キミが死ぬだけの異世界奇譚

兎蛍

第1話 自殺の国

 何も思いつかなかったから遺書は書かなかった。

 

 僕に希死念慮が遅れてやってきたのは、多分、それまでの人生で死ぬということを考えたことがなかったからだと思う。

 それは別に、今までが幸せだったからではなく、ただ無気力に、死んだように生きるのがずっと当たり前で、死ぬだの生きる気力がないだの、そもそも発想がなかったからに過ぎない。

 ずっとそれが普通だった。


 だから京花きょうかが死んだ後も、3日くらいは何も考えず学校に行っていた。ずっと現実味がなかった。


 あの朝、僕は普通に登校した。いつも早めに来ていた京花が、予鈴が鳴っても来なかった。嫌な予感がした。いつもより遅く来た担任が、わざとらしく重苦しい空気を作って京花が自殺したことをクラスに知らせた。

 多分、僕だけがその動機に気付いていた。

 そこからは、誰の言葉も耳に入らなかった。

 変に気遣うような友達の言葉も、教師からの尋問も。何にも心が動かなくて、とにかく息苦しかった。昨日まで普通に話していたはずのあの子が、別れすら言ってこないまま二度と会えない人になってしまった。


 周りの人の記憶、自分を取り巻く環境、全部から京花が生きていた痕跡は少しずつ消えていく。それが耐えられなかった。

 彼女の輪郭や声、何気ない仕草まで、強迫観念に追い立てられるまま、その記憶を手放さないようにした。それ以外のこと全部、ついでだった。

 朝が来たから身体を起こして、家と学校を往復して1人の時間の多くを蹲ってやり過ごす。そんなのを何回か繰り返して、気付くと葬式も終わっていた。


 上辺だけ掬えば普通に過ごしているように見えるが、唯一の友人からの連絡はずっと無視し続けていたし、最後に何か食べたのがいつだったかも覚えていない。

 朝、ベッドから起きるのだって、眠気なんかこないくせに夜になったから横になって、日が出てきたから起き上がるのを繰り返しているだけだ。

 何かが確実に破綻していった。

 僕は京花といる時だけ息ができていたのだと思う。


 いつ終わりが来るんだろう、と考えるようになって、その時初めて、終わらせる選択肢があることに気付いた。いつの間にか生きる気力もなくなっていた。

 そんなもの最初からなかったのだと思う。


 きっと僕はこのまま10年後も20年後も空虚に、無感情に日々をやり過ごす。その異常さに気付かないふりをしながら、失ったものの代わりにもならない些細な絆に縋って生きながらえたって、そのうち糸が切れてしまう。

 いつか京花のことも忘れてしまうんだろう。わざわざ彼女のことを頑張って思い出さなければいけなくなる。そのうち思い出す思い出もなくなる。想像したら気味が悪かった。

 だからじゃないけど、そうしている間に希死念慮は僕を逃がさないところまで寄ってきていた。


 そこからは早かった。無心で必要なものを用意した。でも、ドアノブに括り付けた縄を見てもまだ実感がわかない。

 頭だけバカみたいに現実逃避していて、自分はまだ死から遠い場所にいると錯覚していた。

 今までで1番死に近いところにいるのに、どこか他人事で、今から首を吊って死ぬのは自分じゃない誰かみたいな、そんな気さえする。


 死んだらどうなるんだろう。京花はどうなったんだろう。

 そんなことをこの世で調べたって、出てくるのは胡散臭い宗教みたいな、それでいて説教じみたものばかりで、説得力のあるものなんかただのひとつもない。

 自殺なんか馬鹿げてる、残された人の気持ち考えろ、そんな正論ぶちまけたって、誰も救われない。暗い沼に頭を沈められながら生きる人間に重りを結ぶような非道だ。

 きっと京花は永遠にいなくなった。


 縄に首を通して、最後に会った時の京花を思い出しながら目を閉じた。力を抜いても上半身が浮く高さだ。


 あのクラスから出た自殺者は僕で4人目になる。騒がれるじゃ済まないだろう。真相が明らかになるまで学校は閉鎖されるかもしれない。もしかしたら、京花の罪を誰かが暴くかも。

 けど。


「どうでもいいよな、そんなこと」


 姿勢を崩す。ドアが軋んだ。呻き声のようなものが出そうになるが、気道が押し潰されて声にならない。頸動脈を締め上げる縄を、無意識に爪で引っ搔いていた。


 瞬時に意識を失うから苦痛はない、と書いてあったはずなのに。体重のかけ方が半端なのか、頸動脈か椎骨動脈ついこつどうみゃくをうまく塞げていないのか。

 楽な死に方を選んだ罰だろうか。薬を100錠や200錠も飲むとどこかで吐くだろうし、電車に飛び込んだって、轢き殺される瞬間は痛いはずだからと、首吊りを選択したから。

 京花は入水した。僕もそうするべきだった?


 体重をかけ続ける。頭が回らなくなってきて、感覚も鈍くなる。わずかな時間、虚しく抵抗しながら僕は静かに死んでいく。


 どこかで猫が鳴いた、気がした。

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