5 魂を癒やす

 結華がパタン、と玄関を閉めれば、湊は玄関をぐるりと見回したあと、


「うーん……」


 結華へと、その顔を近づけた。


「な、なんですか……?」


 結華より少しだけ背の高い湊の、その赤い瞳に見つめられ、結華はじり、と半歩下がる。


「ああ、いやさ、少し確かめたくてさ」


 湊は顔を引っ込めると、


「これ、内緒な」


 と言って、顔の横に右手を持ってきて、人差し指を立てる。


 ボオッ!


 その指先の少し上から、拳大の炎が上がった。


「……えっと、手品ですか?」

「いんや? 魔法」


 湊は猫のような目をニヤリとさせる。


「魔法?」

「そ。見てなよ」


 すると、炎は水の球に変わり、緑色のキラキラしたつむじ風に変わり、最後に、


「こいつ、おれの契約獣な」


 白い毛と羽根と虹色の鱗に覆われ、真っ白で鳥のような翼と、白い羽毛に覆われた長い尾を持つ、人の頭ほどの大きさの生き物が現れた。その生き物は「クルル」と鳴き、青く煌めく瞳を結華に向けてくる。


「こいつの名前はディアラ。意味は空を統べるもの。種族名はカイラルドラァグ。絶滅危惧種なんだ」

「は、はぁ……へっ?」

「クルゥ、クルルル」


 ディアラという名前の、カイラルドラァグだというその生き物は、翼を羽ばたかせて結華に近づき、その頬に自分の額を擦りつけてくる。


「そっか。結華が気に入ったか」

(なんだろう、また夢かな)


 現実逃避をしながら、けれど頬に当たるふわふわした感触がこれを現実だと言わしめ、


「ど、どうも……」


 と、結華はなんとかそれだけ言った。


「そんでな」

(まだなにかあるのか)

「色々見せたから少しは信じてもらえると嬉しいけど、おれな、別の世界からこの世界に生まれ直してきたんだよ」

「はぁ……は?」

「まあそこまでの経緯は省くけど」

(省かないでほしいよ?!)

「元の世界の能力的なもんも引き継いで生まれ直したんだ。で、ここからが本題なんだけど」

(今までのが前座だと?!)

「結華の魂に頼らせてほしい」

「……魂に……?」

「そ。時々でいいから、おれの魂を癒やしてくれ!」


 満面の笑みで言う湊に、ここまでファンタジーな情報を浴び続けてきた結華の脳みそは、半分機能停止していた。ので、その言葉に、ただ反応する。


「癒やすとは……」

「そのままだ。前の世界のおれの種族は、定期的に魂を癒やさないと、最悪死んじまうんだ」

「えっ」

「だからみんな、自分の魂を癒やすものを見つけて、それを肌身離さずに、一生大事にして生きてく。けど、見つけられないやつもいる。そんな時は清浄な空気で食いつなぐんだけど、やっぱ完全には癒やされない。おれは、その特性も引き継いで生まれ直しちまったみたいなんだ」

「そ、それは大変な……?」


 なんとか言う結華に、「アンタ、優しいな」と湊は軽い笑顔を向けて、


「今までは、じーちゃんと田舎に暮らしてて、そこには清浄な空気もそれなりにあった。けど、……色々あって、そこから出なきゃならなくなった」


 湊が苦笑しながら言う。


「で、おれは必死に、魂を消滅させないために、清浄な場所を探した。そしたらここに、清浄を超えるもの、まあ、結華の魂の残滓だったんだろうけど、おれの魂を癒やす何かがあった。だからおれはここに越してきて、その正体を探ろうと思ったんだけど──」


 湊は、結華の肩に、ぽん、と手を置いて。


「早速見つけた訳だ。おれは運が良い」

「そ、ですか……」


 なんとかそれだけ言った結華に、湊は真剣な顔を向けてきて、


「礼はする。時々でいいから、本当にたまにでいいから、癒やさせてくれ。頼む」


 結華へ深く頭を下げた。


「えっ、……えっと、私でよろしければ……?」


 頭が回っていない結華は、その真剣さにも押されて、頷いてしまう。


「ほんとか?! 良いのか?! ありがとう結華!」


 それを聞いた湊は、勢いよく顔を上げ、その顔を輝かせ、結華に抱きついてきた。


(………………え?)


 結華の思考は完全に停止し、ディアラが嬉しそうに「クルルゥ」と鳴きながら、結華達の上を飛び回る。


「良かった……」


 本当に安心した、というような湊の声に、結華は何も言えなくなってしまう。

 そしてそのまま抱きしめられ、


「……」

「……」

「……あ、の、佐々木さん……?」

「あ、ごめん」


 港は何事もなかったかのように、結華から離れた。


「助かった。今のでだいぶ癒やされたよ」

「え? ……今ので?」

「うん。ほらさっき言ったろ。自分を癒やすものは肌身離さずって。距離が近ければ近いほど癒やされんだよ」

「ほ、ほう……?」

「おれ、そろそろ限界だったからさ。結華は命の恩人だ」

「それは……どうも……」

「で、礼は何がいい?」


 首を傾けながら明るく言われ、そろそろ色々と限界だった結華は、


「……一旦保留で……」

「そうか? なら決まったら言ってくれ。遠慮とかいらないからな」

「了解です……」

「じゃ、おれ、戻るな。ディアラ」


 呼ばれたディアラは、一声鳴くと湊の胸の中に吸い込まれるようにして、消えた。


「じゃあこれからよろしくなー」


 湊は軽い声と顔を向け、手を振って、玄関から出ていく。


「……………………」


 蕎麦の箱を持ったまま立ち尽くしていた結華は、


「ポッポー! ポッポー! ポッポー! ポッポー!」

「!」


 リビングからの鳩時計のそれにハッとして、一気に現実に引き戻されるように、その頭が回りだす。因みに鳩時計は、結華の父が買ってきたものである。


「よ、四時……? えっと……今、私は……」


 今日のことが頭の中を駆け巡り、湊とのやり取りを鮮明に思い出し、


「は、あ、はぁあ?!」


 結華はことの重大さに気づき、加えて抱きしめられたことに今更恥ずかしくなり、しかもそれがドがつくほどのイケメンであることに顔が熱くなり、


「落ち着け落ち着け落ち着け落ち着け」


 リビングへ向かおうと、そのノブに手をかけ、ようとして手が滑り、


「ごぶっ!」


 結華は勢いよく、リビングへのドアに顔面を強打した。


 ❦


「いや、色々と問題がありすぎる」


 冷静になった結華は、当たり障りのない報告をラインに送り、自分の部屋で頭を抱えた。


「佐々木さんについての様々な情報が足りなさすぎる……距離によって癒やしの効果が変化するとか言ってたけど、具体的にどの程度の距離なのかとか。癒やされ具合はそれに比例するのかとか。どれだけ離れると効果がなくなるのかとか……」


 湊は穴だらけの情報だけ残して戻ってしまった。早急に、知っておかなければならないことを確認しに行かなければ。


「最悪死ぬって言ってたし……もしそうなったら私のせいみたいなもんだし……」


 間接的だが、人殺しなんてしたくない。


「……行くか」


 結華は諦めるように決意を固め、湊の部屋である二◯三号室へ向かった。

 家から二階へ降りて、一番右へ足を向ける。と、


 ガチャリ


「あ」


 その隣の二◯二号室のドアが開き、そこに住む律が出てきた。


「あ、こんにちは。お出かけですか?」


 結華は、もはや営業用と言える笑顔で話しかける。この笑顔は大家の娘として鍛えられた部分もあるが、バイトで鍛え抜かれた割合も大きい。


「ああ、はい。ちょっと」


 どこか言いにくそうに返事をした律に、内容は聞かないほうがいいなと結華は判断し、


「そうですか。では、お気をつけて」


 と、会釈をして、二◯三号室へ向かった。


「え、なに? もう何にするか決まった?」


 二◯三号室のインターホンを押せば、湊はすぐに玄関を開け、そのまま聞いてくる。


(ここでその話をするな!)


 叫びたくなった結華だが、


「いえ、その前に確認したいことが。少しお邪魔してもいいですか?」


 努めて冷静に対応する。


「? いいけど」


 そして部屋に入っていく結華を、


「……」


 律が目を細めて見つめていた。



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