第十一章 ②

「あの頃、私と父は母を桜病さくらびょうで亡くしたばかりで、悲しみの奥底に心を囚われていました。


 まもなくして私の体にも母が患っていた病と同じ斑点が現れはじめ、父は毎夜泣きながら、私の病気を治す治療法を探していました。


 しかし、私の病は斑点と軽いだるさがあるだけで、それ以上悪化するということはありませんでした。


 そうしたら何を思ったのか、父は病を治すためと言って、毎日私に『血を採ろう』と言うようになりました。


 初めは、採血さいけつが痛くて怖くて拒んでいましたが、父はそのたびに悲しそうな顔をするのです」


 強制はされなかった。


 ただお願いされるだけだった。


「私は父の悲しそうな顔を見ることが嫌で、父に腕を差し出しました。


 すると父は一転、とてもいい笑顔で笑ってくれました。


 母が死んで以来、笑うことの無かった父が、笑みを見せてくれたことが嬉しく、私は請われるまま血を与えました」


 それがどういう結果をもたらすかも分からずに。


「思えばこの時、すでに父はおかしかったのだと思います」


 それでもその時は、父が笑ってくれるのならなんでもよかった。


 父が喜んでくれるのなら自分がもっているものすべてを与えられた。


 そうすることで、大好きだった母が生きていた頃の優しい父が戻ってくると信じていたから。


「けれど、幼い私が見て見ぬふりをしていた父の、笑顔の裏に潜むほの暗い部分が大きくなるにつれ、自身でも気づかないうちに、私の心にはひずみが生まれていました。


 そしてその歪みが大きくなるにつれ、私は父のことが意味も分からず、段々と怖くなっていきました」


 もう痛まないはずの注射痕の残る腕を、もう一方の手で強く掴む。


「ついには大好きだった父の笑顔でさえ、そら恐ろしく感じるようになり、しらずしらずのうちに身体が震えを起こすようになりました。


 そしてある日、採血しようとこちらに手を伸ばしてくる父の手を打ち払ったのです」


 自分で自分の行動が信じられなかった。


 父は笑顔を浮かべていたのに、ただただその手が怖かった。


「気まずくなり、私は逃げるように家を飛び出しました。


 行くあてはありません。


 でもその現状から逃げ出したくて、わき目も振らず、走って、走って、走り続けました。


 疲れて足が動かせなくなると、途方に暮れ、近くの壁にもたれてしゃがみ込みました」


――あの時何を考えていただろう。


 明確には覚えてはいない。


 ただただ胸の中が真っ暗なものに覆い尽くされていたことは覚えている。


「そんな時、うつむいて暗い私の視界に、淡く光る小さな花びらが入ってきました。


 導かれるよう顔を上げると、もたれていた白塀からこちらを除くように薄紅の花をつけた枝が伸びていました。


 木は塀の裏に幹があるようで、私は興味を惹かれ、もっと間近で見てみたいと思いました。


 幸いにも、塀には小さく穴が開いており、私はそこから中に入る事にしました」


 その日は白いワンピースを着ていたが、それをいとわず、頭から穴に突っ込んだ。


「強引に穴を抜けるとそこには、紅く色めいた枝を天に向かって悠々ゆうゆうと伸ばす、大きな木がありました。


 花自体はあまり咲いていませんでしたが、開花間近のふっくらとした蕾をいっぱいにつけたその木は、全部が真っ紅まっかに染まっていました。


 それはまるで、全身にくまなく血が巡っているようで、生きる力に満ち満ちていました」


 父に請われるまま、何のためとわからず血を提供している自分とは違い、隅々すみずみまで血を流している。


「そのような木の在り様に、私は幼い子どもながら魅入られました。


 そして私が木に見入っていると、いつのまにか側に美しい男の子が立っていました。


 桐秋様、貴女様です」


 女は花がほころぶように笑う。

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