第7話 流鏑馬、はじまること




   三



 いよいよ流鏑馬がはじまった。

 群衆の間近で、砂煙をあげ、目にもとまらぬ速さで、射手が駆け抜けてゆく。

 なかには矢つがえがまにあわず、まとを逃す者もいる。

 矢が的を射抜けば、必ず、ドッと大きな歓声があがった。


 ついに河村義秀の出番がやって来た。

 朱塗りの五重塔を背に、大兵で迫力のある義秀の姿が現れるや、たちまちに境内は異様な沈黙に包まれた。

 大方の観衆が、この時までには口伝えに事情を聞きかじり、どうなることやらと、恐ろしいほどの緊張感をもって見つめていた。


 のしかかる大衆の沈黙をものともせず、騎乗の義秀は太く、長く、息をついた。

 十年の沈黙を、今こそ雄叫びに変えるべく、七尺二寸の巨体をふるわせ、ず太い声を張りあげた。


朱雀院すざくいん御宇ぎょう、将門を討ち平らげて勧賞をこうぶりたりし俵藤太秀郷たわらのとうたひでさと末葉ばちようにして、鎮守府将軍に仕え、千葉合戦にて高名こうみょうをあげし佐伯さえき経資つねすけ以来、源家譜代の忠臣。山城やましろ権守ごんのかみ秀高ひでたかが子、河村三郎義秀、射手つかまつる――」


 馬は砂煙を巻き、一息に駆け出した。

 緊迫の一瞬のなか、一の矢を放った。

 瞬間、矢は的を断ち割り、勢い余った矢羽根が宙空に円を描いて飛び跳ねた。

 その間、二の矢を番えると、右手に結わえられたむちを高々と掲げ、流れるように華麗な所作しょさで次の矢を放った。

 二の矢、的中ッ、馬の尾が火焔を噴くごとく、頼朝と景義の目前で渦を巻いた。


 義秀は三の矢をつがえ、塗り鞭をさらに天高くかかげた。

 技量に余裕があることを誇示しているのである。

(やりすぎじゃ……)

 景義の心配をよそに、義秀は、あっというまに飛び迫ってくる三の的も見事に射抜いた。

 騎乗の後ろ姿も美しく、嵐のように渦巻く歓声を残し、義秀は馬場から駆け去って行った。

 安堵のため息をついた景義は、口のなかに感謝の念仏を唱えた。


(なんと、見事な……)

 そう、長江義景でさえ……いや、達人の義景だからこそ、感嘆のため息をとどめかねた。

 かれはあわてて、首をふった。

(おっと、呑み込まれてはいかん……なんとしても揚げ足をとらねば)

 義景はふたたび、鋭い目を光らせた。


 頼朝は満足げにうなずき、義秀を御前に召した。

「素晴らしい技芸であった」

 この言葉を聞き、義秀も景義も、ほっと安堵に胸を撫でおろした。

「二品様ッ」

 と、長江義景が執念深い声を張りあげた。

「なにか」

「河村義秀は先の合戦で景親にくみし、その右腕として働いた男。このことは到底許されることではありません。御家人たちのなかには、あの戦で身内を失った者も多いはず。これしきのことで、けして許してはなりませぬ」

 頼朝は片手をあげて、義景を制した。

「静粛に」

「ハッ」

「義秀、矢を見せよ」

「ハ」


 頼朝は、つぶさに検分した。

 なんという特徴もない、坂東武者が普通に使う、長さ十三束の鏑矢かぶらやであった。

 頼朝は、ッと考えこんだ後、おもむろに口をひらいた。

「義秀」

「ハ」

「そなたのような大兵が、なぜ大矢を使わず、このように扱いやすい矢を使っている?」

「それは……馬上にて自由に取り回しがきくように、でざいます」

 そこには、景義の指導があった。

 同じように体の大きな源為朝が、大きすぎる弓矢で失敗した、過去の教訓を踏まえてのことである。


 しかし頼朝は、不満げに首をかしげた。

「私はその答えに納得がゆかぬ。そなたがまさしく達人であるならば、堂々とした体にふさわしい大矢をこそ使うべきであろう。河村義秀……」

「ハ」

「扱いやすい矢を使い、手先の技芸に溺れるそなたの射技に、私は驕慢きょうまんの心を見た」


 景義は唖然とし、背筋が凍りついた。

 自分の指導が裏目に出てしまった……全身から、血の気が引いた。

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