第六章 ①

 朝晩は暑さが落ち着き、夕方近くになるとひぐらしの鳴き声が、秋の気配を感じさせる季節の変わり目。


 カナカナとなる虫の声はどこか人の気持ちを切なくさせる。


 秋の匂いを感じつつも、汗ばむ日の続く、ある日の午後三時。


 千鶴ちづるは銀座で買ってきたというアイスクリームを母屋からもらってきていた。


 アイスクリームを分けてくれた女中頭じょちゅうがしらは、桐秋きりあきの分だけでなく、千鶴の分もと多めに分けてくれた。


 それを聞いた桐秋は、縁側で食べようと千鶴を誘う。


 笑顔で頷いた千鶴は、赤、青、二つの切子きりこグラスにアイスクリームを盛り付け、小さなスプーンを添えて縁側に運ぶ。


 桐秋は学生の頃、何度か口にしたことがあるらしいが、千鶴は初めてしょくす。


 いつものように桐秋が一口食べたことを確認してから、千鶴もアイスクリームに手をつける。


 アイスクリームは丸い球状になっていて、小さなスプーンですくい取って食べる。中央にさじを差すが、凍っていて固く、深くまで入っていかない。


 直前まで母屋の氷結室ひょうけつしつに入れていたからだろうか。


 千鶴は桐秋の方をちらりと見る。


 桐秋は少しスプーンを押し込むようにして、スムーズに食べている。


 千鶴はそれを見てもっと力を加えるのかと考える。


 アイスクリームの端に力を入れてスプーンを差す。


 ところが丸いかたまりはつるんと赤い器の中を逃げた。


 千鶴は悔しい気持ちになり、切子のびーどろと匙をかちゃかちゃと鳴らし、頑固な丸と格闘する。


 その姿を面白そうに観察していた桐秋は、千鶴の器をひょいっと取り上げ、両手で包むようにアイスクリームの入ったグラスを持つ。


 千鶴は驚いて桐秋の方を見るが、桐秋はじっとして動かない。


 手が冷たいだろうと千鶴が声をかけようとした時、


「もういいだろう」


 そう言って桐秋が千鶴に器を返してくれた。


 千鶴がアイスクリームにスプーンを入れると、先ほどとは違ってなめらかに匙が通るようになっていた。 


 桐秋はこのために器を手でかこい温めてくれたのだ。


 千鶴は桐秋の配慮に感謝しながら、アイスクリームを口に運ぶ。

 

 それは口の中をまろやかに冷やしながら、あっという間にとけていった。


 シロップをかけて食べるかき氷とは違う、ゆっくりと口の中に浸透していく牛乳の柔らかな甘みに千鶴の顔は思わずほころぶ。


 そんな至福の顔を浮かべている千鶴の姿を、桐秋も穏やかな顔で見つめる。


 遠くの方では、日の入りを知らせる秋の虫達が鳴き始める。けれど二人の元まで、まだ、その音は届かない。

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