第14話 新生


「げぇ~、慣れないよこんなの」

「マウスみたいなもんだよ」

「全然ちげーし」


ハルの様子がおかしかったので、何か変わってしまうだろうかと危惧していたが、まったくそんなことはなかった。


「トーマさん、俺の手、握って」

「え」


ただ、言葉や行動はだいぶ変わった気がする。

変わったというよりは、戻った、が正しいのだろう。


「俺がペンを握るから、感覚教えて」

「それは……まあ、動かすのはハルの手だもんな……」

「どーぞ」

「冷たかったらごめん」


確かな熱を持ったハルの手に、そっと自分の手を重ねる。

大丈夫だ。握り込むものじゃないからだろうか。

思った通りに自分の手指が動くだなんて、何年ぶりだろう。


「こうして、こうして……」

「昨日まで紙に描いてたから変な感じするんだけど~」

「がんばって慣れるの」

「へぇ~い」

「とにかく最初は丸とか三角とか、とにかくこれで描くということに慣れてね」


アナログの画材をあらかた使いこなしたハルは、今日からデジタルで描くことを始めた。最初は慣れなくてほにゃほにゃの線を引いていたが、少しずつ線らしい線を引けるようになってきていた。やはり飲み込みが早い。


「ちょっとハル、本当の目標、そういえば聞いてないんだけど」

「あー……聞きたい?」

「うん」


当たり前だろ?と首を傾げると、ハルは照れくさそうに笑った。

ほんとに笑顔のレパートリーが多いなぁ。


「トーマさんを描きたい」

「……え、僕を?デッサンの時に描いたのは?」

「そういうのじゃなーい」

「そういうのじゃないのか…」


人物画……というより、肖像画みたいなことだろうか。

じゃあ、デジタルに慣れたら油絵具を出そうか。もうずっと使ってなかったけど、そうすぐに劣化するものでもないし、最悪買い足せば済むものがほとんどだ。

油彩画は1枚にかかる時間が他の比じゃないけど、できあがりの達成感もひとしおだ。なにかのついでに挑戦させてみてもいいかもしれない。



「……トーマさんったら!」

「わっ!は、はい!」

「めっちゃ上の空じゃん」

「ごめん、なんだっけ?」


ハルはいつの間に僕の手を握り、ぐにゃぐにゃと弄んでいた。

おー、リラックスしてるんだなぁ、僕の手。


「俺の手、使って」

「手を?」

「はい、好きに動かしていいよ」


画面には使い慣れたペイントソフトが開かれている。

何もかも整って、あとは僕の手次第。


「いけ、ハルロボ!」

「おわ、画面閉じちゃう閉じちゃう」

「あはは、ごめんごめん」


すごい、動く。

動くんだ、僕の手、まだ。


線を引いて、バケツツールで色を置くだけだけど。

自分の絵というものができていく過程の懐かしさに、目が熱くなる。


「…………つらい?」


僕の涙を拭ったハルの手が、優しく触れる。

つらい?まさか。でも、涙が止まらないんだよ。

うれしい、でもないんだろうな。わからないや。


「……わからないけど…………いやじゃ、ない」


動かしていたハルの手を取り、自分の胸に押し当てる。

いつもと違う心臓の音、いつもと違う心臓の動き。


「……わかる?」

「ドキドキしてるね」

「こうしたら考えてること、感じてることが全部、お互いに流れて伝わればいいのに……そしたらよくわかんない感情も、よくわかんないままで伝わる」


だって、仮に心臓や脳を取り出したって伝わりやしないんだ。


もぞりと動く手がくすぐったくて、身を捩る。


また、絵を描ける。その事実に抱えきれないよろこびを感じ、逸る。

興奮から血の巡りが早くなっているからか、呼吸が浅くなる。


「トーマさん?手……」

「……はは、なんかふわふわする」

「手、熱いよ?」

「……あれ?」

「うわ、熱だ!風邪!?」


なんか目や頭が熱いと思ったら手も熱いらしい。

胸元で蠢く手も心なしか冷たく感じる。

あーあーせっかくの嬉しい瞬間を、体調不良なんかで潰すだなんて。

ハルのあたたかい手も冷たくするだなんて、なんてやつだ、僕は。


「体温計は!?」

「ない~……買って、きて……」


あれ~?ものすごく目がぐるぐるしてる。いや、世界が?地震?


とりあえずものすごくねむい。







「はぁ~~~~…」


心臓が破裂するかと思った。まだ痛いほど脈打ってる。


あの人、俺が言ったことわかってんのかな?

それとも、受け入れてくれるってこと?


本人は今、目の前で赤い顔をして眠っている。


「どのみち、病人を問い詰められないよな……」


多くは望まないし、トーマさんを犯罪者にするつもりもない。

それなら文字通り、あと2年待つだけでいいんだから。


トーマさんが望まないなら今のままでいるけれど、俺はどうせなら全部ほしい。

なにもかも知りたい。あの人の暗闇を含めたすべてに触れてみたい。

悲しみも怒りも、愛やよろこびすべて、ぶつけられたい。


清濁、表裏、明暗、強弱、内外、矛盾。


どれもをトレードするように理解できたら、どんなにいいだろう。


指先に残った布越しのなめらかさが離れない。

鼓動による振動さえ蘇ってきそうだ。


生きてる。


あの人はちゃんと生きてる。


「…………ああ、俺、不安だったんだ」


自分の中にそんな感情があったのだと、初めて自覚した。


生まれて初めてかと思う、手の震え。

それはすぐにおさまったけれど、どんな感じかはわかった。


「ずっとひとりで、つらかったよな」


その胸をこじ開けて心を無理矢理手に入れるわけにはいかない。


だから、少しずつ少しずつあなたに近付いていきたい。


夢を見るような速度で。まどろむような速度で。

それでも確実に、あなたに触れたい。


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