17 なあ、ゆいちゃん

「えっ」「え?」「何? 叢雲?」

「いや、叢雲じゃなくてムラクマ……」


 結華は言いながら、あり得ない、といった顔を律へと向ける。

 律も、とてつもなく驚いた顔を結華へ向けていた。


(……まさか……いや、いやまさか……)


 結華は恐る恐る、その『呼び名』を口にする。


「……りっちゃん……?」

「っ?! …………っな、は、ゆ、……」


 律は再び驚き、何か言いかけ、迷うように口を閉じる。その目も彷徨い、


「──あっ!」

「クルゥ」


 ディアラがふわりと、結華の横に降り立ったのを見て、


「だっ、それ返、離せ!」


 ディアラへと手を伸ばした。が、


 パシンっ


「なっ?!」


 ディアラに尻尾でその手を弾かれる。


「……あー……なんかディアラは、それを結華のもんだと思ってるみたいだな」


 それを見て言う湊の推測に、


「……なるほどね」


 結華は肩を竦め、


「あのね、ディアラ」


 ディアラに体を向けて、


「それはね、間違ってなければ私が作ったものだけど、私のものじゃないの。昔にね、すっごく仲が良かった子にあげたプレゼントなの。だからね、返してあげて?」


 それを聞いたディアラは、苦笑する結華と、顔を赤らめた怒り顔を向けてくる律を交互に見て、


「……クゥ……」


 小さく鳴くと、律の前の床にそれを置き、


「わっ?」


 結華の膝の上に登って、「クルルゥ、ルゥ」と胸元に頭をこすりつける。


「許してってさ」

(許す……って言っても……)

「ディアラ」

「クルル」


 顔を向けたディアラに、


「それはね、こっちの人にしないとね」


 と、結華は律を示す。律は『ムラクマ』を拾い上げブレザーのポケットに入れ、胡座をかいて腕を組んで、厳しい視線をディアラに向けていた。


「クルゥ……」

「あっ、ちょ、」


 ディアラは結華を壁にするように、その視線から隠れる。


「……別にいい。転校生、ちゃんと躾けとけ」


 舌打ちをして、律は視線を外した。


「ごめんな、しっかり言い聞かせとくわ」


 苦笑しながらの湊の言葉に、律はまた舌打ちをして顔を背けた。


「……」


 伊織はずっとオロオロしっぱなしで、


「……」


 湊はどうしたもんかと頭をかく。


「……」


 結華は聞きたいことが沢山あったが、ここでは憚られるしと、口を噤む。


「……」


 律は眉をひそめ、誰とも目を合わせない。

 また、微妙な空気の復活だ。


「……よし!」


 パン! と手を打ち、それを切り替えようとしたのは、湊だった。


「じゃ、おれらちょっと席外すな。二人の話に区切りがついたら、呼んでくれよ。伊織、一回おれの部屋行こうぜ」

「えっ、えっ?」

「え」

「……」


 湊は伊織と肩を組んで、


「ディアラ」

「クルルゥ!」


 ディアラが自分の胸の中に入ったのを見てから、


「じゃ、ほらなんか、いい具合のトコで呼んでくれ」


 と、部屋から出ていった。


「……」

「……」

(き、気を利かせてくれたのは嬉しいけども……)


 何をどこから聞けばいいのか分からない。結華は一瞬、頭を抱えたくなる。


(……いや、気合い入れろ!)

「……中館さん、まず一つ、いいですか?」


 律の正面に座った結華へ、


「……」


 律は答えず、目も合わせず。


「中館さん、答えてほしいんですけど」

「……」

「なか……、……りっちゃん」


 そしたら律がこちらを見た。


(子供か!)

「はぁ……りっちゃん……ってことは、それは本当にムラクマなんですね?」

「……その喋り方やめろ」

「はい?」

「変に敬語使うな」

「……今まで何も言ってこなかったくせに……?」

「なんでもいいだろ。普通に喋れ」

「……りっちゃん、わがままになったなぁ」

「あ?」

「記憶の中のりっちゃんと違い過ぎる……あの可愛らしい思い出達が壊れそう」


 結華が肩を竦めてそう言えば、


「…………俺だって、なりたくてこうなった訳じゃねぇ」


 律は片膝を抱え込んで、下を向いた。


「……。じゃあ、ムラクマのことは一旦置いておいて」

「置いとくな」

「なんでよ」

「……お前、ちゃんと覚えてんのか」

「ちゃんと? ムラクマのこと? 覚えてるよ? 引っ越すっていうりっちゃんのために、三歳にして初めて針と糸を持ってお母さんに教わりながら作って、『忘れないでね』って渡したのが、紫のクマ、略してムラクマ」

「……覚えてんの、それだけか」


 律が顔を上げ、結華を射抜くように見る。


「……」


 結華は対抗するように目を細めたが、


『じゃあ、誓いの──』


 あの、幼い頃だからこそ出来た無謀なあれが脳内で鮮明に再生され、


「っ……」


 顔を赤くして視線をずらしてしまう。


「……覚えてんだな」

「だったら何」

「俺だけが覚えてたらクソ恥ずいだろうが」

「ごく個人的理由ー……」


 結華は呆れ、額に手を当て、


「……それだけだと思ってんのか」

「は? ぅわっ!」


 その腕を律に取られ、引かれ、前につんのめる。


「あぶっ……な……」


 律の胸に顔を打ちつけかけた結華は、壁に片手をついてなんとかそれを回避して、


「急にやめてよ危ないでしょうが」


 律を見上げ、


「っ?」


 じっ、と探るような、それでいて真剣な眼差しを向けてくる律に、口を閉じてしまう。

 律はそのまま結華の腰に腕を回し、


「えっ」


 抱き寄せ、顔を近づけ、


「ちょ、な、」

「……あれは、俺の支えだった」

「へ?」

「あれがなかったら、俺はもっと腐ってた。……なあ、ゆいちゃん」


 律は、より一層、結華に顔を近寄せ、


「あの約束、まだ有効か?」


 それに目を見開いた結華を見て、律はにやりと頬を引き上げ、


「バーカ」


 パッと手を離した。


「はっ?! わっ!」


 それにまたバランスを崩しかけた結華は、今度こそ律の胸に顔を突っ込むことになり、


「んむっ!」

「おお、ああ、わりぃ」


 律のその、軽い口調も合わさって、


「…………お、」

「お?」

「乙女心を馬鹿にすんなこのヤンキーがぁ!」


 結華は顔を上げて律を睨みつけながら叫んだ。



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