第21話 一度きり

「おっかえりー!」


 玄関に入るやいなや、美紀の浮ついた声が千夜を迎えた。

いつからそこで待ち構えていたのだろう。靴を脱ぐ千夜の肩にまとわりつきながら、美紀の笑い声は止まらない。


「ねえねえねえねえ、どうだった? どうだった? デートどうだった? 告られた? 告られたの? ねえねえ、どうだった? 千夜ちゃんっ!」

「落ち着いてよ。手洗ってくるから」

「今日、お父さん達外で食べてくるって! ゆっくり報告会しようね! 張り切ってウーバー注文しちゃった!」

「お姉ちゃん……いつもウーバーじゃん。たまには台所使ってよ」


 いつも以上に高めのテンションの姉に呆れつつ、ほっとしている。自宅に帰り着いた実感とともに、肩の力が完全に抜けていた。


「チョコ屋の男の子、なにあれ。手繋いじゃって。あんたのこと絶対好きじゃん。顔デレッデレだったよ」

「見てたの……?」

「うん。だって待ってたし。ベランダからバッチリ見守ってたよ。寒かったぁ」

「もう……」


 ソファまで腕を引かれ、ぐいっと肩を抱いて隣に座らされる。美紀はなかなか強引だ。しかし千夜はそんな姉の言動が嫌いではない。自分ではこんな行いは絶対できないので、無い物ねだりかもしれない。憧れすらする。


「で? どうだった? 聞くまでもないと思うけど……告白されたでしょ?」


 リビングには姉妹二人しかいないが、美紀は千夜の肩を抱きながら、ぐっと顔を寄せてきた。小声で問いかける。


「……」

「どうなの?」

「こ……」

「こ?」

「……心、が」

「うん……?」

「心が欲しいって、言われた」


 身につけていたスカートの裾を、ぎゅっと掴んだ。先程のギーの声が蘇って、千夜の顔はあっというまに朱に染まる。


「つまり、好きだって。私のことが好きだって言われた」

「はぁー⁉」


 大きく叫びながら、美紀は両手で顔を覆っていた。


「何それー! 何その告白の言葉! 『心が欲しい』! やだもー!」


 ひとしきりソファの上で悶えた後、美紀は「えへんえへん」と喉を整えながら、再び千夜の隣に座り直した。


「からかわないでよ」

「違う違う。からかったんじゃないよ」


 ふうと軽い深呼吸をしてから、美紀は言う。


「良い言葉だなって思ったの。心が欲しい……か。あの男の子、そんな風に千夜に伝えたんだね」

「うん」

「それで千夜は? 返事したんでしょ?」


 まぁ、分かってるけどねと美紀は笑う。手にはいつの間にか缶ビールが握られていて、「祝杯」と鼻歌を歌いながらプルトップを開けていた。


「保留ってことになった」

「えっ?」


 口元に運んだビールを遠ざけて、美紀は目を丸めた。


「何あんたら。付き合うことにしたんじゃないの?」

「うん……」

「手繋いでたじゃない」

「うん……」


 千夜は今日のことを、かいつまみながら姉に話した。彰午との邂逅を話した時だけ、気分は重たくなる。


「私は薄情者だから……またあの時の二の舞いになったら嫌だ」


 彰午から言われた言葉は、古い錆のようにこびりついていた。必死で剥がしたつもりなのに、やはり残っている。


「ふうん。そっか。ま、いいや。元彼は過去の人。今は関係ない。未来のことには、もっと関係ない。ね? 今考えるべきことは、そんなに多くないし、難しくもないよ」


 カラリとした口調で、美紀は言う。まだ酒は入っていないが、彼女の選ぶ言葉と出てくる声は軽やかだった。そんな声に耳を傾けていると、千夜の気持ちまで軽くなっていくのだから不思議だ。


「元彼の二の舞いになったら、どうして嫌なの?」


 先程までの浮つき具合を消した、静かな問いかけの声だった。


「幻滅されたくない。嫌われたくない。嫌な気持ちにさせたくない。銀くんにそんな風に思われたら……だめなの。絶対にそんなの嫌だ」


 俯いた千夜の頭上から、美紀の笑い声が聞こえてくる。


「それさあ、千夜だってもう……。ねえ、千夜。今日彼と一緒にいた時間は、楽しかった?」 


 軽くなった頭の中で、その答えを見つけることは簡単だった。


「とっても楽しかった」


 即答である。

美紀は「ははっ」と笑った。嬉しそうに妹の頭を一撫ですると、この時初めてビール缶を傾けたのだった。


「大丈夫。あんたは薄情者なんかじゃないよ。元彼なんかより、ずーっと長い時間側にいたお姉ちゃんが言うんだから。間違いない」


 ぷはっという、気持ちのいい音が聞こえる。千夜は立ち上がった姉を見上げた。既に一缶目を空にした美紀が、にっこりと笑っていた。


「良いこと教えてあげるね……人生は一度きりなんだよ。やり直しなんてない。好きだと思うのなら、一秒でも長く一緒にいなきゃ!」

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