兵強ければ則ちボロ勝ち


「振り切れそうか?」


「無理です! こんな山道でかっ飛ばしたら、下手すりゃ俺らのほうが崖から真っ逆さまだ!」


「なら、この先にある岩壁に寄せて止めてくれ。迎え撃つぞ」


「了解お頭!」


 徐々にスピードを緩めていく馬車が完全に止まるのを待たずに、武器を手にした自警団員たちが次々と飛び降りていく。

 最後にムシダが、「お前達はここでじっとしてろ」と言い残し、彼らの後に続いた。

 そうして後方のほろが降ろされてしまえば、間もなく完全に静止した馬車の中から伺える情報は周囲の音と臭いだけだ。


 団員達の怒号。魔獣のものらしき、ぢゅうぢゅうという大量の鳴き声。

 荒い足音。いつぞやのトマト祭りを彷彿とさせる、液体の詰まった塊が叩きつけられる音。

 鼻をつく、血の鉄臭さと獣臭。


 ここ数か月はタリタの庇護下で至って人道的な生活を送っていたわけだが、久々に感じるもろもろの物騒な気配と、馬車内という疑似的な閉鎖空間は、そこはかとなく実験体生活を彷彿とさせるものがあった。


「平気か」


「は? ……あぁ、心の傷トラウマ的な心配をしてるなら、特には」


「まぁ、だろうとは思った」


「何で聞いたんです」


「一応」


 似たようなことを考えたらしいヴェスがちらりとこっちに気を回してきたが、俺としてはそんな過去話より今現在迫っている命の危機のほうが気にかかる。

 どうにも魔獣の数が多いらしく、自警団員たちが「きりがない」「どんだけいるんだよ」等と吐き捨てている声が外から聞こえてくるからだ。

 たとえ彼らが戦闘に慣れたプロ集団であっても、数の力に押し負ける可能性は十二分にあるだろう。例えばうちの里のように。


 自分達だけでも早めに逃げる算段を立てておくべきか。しかしそうすると場合によってはタリタからの心証が。まだ得られるはずだった庇護下の恩恵が。いやそもそも逃げきれるのか。

 ……などと自己保身に満ちた考え事をしていると、視界の端にふとヴェスの足先が映った。


 貧乏揺すりをしている。

 隣で涼しい顔をしているダークエルフの片足は、めちゃくちゃ忙しなく貧乏揺すりしていた。

 足の間にいる赤ん坊がそれに合わせて小刻みに揺れていたが、肝の据わった赤子は相も変わらず爆睡中である。


 ヴェスはこの状況に焦りを覚えているとか、それこそ実験体時代のトラウマがどうこう、みたいな雰囲気ではない。

 真正面を見据え、落ち着いて腰を下ろしながらも、しかし足先がそわそわと床を叩くその様は、なんというか、まるで好物を前に“待て”された犬のような……、…………。


「ヴェス」


「なんだ」


「いえ、自警団の方々、苦戦されているなぁと」


「そうだな。随分数が多い」


「手伝ってさしあげては? 僕と違ってヴェスなら戦力になりそうですし」


「人間どもに手を貸す義理はない」


 常日頃から言動の端々に蛮族の気配漂うダークエルフである。本来なら一も二もなくヒャッハーと参戦したいところだったのだろうが、人間(+ヒグマ)に助力する形になるのが許し難い。

 よって、バトルという好物を前にステイする犬の図になっているらしい。


「……あのですね、ちょっと恩義払いで依頼したいんですけど」


「なんだ恩義払いとは」


「彼らに加勢してあげてくれませんか?」


 告げると一気に渋い顔になったヴェスに、反論の間を与えないために俺は畳みかける。


「僕としてもここで彼らを見捨てて逃げるよりは、協力して一緒に生き抜いて、心証を落とさず契約満了まできっちりタリタさんの庇護下にいられたほうが都合がいい。だから“僕に”協力してほしいんです、恩義払いで」


「だから恩義払いとは何なんだ」


「お金の代わりにヴェスの中に存在するという僕への恩義とやらから依頼料をさっ引いてもらって、その分働いて欲しいという話です」


 説明を聞いたヴェスは少しもの言いたげな表情を浮かべたものの、結局ひとつ溜息をついて立ち上がった。

 足の間にいた赤ん坊が転げ落ちかけたのを慌ててキャッチする。おい俺の生命線(物理)だぞ気をつけろ。


「……人間あいつらに手を貸すんじゃない。おまえの“依頼”を受けるだけだ」


「はいはい、よろしくお願いしますね。なんか武器になりそうなものとか探してみます?」


「いらん。邪魔だ」


 にべもなくそう言い捨てると、ヴェスは何の気負いもなく、ちょっと散歩へとでもいうような足取りで馬車から出て行こうとする。


 日頃のちょっとした動作などから明らかに俺より運動神経が良いこと、そして村での様子から力仕事を難なくこなすナイスバルクであることなどは把握しているが、俺はこの男が具体的にどれほど強いのかまでは知らない。

 もし自警団に+ヴェスしても魔獣に適わなさそうならさっさと逃げられるようにしておかなくては、と心の準備をしつつ、多少の判断材料になるかとその背にひとつ声をかけた。


「ヴェス。ちなみに、勝算は?」


「──愚問だな」


 隻眼のダークエルフはめずらしく口の端を上げて笑いながら答えると、長い三つ編みを虎の尾のように揺らめかせ、後部の幌をするりと潜り抜けて戦場へ消えていった。

 そして間もなく。


「ギッ! ギィーッ!!」


「ヂュゥ!!!」


「うわっ、なんだぁ!?」


 連続して響く魔獣の断末魔の合間に、自警団員たちの驚きと戸惑いの声。

 俺は眠る赤ん坊を座席に置いてから、そっと幌の端をめくって外界を確認してみた。


 生まれて初めて見る魔獣は、小型犬くらいのサイズをしたでかいネズミだった。

 それが何十、いや何百匹と集まって、馬車の周囲を埋め尽くしている。


 いざとなれば逃げようなんて甘い考えだった。

 これはどう考えても、俺のゴミのごとき実力では逃げることすら適わない数だ。今何ウェーブ目くらいですか?


「ヂッ!!」


「ギュァ!!!」


 しかしそんな絶望渦巻く山の中を、黒い影が音もなく駆けると同時に、ネズミ魔獣が一匹、また一匹と悲鳴を上げて潰れていく。

 それを為している男の手に、武器と呼べるようなものは何もない。

 月光に爛々と目を輝かせるダークエルフは、なんと素手で魔獣の群を圧殺していた。


「……わぁ……」


 ヴェスが掴めば魔獣が潰れる。腕を振れば魔獣が潰れる。いつの間にやら魔獣が潰れる。

 早すぎて動きが追えず、俺の目にはもうヴェスがただ駆け抜けただけで魔獣が潰れているように見えた。とにかく圧倒的だということだけは分かる。


 水を得た魚。犬は喜び庭駆け回る。魔獣大虐殺会場。

 目前で繰り広げられる“戦場に解き放たれたダークエルフの図”に、その情景を端的に示す様々な言葉が脳裏をよぎっては消えた。


 俺としては諸々の打算を大前提としつつ、ついでにヴェスは戦いが好きそうなわりには今までそういう機会がなかったよなぁ、と長らく怪我で散歩に行けなかった犬を久々にドッグランで放すくらいの、わりと、かなり軽い、とはいえ一応の厚意でもって背を押したのだが、どうやら実際に俺がしたことは猛獣の檻を開け放つ行為であったらしい。


「っかー! 助かった!」


「なんなんだよこの量……ありえねぇ……」


「あ、皆さん。ご無事で何よりです」


「おう。まぁ俺らだけであのまま戦ってたら、ご無事じゃ済まなかったろうけどな」


 各所で戦っていた自警団員たちが、馬車のほど近くまで戻ってくる。もうこうなると自分たちが下手に動き回るほうがヴェスの邪魔になりそうだ、ということらしい。

 彼らはあちこちに傷を作ってはいたものの、深手を負った者はいなさそうである。そこはさすが訓練された自警団といったところか。


「あの、お恥ずかしながら僕は世情に疎いので、一応皆様にお尋ねしたいのですが……魔獣はああやって手でこう……簡単に倒せるものなんですか?」


「いや」


「ない」


「絶対にない」


 人間勢から満場一致で否定の声が上がったことに若干安堵する。だよな。さすがにスタンダードではないよな。

 異世界といえども、大半は地球人と変わらぬ程度の身体能力を持った普通の人類のようだ。


「あんな芸当、身体しんたい魔法に特化したダークエルフじゃなきゃ出来ねぇって」


「ほんと、さすがダークエルフ。戦闘に関しちゃずば抜けてんよな」


「……にしても桁違いじゃねぇか?」


 身体魔法。つまりあれは物理的なナイスバルクではなく、魔法の力で為されている惨状だということか。

 一体どういう魔法なのか、と続けて尋ねようと馬車から身を乗り出した瞬間、頭上から物音がした。反射的にその方向へ顔を向ける。


 そこには、でかいネズミの魔獣。しかも今まさに馬車の屋根から、こちらの顔面めがけて降ってくるところだった。

 だが、俺がやばいと思う間もなく。自警団員たちが武器を構えるより早く。


「ヂッ!!!」


 目にも留まらぬスピードで真横から飛んできた塊が、目前の魔獣を巻き込んで吹き飛び、そのまま岩壁にぶつかって弾けた。


「……は、」


 あまりに一瞬の出来事に呆然としつつも何かの塊が飛んできた方向に視線をやると、軽くボールを投げた後みたいな体勢をしていたヴェスが、また何食わぬ顔で魔獣狩りに戻るところだった。


 続いて反対の方向を見ると、先ほど俺の顔面に降ってくる予定だった魔獣が、岩壁にこびりつく肉塊と化している光景が映った。

 いや、よく見ると魔獣一匹にしては飛び散っている量が多いので、おそらくはヴェスが別の魔獣を一匹ぶん投げて、この魔獣にぶち当てたのだろう。見事な狙い撃ちである。もしかして俺が銃を撃つよりあいつが銃(鉄塊)を投げるほうが命中率高いんじゃないのか。


「……お前ら、無駄口を叩くのはいいが、気は抜くな。まだ終わっちゃいねえんだ」


 呆気に取られていた俺と自警団員たちに、少し離れたところで全体の状況を見守っていたムシダが溜息混じりに注意する。

 すみませんでした、と彼らと声をそろえて謝罪したあとで念のため確認してみたが、魔獣を魔獣にぶつけて爆散させるテクニックとパワーはまったくもってスタンダードではないらしい。ですよね。



 そしてあれだけいた魔獣がきれいさっぱりと殲滅されたのは、それから約五分後のことであった。

 ついでに環境的には全くもって綺麗でもさっぱりでもない。飛び散った血と肉もろもろで周囲は地獄のような絵面になっている。


 それをほぼ一人で成し遂げたダークエルフは、大して疲れた様子もなく、やはり散歩帰り程度の緩い足取りで戻ってきた。


「お疲れさまです。すごい返り血ですね。着替えますか?」


「このくらいは別に、」


「着替えますか?」


「………………着替える」


 いいから着替えろよと圧を込めた美少年スマイルを向けると、ヴェスは面倒くさそうに眉根を寄せつつも了承した。

 これといって必要がないのであれば、魔獣の血と具にまみれた野郎の隣に座って馬車での長時間移動に耐える趣味は俺にはない。なお具体的なメリットが発生するなら何時間、何日、何週間耐えてもいい。


「あ、それと、さっきはありがとうございます。危ないところを助けてもらいまして」


「別にいい」


 淡々と返事をしてから着替えのため馬車内に戻ったヴェスと入れ替わりに、俺は赤ん坊を抱えて馬車を降りる。

 店のオマケでもらったヴェスの服は早々に廃棄することになりそうだったが、逆に言うとオマケ服が被害を一手に引き受けてくれたおかげで行きの時に着ていた服が着替えとして残っていたわけで、まぁプラマイゼロといったところだろう。


 馬車の外では、ムシダと自警団員たちが魔獣の死骸を囲んで何やら話し合っていた。

 俺が近づくと、気づいたムシダが会話を中断して声をかけてくる。


「おまえ達の手まで煩わせてしまってすまんな」


「いえ、そんな。それに頑張ったのはヴェスで、僕は何もしていませんから」


「コルも団員たちの傷を治してくれただろう」


「小さい傷だけですよ。治しきれなかったものは街に戻ったらちゃんとお医者さんに診せてくださいね」


 俺が落ちこぼれエルフでなければもっと完璧に治せたのだろうが、まぁ応急処置としてはそう悪くもないだろう。多少なりと恩が売れれば上々である。


「……こいつは本来、俺達で対処しなければならない事態だった。安全を確保しきれなかったばかりか、護衛対象の手を借りることになるとは……自警団として不徳の極みだ」


「そうそう、エルフに恩を売るはずがこっちが売られちまったってもんよ! 俺ら商人としてもまだまだだなぁ!」


「違いねぇや。いや、すまねぇな~ホント」


 重々しく謝罪するムシダの横から、他の自警団員たちが空気を軽くするように笑い飛ばしつつも、真剣さを残した目でこちらへ頭を下げた。

 俺はそれに小さく首を横に振って返す。


「気にしないでください。僕らはそもそも、あの日あなた方に助けていただいたおかげで、今もこうして生きているんです。もし少しでもそのお返しが出来たのなら、これほど嬉しいことはありません」


「コル……」


「ね、それでおあいこってことにしませんか?」


 などと場合によっては見捨てて逃げようとしていた己を棚に上げて、輝く慈愛の美少年スマイルでもっともらしいことを口にする俺を、着替えを終えて馬車から出てきたヴェスが“うわ”という顔で見たのだった。いい加減慣れろ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る