打算は人のためならず


 おひとりさま貸し切りワンルームだった牢屋がシェアハウスになってから、今度はどれくらい経ったのだろうか。

 何ヶ月? いや何年? さすがに何十年ではないはずだが、このところ意識が飛ぶことが増えてきて、時間感覚が完全にバグってしまっているのでよくわからない。


 俺達は、牢屋の隅で互いに寄りかかるようにしてぐったりと座り込んでいた。

 なんでこの体勢かって、最近もう横になって寝たらそのまま永眠しそう感がえぐくて、精神衛生上このフォーメーションでしか安眠できないからだ。


 俺達。そう、俺達である。

 早々に死ぬと思われたあのダークエルフは、満身創痍で左目も失ったものの、まだここに生きていた。

 それはこの男が俺と同じプライドゼロのダークエルフだったから……ではなく、半分くらい俺の功績である。


 まず、このダークエルフこと実験体4606は、里のエルフ達と違って食事をとることが出来た。

 後々聞いたところによると、自然の中にいるだけでマナを自動吸収できるエルフとは違ってダークエルフは食事という形で自然物を一度体内に取り込まないとマナを吸収できないとかで、そもそも“食べる”ということへのハードル自体がエルフより低いらしい。


 あとダークエルフはエルフより人里に下りる機会が多いため街の定食屋とかも普通に行くそうで、「人間の食事」そのものにも特に抵抗がないという。もちろんこんな状況下で餌のように与えられたものを食べるのは屈辱的、という至って真っ当な嫌悪感はあるそうだが。

 

 まぁ理由は何にせよ、食事が出来るというだけでも衰弱ペースはだいぶマシになる。

 もしやコイツわりと長生き(実験体比)するのでは? なんて思ったのも束の間、そんなものを帳消しにするくらい、4606はとにかく全てにおいて反抗的であった。


 改めて確認するが、この場所においてのエルフとは“希少な実験動物”なのである。それはサンプルとしてレアという以上でも以下でもなく、大切に保護されるべき存在という意味ではない。

 大人しくしている限りは実験まできちんと生かされることを前提とした扱いを受けてされるが、暴れたり抵抗したりと使い勝手の悪い個体は使を前提とした実験に回される。


 ちなみに今更だが、この牢屋は大きな実験室の片隅に併設されている。石造りの座敷牢みたいなものだ。

 つまり檻の隙間からは実験室の様子が丸見えで、他の実験体が各種ぐちゃぐちゃにされているところがリアルタイムで見られる絶景スポットである。いやホラースポットか。

 なので実験の間、4606がことあるごとに抵抗しては見張りの兵士にボコられる様も見放題であった。あいつが暴れるたびに、その実験内容が“使い捨て”用のものへと変化していく様も。


 そんなこんなでどんどんボロボロになっていく“使い捨て”のダークエルフに、周囲へのイメージ戦略を兼ねて時折「大丈夫ですか」等と声をかけるも完全スルーされて終わる日々をしばらく送った。


 俺はせっせと媚びを売りまくった甲斐もあり、切ったりえぐったりみたいな“使い捨て”向きのグロい実験ではなく、色々飲んだりたれたりして自分の状態を伝える“リサイクル”向きの暗黒治験がメインである。内部破壊きっつ。しかしこれでも使い捨て用実験のほうで受けるダメージよりはだいぶマシなのだから終わってる。


 しかし“リサイクル”用の実験とて、長期に渡ればダメージは蓄積する。

 一回あたりの実験ダメージこそお前のほうが大きいかもしれないが、俺はもっと前から実験漬けの生活なのである。累積ダメージでいえばたぶん俺が先輩だぞわかってんのか。


 何が言いたいかというと、そのころにはさすがの俺も色々きつくなってきていた。

 実験はシンプルにしんどいし終わりの見えない苦痛はメンタルも削れる。プライドゼロでも生きていけるが正気度がゼロになった日にはいくら俺でも発狂するだろうし、そうなれば実験体302も“使い捨て”まっしぐらだ。


 実験による肉体ダメージのほうは現状どうしようもないが、最低限、従順エルフムーブを続けられる程度には精神ダメージだけでも緩和しなければならない。


 かろうじて正気な頭でそんなことを考えていた矢先のことである。

 その日の実験でとうとう左目を“採取”された4606が、ろくな手当てもなされないまま兵士に引きずられて戻ってきた。


 雑に床へと転がされた4606は一応まだ生きているようだが、そもそも少し前から自力で食事をする気力も体力も尽きている様子だったので、そこへきて目玉まで取られてはいい加減に限界だろう。

 ずいぶん保ったがいよいよ一人部屋に逆戻りか、ともはや呻き声ひとつ上げないそいつから目をそらしかけた瞬間、ふと脳裏によみがえった前世の記憶があった。かつてネットで一度流し見ただけの、嘘か本当かも知らない話である。


 それは敵に捕まった兵士達が、捕虜収容所の部屋の隅に椅子をひとつ置き、彼らはそこに“少女がいる”というで架空の少女に声をかけ、気遣い、お世話をする。

 そうして気を紛らわせて正気を保つことにより(その行動を正気と呼んでいいのかは謎だが)辛い捕虜生活を乗り切った、というものだ。


「……、…………」


 俺は天井を見上げ、次に床に転がるダークエルフを見下ろし、五秒考えて、決断する。


 この際それが作り話であったとしても構わない。前世に別世界で見たエピソードの真偽など、もはや誰にも答え合わせ出来ないのだからどうでもいいことだ。

 とにかくこのときの俺は、捕まった彼らと同じように、気を紛らわせて正気を保てれば何でもよかった。

 対象になるのが架空ではなく実体で、少女ではなくボロ雑巾みたいなでかい男なのがたまに傷だが……いやもうただの傷でしかないわそんなん。絵面がしょっぱい。別のベクトルで発狂しそう。


 だが、やるしかない。

 とりあえず校庭に迷い込んだ捨て犬かなんかだと無理やり思いこんで、俺はその日から、死にかけ隻眼ダークエルフの面倒を見ることにしたのだった。


 手錠をしたまま他人の世話をするのはそれなりに大変だったが、どうにか4606の口に力づくもとい甲斐甲斐しく飯をぶち込み、研究者や看守にこれでもかと媚びを売りまくって医薬品を融通してもらって手当てをしたり、起きているときは絶え間なく声をかけ続けたりした。


 何気ない雑談から前世聞いた笑い話から今世覚えたエルフソングまで歌って、やつの頭上で延々一人ラジオを続ける俺の声はさぞ傷に障って鬱陶しかったことだろうが、俺も俺自身の正気と意識を保つために必死であったので反省も後悔もしていない。いいから黙ってリスナーになれ。


 実際、相手が校庭の犬もとい反抗的なダークエルフであっても、「何かの面倒を見る」という行為は思った以上に気が紛れるものだった。


 そうして一方的にやつの面倒を見続けて幾ばくか経ったころのこと。

 いつもの暗黒治験おつとめを終えて牢屋に戻ってきてからぶっ倒れて気絶した俺が、次に目を覚ましたとき、なぜか俺の頭はダークエルフの膝の上にあった。


 これが噂の膝枕。女子の太ももがよかったとか絵面がしょっぱ……いや今の俺は美少年(R)なのだから普通に絵になるのでは?とかそういうことはひとまず置いて、これはいったい何事かと頭上の顔を見上げると、やつは一度ちらりとこちらを見下ろしたものの、特に何も言わずにすぐ視線を戻してしまった。


 しかし実験体に一人一枚ずつ配布される毛布のうち、今俺の上にかけられているのが俺の毛布だとすると、俺の下にしかれているのは間違いなくこいつの分の毛布である。

 俺がたまたま奇跡的にこいつの膝に倒れ込んだとかではなく、どう考えても意図的に介抱されている。


 なんだこれ。犬……いや鶴……いやダークエルフの恩返し的な?

 まぁそういうことなら俺は欠片も遠慮せず受け取る派であるので、好きなだけ介抱してほしい。暗黒治験まじでしんどい。


 その膝枕事件を皮切りに、今までは人間に媚びを売る俺を心底哀れむ顔で横目に見ていた4606が、何やらコツでも掴もうとするようにじっと俺の様子を観察してくるようになった。

 それから幾ばくもしないうちに4606も媚びを売り始め……たりはしなかったが、今までが嘘みたいに大人しく兵士や研究員の言うことを聞き始めたのだ。こいつも“リサイクル”用でいいのではないかと人間たちが相談を始めるほどに。


 とはいえ今までの行いが行いなので、さすがに完全リサイクル品な俺と同じ暗黒治験メインとまでは行かなかったが、それでもこれまでと比べると段違いに“損傷”の少ない実験に回されるようになっていた。


 そして俺たちの関係性は、俺が一方的に面倒を見るだけだった図から、お互いに面倒を見て支え合う形に変わった。

 いやもう姿勢を保つことすらきついので比喩とかでなくわりと物理的に支え合っている。繰り返すが最近は横になって寝たらそのまま永眠しそうなので、眠るときも座ったまま互いに寄りかかるスタイルである。もはや校庭に迷い込んだ犬二匹による傷の舐め合いのごとき日々であった。


 しかしそんな悪あがきもむなしく、さすがにそろそろ限界が近いことは俺達も分かっていた。

 意識を保つために4606の長髪で──つれてこられた当初は短髪だったが今は随分伸びた──千羽鶴ならぬ千本三つ編みにチャレンジしながらも、回らない頭でどうにか生き延びる手段を考えていた。そんなとき。



 俺がエルフに生まれ変わったときのように。

 里が人間の軍勢に襲われたときのように。


「決して“これ”を奪われず、損なわず、逃げ続けなさい。もしも途中で投げ出したら、どこにいようと必ずあんたを殺しに行くわ」


 転機というのは、突然やってくるものである。


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