謎の京女と陰陽師

如月姫蝶

第1話 ご相談承ります

「初恋、まだなん?」

 電話の向こうで、彼女は言った。

「いやいやいや、なんでそないなこと訊かはるんですか?」

「そないに動揺せんでも。可愛いらしねえ」

 僕は、憮然として頬を膨らませた。

「どうせ、まだですよ。まあ、幼い頃から、陰陽師としての修行に明け暮れてましたから。僕は、同業者の中でも特に大容量の霊媒体質やから、魑魅魍魎から身を守るために、修行、修行、また修行の日々やったんです」

 いつか、恋人に、「今日、うちに来る?」なんて、さらっと言ってみたいだけの人生やったかもしれへんな……それも、現在進行形で……とも思ったが、そこはなんとか、口には出さず、胸の内に留めたのだった。

 僕が溜め息混じりに言葉を切ると、彼女の沈黙が伝わってきた。それが、僕を不安にさせた。

「艦隊には、曇天が似合うんよ。お船とおんなじような色したお空に、すーっと吸い込まれてしまいそうやなぁなんて思えて。うちみたいな女にとっては、曇天も艦隊も、なんや保護色みたいで安心できるんかもしれへんね」

 やがて、彼女は、そんなことを言い出した。なんだか、話をはぐらかされてしまったようだ。その、なんとも柔らかな京言葉が、僕の耳を潤すのは相変わらずだったけれど。

「え……灰色の人生ってことですか?」

 僕は尋ねずにはいられなかった。

「まあ、そやね。思い出すわぁ……うちは、その昔、初恋に夢中になったんよ」

 昔? そうだ、忘れるところだった。彼女には事情があって、その経歴に僕のような人間の時間感覚を当てはめるべきではないのだ。

「初恋に有頂天になってた当時は、うちの世界は、薔薇色いうか、虹色いうか……それはもう、キラキラと輝いてたねん。けど、相手の男にこっぴどう裏切られてしもて……それからこっちは、ずーっと石みたいな灰色や。初恋が、最初で最後の恋になってもうた」

 僕は、思わず深呼吸した。

「最後の恋やなんて、言わんといてくださいよ、女王様」

 そんな言葉を紡ぐために、僕は、地球上の酸素を全て吸い尽くしてしまったかのようだった。


 僕は、二十歳はたちの陰陽師であり、地方公務員でもある。勤め先の役所で、日々、地元住民からの電話相談に対応しているのだ。

 ただし、通勤をはじめ、外出するたびに、僕は、色々とめんどくさいドレスアップをせねばならない。サングラスにマスクにイヤホン、そして、トレンチコートという出立ちが、季節を問わずにデフォルトかつマストなのである。

 あからさまに不審者じみているが、全ては、体中の穴という穴から侵入を試みる悪しき怪異たちから身を守るためなのだ。もしも、勢い良くコートをはだけたなら、内側に仕込んだ大量の破魔札はまふだが、ぶわっさーと飛散することだろう。

 当然ながら、警察官に見咎められ、職務質問を掛けられたことも一度や二度ではない。

 小近衛光祈ここのえこうきと名乗ったところで、その姓にピンと来てくれるような人物は、警察組織のずいぶんと上のほうにしかいないのだ。この辺りは、昔は陰陽師の本場だった土地柄であり、小近衛家は、現代の日本では最高峰の陰陽師の家系なのだが。

 なんでまたこんな格好を?——実は、三年ほど前、同門の陰陽師らと一緒に、大蛇の魔物を退治したはええんですけど、呪いを貰ってしもうて、こうするしかない体になってしもたんです……などと、正直に打ち明けたところで、現場の警察官に信じてもらえるはずもない。事態が拗れる前に、現当主である父か、前当主である祖母に連絡して、警察上層部にちょっとばかり動いてもらうのが身のためである。


 本日は、誰に見咎められることもなく、職場たる役所に辿り着くことができた。固定電話が乗ったデスクのある、ごくごく小さな地下室。魔物避けの結界に守られた、僕以外には誰もいない、殺風景な部屋。ただ、僕の呪われた体質に配慮したこんな個室を用意してもらえたのも、小近衛家の口利きによるところが大きいのだ。家族の心遣いに報いるためにも、今日も一日、地元住民からの電話相談に真摯に向き合わなければ!


「あの……ほんまに、そのくらいの供養で、お父さんは浮かばれるもんなんでしょうか……」

 最初の相談者は、高齢の女性で、怯えた様子が電話越しにも伝わってきた。半世紀以上連れ添った伴侶に先立たれ、喪失感に苛まれているという。

「あの、ご供養というんは、残されたご家族の気持ちを和らげるための行いでもあるんです。どうしはったらあなたのお気持ちが楽になるのか、今後の生活が苦しくならずにすむのか、どうかそのことも考えてください」

 僕は、努めて相談者に寄り添いながらアドバイスした。

 実は、この役所の電話相談を利用する地元住民は、相談相手を「医師・弁護士・陰陽師」の中から選ぶことができる。陰陽師を希望する電話だけが、僕が詰めているこの地下室に回されるというわけだ。

「あなたはそう言わはるけど、教祖様が!」

 相談者の声が悲壮感を帯びる。なんでも、所属する教団のトップから、亡き夫の地獄行きを防ぐには大金が必要だと吹き込まれているらしい。

 せっかく陰陽師を選んでくれた相談者だが、これは、弁護士に繋いだほうがいいケースではないか——

 僕が、公務員としてそんな思考を巡らせたちょうどその時、突然、けたたましい警報音が鳴り響いた。音源は、私物のスマホだ。勤務中はマナーモードにしてあるというのに。

「え? なんやの? また掛け直します」

 相談者は呆気なく電話を切った。僕のスマホだけが鳴動したわけではなく、一斉送信の緊急速報だったのだ。さては地震かと身構えつつ画面を見ると、「飛翔体が確認されました。屋内や地下に避難してください。」とのメッセージだった。

「なんや、ただのミサイルか」

 予め地下室にいた僕は、ついつい毒を吐いてしまった。

 ここ数年、近隣某国の独裁者が、何かにつけてミサイルを発射する。今までのところ、あくまで示威的で、ミサイルが陸地に命中したことはない。結局は海ポチャするのだが、それが確認されるまでは、時には何時間にも亘って、市民生活はそれなりの緊張状態に陥ることになる。

 それにしても「飛翔体」とは、速報ならではのざっくりとした表現だ。ミサイル以外にも、例えば、宇宙船とか、ペガサスとか、それこそうちのばあちゃんだったとしても間違いではないのだから。

 件の独裁者は何を考えているのだろう? 日本はとかく地震の多い国だけど、近頃は、地震よりも飛翔体絡みの緊急速報が明らかに増えている。僕が公務員として対応する電話相談から、本格的な除霊や退魔にまで至るケースはせいぜい年に一、二件だから、単純に比較すれば、飛翔体の頻度はその十倍以上ということになる。

 僕をはじめとして陰陽師たるもの、占いだって行うが、国際情勢や自然災害については、あまり精度の高い答えは得られた試しがないのだった。


 ものの三十分後には、ミサイルの海ポチャが正式に発表された。

 それを待ち侘びていたかのように、僕の元に電話が回されてきた。

「もしもし、助けておくれやす、受け入れ先を探してるんです」

 その一声だけで、先程の相談者とは別人だとわかった。若く瑞々しい女性の声だったのだ。その一方で、あまりにも緊迫した口調だったから、DVの被害者が身を隠すシェルターを探しているのではと思ったほどである。

「どうも、僕は、担当の小近衛です。あなたの状況を教えてください。例えば、暴力を受けて悩んでいるとか」

「小近衛さん?……男の人なんやね」

 相談者が僕の姓を復唱した後に、ものの数秒だが、妙な間が空いた。もしかして、彼女の心の中で、男性不信が煮えたぎっているのだろうか?

「はい、僕は男性です。女性の相談員をご希望ですか?」

 どうしても女性の陰陽師を希望するなら、予約して日時を改めてもらうことになる、と案内しようとしたのだが……

「それはええのん。むしろ、男の人でほっとしたわ」

 いくらか声を低めるようにして、ちょっとばかり意外な答えが返ってきた。

「わかりました。では、僕が承りますが、あなたのことは、なんとお呼びすれば?」

 この役所の電話相談は、匿名や仮名で行うことも一応は認められているため、僕は、その点を確認した。

「えっと……ほな、女王様と呼んでおくれやす」

 僕の喉笛が、ひゅっと音を立てた。彼女の声にふざけた様子は感じられない。

「……わかりました、女王様」

 地元住民に寄り添う公務員として、僕は、彼女の申し出に従った。多分、会話の相手を女王様呼ばわりするだなんて、小学校の学芸会で騎士の役を演じて以来である。

 なんだか、思い掛けない扉を押し開けて、その向こうに眩い光を見たかのようだった。

「女王様、それで、如何様いかようなご相談でしょうか?」

 ついつい、仰々しいほど丁重な物言いになってしまった。

「小近衛さん、うちは実は、付喪神つくもがみなんです。今は、とあるお船に取り憑いて、海の上にいてます。けど、どんどん居心地が悪うなるばっかりで……どうか、うちに新しい依代を紹介しておくれやす!」

 どうやら、僕は、なかなかの見当違いをしでかしていたようだ。

 彼女は、DVの被害者などではない。そして、地元住民が人間であるとは限らない。

 なるほど、女王様が陰陽師をご所望になる理由はわかった。


 付喪神とは、長年使い込まれた道具に霊が宿った妖怪である。自然発生する場合は、百年ほど使い込まれた道具が変化へんげすることが多いが、ものの十年程度で付喪神と化すケースもある。

 付喪神の中でもよく知られているのは、多分、唐傘お化けだろう。文字通り、唐傘に霊が宿って妖怪と化した存在である。

 唐傘の傘布——より正確には、油を染み込ませた和紙の表面に、一つ目と長い舌がくっきりと浮かんでいる。そして、中棒の代わりに毛脛に下駄履きの一本足が生えており、ぴょんぴょんと飛び跳ねるあれである。

 船の付喪神とは珍しいし、依代を乗り換えたいからと陰陽師を頼る付喪神は、もっと珍しいはずだ。なにしろ、陰陽師というものは、必要に応じて彼らを退治してしまうわけだから。


「えーっと、あの……」

 僕は、公務員生活最大の難問に、頭を悩ませた。真面目に勤めているとはいえ、せいぜい二年足らずのキャリアで、付喪神からの相談電話なんて初めてのことなのだ。それも、不動産屋で物件を漁るかのような自称女王様だなんて!

「陰陽師さんやったら、式神を納める術具くらい持ってはるでしょう? そこへうちを匿ってくれはるんでもかまへんのよ?」

 僕が返事を捻り出せないうちに、彼女は、ぐいぐいと畳み掛けてきた。

 式神とは、陰陽師が手足のごとく使役する使い魔である。そりゃあ、女王様の仰るような術具くらい、家に帰ればいくつもあるが、なんやなんや、不動産屋で物件を漁るどころか、小近衛家に上がり込まはる気ぃかいな! 初対面——どころか、電話で少々話しただけの男の元に押し掛けて、嫁……ではないにしても、式神の座に収まるつもりなんか?

 いっそのこと、女王様が、自分のことを付喪神だと思い込んでいるだけの人間にして患者さんであれば、精神科医とタッグを組んで対応することも可能なのだろうけど、僕の陰陽師としての感覚が、彼女はどうやら本物の付喪神らしいと囁いていた。

「女王様、恐れながら、式神として小近衛家に降嫁していただくためには、少なくともお見合い……いえいえ、面接の場を設けませんと……」

 僕の口調は混迷を極め、しどろもどろとなってしまったが、その背景には、厳然たる事実が存在していた。

 小近衛家の前当主たる僕の祖母は、「式神ハンター」などと名乗っている。当主の座を退いていささか気楽な身分になった途端に、珍獣でも探し求めるがごとく、強く珍しい魔物を手懐けて式神とすべく、しばしば旅に出るようになったのだ。

 小近衛家の陰陽師に従う式神となるには、彼女のお眼鏡にかなう必要があるのだ。


「ちょっと待ってぇな!」

 女王様は、絹を裂くような悲鳴をあげた。いやいや、待ってほしいのはこっちだ。僕は、前当主と現当主を交えたお見合い……もとい面接の必要性について、未だ口に出してはいなかったというのに。

「え……また、お仕事なん? もう、堪忍して……」

 そう言ったかと思うと、彼女は、電話を切ってしまった。最後のその言葉は、僕以外の誰かに向けられていたように聞こえたが、ただただ謎だった。

「如何なされたのですか、女王様……」

 もう繋がっていない電話に向かって、僕は、憮然として呟いた。


 またもや緊急速報がスマホを鳴動させたのは、その直後のことだった。地下室に一人切り取り残された僕は、またもや飛翔体を繰り出した身勝手な独裁者へと、八つ当たりを上乗せして、散々毒を吐くことしかできなかった。


 その日の夜、僕は、自分の部屋で、何度も寝返りを打っていた。一日の仕事ぶりについて、寝床で振り返り反省するのが僕の癖だが、今日はどうにも、身も心も収まりがつかないのだった。

 二度目のミサイルが無事に海ポチャした後、最初の相談者が電話を掛け直してきた。亡夫の供養に頭を悩ませ、教祖に付け込まれていたあの女性だ。彼女については、無事に弁護士に相談する機会をセッティングすることができた。

 その一方で、付喪神の女王様からは、その後全く音沙汰がないまま、今日の勤務は終了してしまったのである。

 彼女は、船に取り憑いた付喪神だと言っていた。京都の北方にも港町はある。その沖合いに浮かんでいるのだろうか?

 瑞々しく綺麗な声と京言葉のせいで、彼女は、僕の中では、和服姿の美女に変換されていた。その容貌を、勝手により具体的に想像しようとしたのだが、途端に彼女は、「決して見んといておくれやす」とばかりに、別室に閉じこもってしまった。いやいや、鶴女房やあらへんのやから。

 わかっている。僕の想像力が乏しいだけだ。だって僕には、恋愛経験がない。


 僕は、実家の離れの一室で寝起きしている。職場以上に厳重な結界によって守られた部屋だから、ここでは僕は、不審者ルックに身を固める必要もなく、気楽に過ごすことができる。

 僕は、生まれつきの霊媒体質だ。小近衛の家系でも特に大容量の霊媒体質であるがために、この体に憑依して、乗っ取ってやろうと襲い来る有象無象から身を守るべく、幼少期から、修行また修行の生活を送らざるを得なかった。

 その甲斐あって、高校に入る頃には、身を守りつつ除霊や退魔をこなせるまでになり、未来の当主として、一門の陰陽師たちと現場に出ることも増えていた。

 しかし、十七才のある日、大蛇の魔物を退治したことと引き換えに、特級の霊媒体質の身を守るために積み重ねた修行は無に帰したのである。僕は再び、魑魅魍魎にとって非常に香ばしい存在となってしまった。

 僕は本当は、大学に進学して、陰陽師の仕事にも役立つ民俗学を学びたかった。

 大学生になったら、一人暮らしを経験して、恋人を作り、さらっと言ってみたかったのだ、「今日、うちに来る?」なんて……

 そんなこんなのうえで、小近衛家の当主になるつもりでいたのだ。

 現当主である父は、かつて、陰陽師ではなく霊感すら持たない女性と大恋愛の末に結婚した。僕の母だ。しかしやはり、霊感すら持たない人には、小近衛家当主の妻の座は重荷だったらしく、両親は別居するに至った。

 あくまで別居であって離婚ではない。どうやら二人は、父が当主の座を退くのを待って、やり直すつもりでいたらしい。

 しかし、僕が大蛇の魔物に貰った呪いのせいで、何もかもが滅茶苦茶だ。次期当主も、いずれは選ばれるだろうが、僕ではない一門の誰かだろう。

 公務員としての今の仕事に、やり甲斐を感じないわけではないけれど……




 



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