第23話 はてしない旅路



――善・青いの天使



窓から入る陽の光で目を覚ました。

隣には、世界で一番愛する人が眠っている。


ふたりとも、家にいてもできる仕事をして。

気晴らしに好きなように故郷の街に出かけたりして。

岬を下るだけで、海辺にだって出られる。


庭のシトラスでジュースやジャムを作って。

たまにアトリエがわりの部屋に籠って絵を描いたりして。

好きなもの全てを詰め込んだ家があって。


言語の壁も、計画に組み込んでいたおかげで苦労はしなくなった。

街には旧友も多いらしく、向こうにいた時よりずっと笑顔が増えている。


”まず計画はよく行き届いた適切なものであることが第一。これが確認できたら断固として実行する。ちょっとした嫌気のために、実行の決意を投げ棄ててはならない”


まったくもってその通りだ。


トーマさんの寝顔を見て思う。

朝早くに目の覚めることが、こんなに幸福だとは知らなかった。


すっかり艶を取り戻した髪の毛が、星空のように朝陽に輝いている。


ふ、と瞼が上がり、きれいな海が現れた。


「起こしちゃった?」

「……んーん」

「休みだしまだ寝てなよ、後でちゃんと起こすから」

「……んー……」


トーマさんはムニャムニャ言って再び眠りにおちていった。


愛する人のそんな姿を見て、俺はただ幸福を噛みしめる。


今日は何をしようか。

庭に新しい花を植えようか。

いや、お義父さんがそろそろ顔を出せって言う頃合いだ。


それでも、後でいい。

いつかここへ来た時のように、昼過ぎまで寝たっていい。

ゆっくり起きて、街に買い出しに行って、またゆっくり食事を摂る。


俺はゆるく上がっていく口角を抑えきれず、思い切り笑った。


これから何度朝が来たって、この嬉しさは、愛しさは変わらないのだろう。




俺はトーマさんと出会ってから絶えず思うことがある。


神はその実在を知らしめる為に、人の世に御使いを寄越すのだ。

御使いは身に宿した天の輝きをもってして、人々にその存在を焼きつける。

人々は御使いを求め、天を求め、そして神を求めるのだろう。


天の御使いは天使と呼ばれた。天使はもちろんトーマさんで。

じゃあ、天使はきっと空を映した青い瞳をしているのだ。

涙で海のように光る瞳。それは天国の門に違いない。


青は俺達が思いつきもしないような遥か昔から、聖なる色とされていた。

古代エジプトではラピスラズリを魔除けとして装飾品に使っていた。

宗教画にて描かれる聖母マリアの衣も青だ。

高級品だったラピスラズリを原料にした高い絵の具だからだとかなんとか。


まあ、トーマさんがどんな色で生まれてきたって、俺は好きになってただろう。

赤色なら赤色を、茶色なら茶色を神聖視して好んだに違いないのだから。


求めるだけじゃれ合った夜を想う。


宣言通り、トーマさんのすべては俺のものだ。


きっと、初めて出会った時から、ずっとそうだった。

そして、これからもずっとそうなのだろう。






忠・炎のの悪魔



この世で最も優しい声が、僕の意識を揺り起こす。

朝を望んだ僕が、夜から目覚めない訳がない。


目の前には、燃える瞳を持ったハルがいる。

もう、こどもとは呼べなくなった、ハル。

いつのまにか僕を追い越し、大人になった、ハル。


僕より一回りも大きいからだで、世界すべての悪からも守ってくれた、ハル。

僕はきっともう、きみなしじゃ生きていくことはできないのだろう。


きみの声、きみの手、きみの唇、きみの瞳。

全部が愛を伝えてきて、僕を溺れさせた。


これから先、僕はもう死に救いを求めることはないだろう。

僕が落ちていくスピードよりも速く、きみは手を差し伸べてくれるから。


きみは、どうしてそんなに優しいの?

出会った時から、ずっとずっと、優しかった。

僕の胸の中にある氷を、春の陽射しで溶かしてくれた。

氷の中にあったちいさなきもちに、そっと触れてくれた。


たまにきみのことを、どこか遠い星からやって来たように思う。

この星の上で絶対にみつけられなかったものを、きみにみつけたから。

僕はこれまで、自分だけが違う星の生物みたいに思えていた。


遠い遠い宇宙の果てに、不時着したような寂しさ。


ある子ヤギが一輪のバラを食べてしまったのかどうか。

そんなことを四六時中飽きもせず考え続けているような心の疲弊。

でもそれって、世界中から星のささやきが消えてしまうかもしれないことで。


きみにどんな質問をしたって、たったの一言しか返ってこない。


――愛だよ、トーマさん。


もう、死に救いを求めない。

きみの愛を傷つけることはしない。

きみの心を傷つけることもしない。


きみが危ないことをしないように、僕はきみの傍でじっとしてる。


きみがつくった楽園で。

きみという幸福と共に。








乞・緑のの怪物


緑の瞳の怪物 その青い宝石を持つに相応しいのは、この私だ。

青い瞳の天使 僕たちのことは、燃え盛る炎の中に放ってしまってください。

炎の瞳の悪魔 変わらぬ愛だけが心の形に燃え残るはずでしょうから。

緑の瞳の怪物 ならぬ、ならぬ。貴様らを共に燃やすことなど。

炎の瞳の悪魔 それならば、いっそのこと共にその剣で砕いてしまいなさい。

青い瞳の天使 かけらが雨でまじりあい、大地に新しい花が咲くでしょうから。

緑の瞳の怪物 ならぬ、ならぬ。貴様らを歌う新しい花など。

       私はどこまでも純粋に透き通る青い宝石だけがほしいのだ。

       悪魔に穢された天使でも、天使の死骸でもないのだ。

       悪魔を愛し愛される天使など、私は認めない。

青い瞳の天使 それならば、いっそ海に投げ捨ててやってください。

炎の瞳の悪魔 共に春の訪れを告げる風の精となるでしょうから。

緑の瞳の怪物 ならぬ、ならぬ。泡となって消えてしまうことなど。

青い瞳の天使 ええ、ええ。ここまできかないのなら、砕けてしまいましょう。

炎の瞳の悪魔 ちりぢりに世界へ散らばって、あなたの手などの届かぬ場所へ。

青い瞳の天使 さようなら、もう二度会うことのないでしょうあなた。

緑の瞳の怪物 ならぬ、ならぬ。この手この瞳の届かぬ場所へ行くなど。


緑の瞳の怪物の嘆きは届かず、ふたつの宝石は連れ添って消えてしまった。

はじめからそう在ったかのように凹凸の噛み合った宝石たちが。

緑の瞳の怪物以外の世界すべてに祝福を撒き散らすように、きらきらと。


後に残るは緑の瞳の怪物ひとりと、青い宝石の残した、大きな海ほどもある涙。

青く大きな涙の海に飛び込んでしまおうにも、燃え盛る炎が行く手を阻む。

赤い宝石が残した、山脈ほどの炎の道だった。


緑の瞳の怪物は、せめて青い宝石が残した海へ。

炎の道を超えようにも、涙の海には触れさせない、と更に炎は燃え盛る。


やがて怪物は、緑でもなく、真っ黒の焦げになってしまった。

誰かの吹かせた風が、焦げを灰にして、どこかへ吹き飛ばす。

宝石たちとは交わらぬ風となり、いつか消えていくのだろう。


怪物の手には何も残らず、それどころか怪物そのものまでを消してしまった。


世界中に撒き散らされたふたつの宝石の欠片は、それぞれ名前がついた。

世界中で幸福を手に入れた人たちは、赤い方を恋、青い方を愛と呼んだ。


どこともしれない物語。

誰ともしれない物語。

名もなき詩の最後っ屁。


ちいさな爪痕が、ひとつだけ。


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