなことはございませんよ」

「ジャニーヌ様のように美しい方が二人とおられましょうか」

「どこぞのネズミのような方とは違います」

 取り巻き達が口々に言う。ジャニーヌは「まあ、ネズミだなんて」と、口元に扇を当てる。王子はチラリとアリゼを見るが何も言わない。そして取り巻き達とどこかへ行ってしまう。


 すると、王太子の弟のリシャールが現れて、アリゼを慰めるのだ。

「兄上は酷いと思います」

 フランソワの異母弟リシャールはアリゼよりひとつ年上だ。王太子より少し線が細くて優し気な少年だ。

「リシャール殿下。仕方がないのですわ、私は痩せてみすぼらしいのですもの」

「あなたはお綺麗ですよ。成績も良いのに、私は兄が許せない」

 気の抜けない王宮で、庇ってくれる相手がいるのは嬉しいことだが、この言い様はどうだろう。



 案の定、それを王太子に告げ口する者がいる。

「アリゼ、リシャールを焚きつけているのか、どういう積もりだ」

「私は別に……」

 アリゼが思いがけず優秀であったので、余計に疑いの言葉を吐く。

「少しばかり成績が良かったからといってお前は──、如何わしい事に手を染めているんじゃないのか」

「どうして、そのような事を──」

 如何わしい事とは何だろう。


 おかしなことを言われる覚えはないけれど、アリゼは大人しくて恥ずかしがり屋で、フランソワが話しかけると顔が赤く染まり、緊張してまともに話も出来ない。

 傍から見れば、彼に図星を指されているように見えた。


「真っ赤になって言い訳をするな」

「まあ、怪しゅうございますこと」

「殿下、このような女は何を企んでいるか分かりませんよ」

 フランソワの取り巻きが余計に煽って収拾がつかなくなる。


「ここまで露見して、どうして身を引かないのか不思議でございますわ」

 詰るように言うのはジャニーヌだった。

「サッサと殿下を自由にしてあげて下さいまし」

「もういい」

 フランソワはそのジャニーヌの差し出がましい言葉に鼻白んで、取り巻きを引き連れて行ってしまう。


 アリゼには逃げ場がなかった。王立学園を卒業すればフランソワと結婚しなければならない。とても彼の妃が務まるとは思えないのに。

 しかし、アリゼは誰にも何も言わずに俯いて過ごした。他にどうしたらいいか知らなかったのだ。


 そして、アリゼの卒業が近付いたある日の夜会で、毒を盛られて死んでしまった。

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