24 最後の一人

「いや、すまんね」

「なんのなんの」

「友達の頼みですし」


 結華は美紀とともに、香菜に頼まれて大学の芸術系の敷地に来ていた。


「ホントにおれも一緒でいいの?」


 その三人の後ろを、湊が周りをキョロキョロ見ながらついて行く。


「うん。音子ねねさんには伝えてあるし、いいよって返事もらったしさ」


 香菜が答える。香菜は自分のカバンのほかに、先ほど大学の購買で買った鉛筆が入ったビニール袋を持っていた。


「で、その、Eの五の自由室って、どこだっけ」

「このエレベーターで四階まで上がって、少し行った所」


 湊の質問に、結華が答える。結華も美紀も、こうやって香菜に付き添うのが当たり前になっていた。

 そして、着いた自由室という名の部屋のドアを、


「失礼します」


 香菜が開ける。と、


「おー。待ってたよ」


 と、胸像のデッサンをしていたらしい手を止め、長い黒髪を一つに纏めた女性が四人へ振り向いた。


「やー、手数をかけるねぇ」

「音子さんの頼みですし」


 音子と呼ばれた女性は立ち上がり、香菜へ近寄ってビニール袋を受け取る。そして、


「香菜はいつ見ても可愛いなぁ」


 と、自分より少し背の高い香菜に抱きついた。


「……音子さん。だから、あんまり……」

「大丈夫大丈夫。そっちのイケメン君にも話は伝わってるんでしょ? 今ここには、カラしかいないし」

「カラ?」


 美紀が首を傾げる。


「あそこの」


 音子に示された先を見れば、この広い部屋の隅、キャンバスの前で背を丸めた人物が、項垂れた様子で椅子に座っていた。背をこちらに向けているので、顔は見えない。


「ほっ、ほかに人……!」


 香菜が顔を赤くして慌てる。香菜の恋人──音子は、「だから、大丈夫だって。ねえ、カラ」と、『カラ』と呼んでいる人物に声をかけた。


「……騒ぎ立てたりなどしないし、変な噂を流すつもりもない。安心してくれていい」

(……おい?)


 結華は、その言葉でなく声に、眉をひそめる、という反応をしてしまった。


(おい、まさか、神様? マジで?)


 艶のある、低い声。項垂れているその人は男性。


「は、はぁ……」


 まだ不安そうにしている香菜へ、カラと呼ばれている人は顔を上げ、


「すまないが、……いや、すまなくないか。俺には今、喫緊の課題がある。誰が誰を好いているだとか……」


 と、その人はこちらに顔を向け、


「……」


 動きを止めた。結華を見て。


(当たったぁ……)


 その人は、唐沢鏡夜だった。


「……ちょっと、すまない、いいか。あ、いや、すみません。いいですか」


鏡夜は椅子から立ち、ずんずんと結華へ向かってくる。


「なんですかねぇ?」

「ご要件は?」


 その前に立ちはだかったのは、美紀と湊。


「あ、いや、少し、その、話が……」


 通せんぼをされた鏡夜は、慌て気味に、どう言えばいいかと前二人とその先の結華へ顔を向ける。


「話ってなんですかぁ?」

「なんですかねぇ」


 そこに、結華のほうから近づいていき、


「二人とも、ありがとう。でも、たぶん、大丈夫」


 と、美紀と湊の肩に手を置いた。そして、鏡夜を見上げる。


「唐沢さん、ですよね?」

「! そうです。一◯三号室の。覚えててくださったんですね」

「いちまるさん?」


 美紀は首を傾げ、


「なんだ? 柏木荘の仲間か?」


 湊は結華へ振り向く。


「えー、なんと答えればいいか」


 プライバシーに関わることは下手に言えない、と結華は困った顔になる。


「でもとりあえず、バリケードは必要ないと思う。唐沢さんは何か私にご用があるんですよね?」

「用、というか、頼みたいことというか」

「頼みたいこと?」

「カラ。その子が言ってたあの子だってこと?」


 そこに、香菜の手を引いてやってきた音子も加わる。


「そう、なんだが……」


 鏡夜の困った様子を見かねてか、音子が言う。


「カラね、モデルになって欲しい子を見つけたんだけど、どうやってモデルになってもらうか悩んでたんだよ」

「モデル」


 結華の言葉に、


「そう。モデル」


 音子が答える。


「なぁんだそういう話かぁ」


 と、美紀が退いて。


「道理で敵意や悪意がないと思った」


 と、湊もぽそりと言いながら、退く。


「……で、その……モデル、とは」

「いや……絵のモデルになってもらいたいんだけど……ちゃんと金も払う。もちろんヌードじゃなくて着衣だ。イメージが固まるまででいい。引き受けてくれないか」


 前髪の奥の眼差しは真剣で、この言葉に嘘はない、と結華は思った。


「……分かりました。けど、モデルなんてやったことないし、どうすればいいんですか?」

「本音を言えばちゃんとやりたいが、それだと君に負担がかかる。俺は自然体の君をイメージしてる。ちゃんとしたモデルじゃなくていい。一日十五分、期間は一旦七日間。ここでも、高校の空き教室でも、アパートでもどこでもいい。君を描ける条件が揃っていればどこでもいい。ポーズもなんでも良い。というか、出来るなら様々な角度から描きたい。描いている間に喋っててくれても構わない。ごく自然体な君を──」

「カラ。ストップ」


 音子が、ぽん、と鏡夜の肩に手を置いた。


「え、あ。……すまない……」


 鏡夜は結華の眼前まで近づいてしまっていたことに気づき、すっ、と距離を取った。


「い、いえ……大丈夫ですので……」

「こいつはねー、一個のことに意識が行っちゃうと、周りが見えなくなんのよ」


 音子の言葉に、


「その通りですまない……」


 肩を落とす鏡夜。


「いえ、ですので、大丈夫ですから。えーっと、一日十五分、ですよね」

(湊のこと、どうしよう)


 そう思いながら、結華が湊へ顔を向ければ、湊はニッ、と笑って。


「でさ、確認なんだけど。話からして鏡夜……名前で呼んで良い?」

「ああ」

「鏡夜も柏木荘の仲間だってことだ? なら、ちょっと、結華と鏡夜との三人で話したいんだけど、いい?」


 その言葉に、鏡夜は首を傾げる。


「話、は、良いが……なんの話だ?」

「柏木荘についての話。なあ結華?」


 湊が結華に顔を向ける。


(体質のこと、話すってことだよね)

「まあ、そうだね。話しといたほうがいいと思う。あ、唐沢さん。変な話ではないので。ご近所付き合いの情報共有みたいなものです」

「はあ……」


 そして湊が鏡夜の腕を取って「ちょっとプライベートなことなんで」と部屋の隅に寄り、結華も香菜たちへ「ちょっと待っててね」とそれに混ざる。


「……柏木荘、今誰が住んでるんだろうね?」

「さあ……」


 その様子を見ていた香菜と美紀は、顔を見合わせる。


「……は? え?! あ、ああ、いや、すまない……」


 三人集まって何を話しているのかと思えば、鏡夜が変なリアクションを取る。そして、スマホでなにかやり取りしたかと思うと、三人で戻ってきた。


「あの、帰ってから見せて……会わせてくれないか? その、あれ……」


 鏡夜は湊に何かをお願いしており、


「良いよ。アンタは良い人みたいだしな」


 湊が軽い口調でそれに答える。


「なんか分かんないけど、話は纏まったのかな?」

「ああ」


 音子の問いかけに、鏡夜は深く頷く。そして鏡夜はキャンバスやイーゼルや自分の物を素早く仕舞うと、


つぐみはどうする。まだやっていくのか」


 と、聞いた。


「んー? 帰るの?」


 それに音子が首を傾げる。鶫とは、音子の名字だ。


「いや、皆が残るなら俺は如月さんを描く。帰るなら、俺も帰る」

「なら、帰ろっかな。ね、香菜、今日、これから、家来る?」

「! 行きます!」


 音子は実家暮らしだが、香菜のことも了解している。つまり、お家デートしよう、ということだ。


「じゃ、帰ろっか」

「わあ、私、ひとりだ。この前の結華の気持ちが分かる」


 美紀の言葉に、


「いや、私は家に帰るのとほぼ同等だし」


 と結華は注釈のように言った。

 そして、六人で揃って大学を出て、帰路につく。


「あ」

「ん?」


 電車内、結華の声に、湊が反応をすると、


「あ、いや、大鷹先輩にも声かけなきゃなぁ、と、思ってね」

(昨日あの時言えばよかったなあ……)

「大鷹? バスケの? なんで?」

「え? あ、いや、なんでもない」

(そっか。湊は大鷹先輩が住んでることは知らないのか。個人情報漏らすとこだった)

「……大鷹って、俺と同日に引っ越してきた子、方、か?」


 そこに、鏡夜が思い出したように言ってくる。


「え? あの人も仲間?」

「仲間というか、柏木荘の住人だ。住んでる階が違うから、まだ一度も顔を合わせてはいないが」

「ほぉん」


 鏡夜の説明に、湊が軽く頷く。


「結華、声かけてないの?」

「……。かけられてないねぇ……」


 もう情報はバレたも同然なので、結華も話に混ざる。


「じゃ、帰ったら声かけてみようぜ」

「たぶん、まだ帰ってないよ。部活してると思う」

「あ、そっか。部活から帰ってくるの、何時だか分かる?」

「さあ……自主練とかもするだろうし、分かんないよ」

「じゃあ、帰ったら、ディアラに様子見に行ってもらうか」

「ディアラに?」

「帰ってきたかの確認。それから声かけに行こう」

「……柏木荘の住人は、全員紅蘭関係なのか」


 鏡夜が言ったそれに、結華は内心ギクリとする。


「すごい偶然だな」

「だな。あ、そっすね」

「口調はタメで構わない。そういうのはあまり気にしないからな」

「そう? なら、遠慮なく」


 紅蘭関係、には深く突っ込まずいてくれた二人に、結華は胸を撫で下ろした。



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