狐の嫁入り

紅丸は塔子を庇いながら、隠れていろと合図をした。警戒しながらリビングに進む紅丸を見送りながら、私は素直にクローゼットに隠れた。今日は晴れているはずなのに雨音が聞こえる。


「いきなり人んちの窓を粉々にするのは流石にないやろ。なんの用や」


紅丸の声がリビングから聞こえる。


「随分可愛らしい部屋だな。無骨な山狗ヤマイヌの部屋とは思えん」


誰の声だろう。聞き覚えがある気がする。


「ここで嫁と新婚生活する予定やからな!」

紅丸は得意げに返している。


「申し訳ないが、塔子は私が予約済みだ」


名を呼ばれた途端、塔子の脳裏に祇園甲部歌舞練場の庭で出逢った白い着物の人の姿が鮮やかに蘇る。塔子はクローゼットを抜け出してそっと開いてるドアの隙間からリビングを盗み見る。


(やっぱり、あの人だ)


「その娘の母は天狗に縋る前にすでに私と契約している。それは鞍馬の大天狗も知っているはずだよ」


少し片眉をあげた白い人と塔子の視線が交差する。美しいけれど寒気をするような冷たい人という印象を受けた。


「花嫁は返してもらう」


「月のもんもきとらん子供やぞ」


そう言われた切れ長の目を見開き、銀色の髪も逆毛だてた。


「なぜ知っている…!」


「さっきベッドで言われたから」


1枚しか割れていなかったリビングのガラス窓が次々と粉々に弾ける。



「おまえ嫉妬しとるんけ?!」

狐は逆毛立てたまま、紅丸に向かってゆく。


「さよう、狐は嫉妬深い。このままお前を喰い殺してしまいたいぐらいだ。だが、いくつもの神に縋るような愚かな女が元凶でお前らに咎はないから引けば今回の件は許す。娘に関しては私が先だ。九尾の狐に勝てると思うのか?山狗が」


(耳も尻尾もないけど、狐なのか)


確かに言われてみれば、艶やかな白銀の髪も、赤い口も金色の眼も狐を思わせた。紅丸は狐の言葉に躊躇した様子をみせるが、あきらめきれないようにゴネる。


「塔子ちゃんが、どっちを好きかとか気持ちとかで決めるとかあるやろ…」


(いや、紅丸さん私の気持ち考えてくれたタイミングなかったと思うんだけど…?てゆうか二択しかないの…?)


心中穏やかで無い塔子に、狐のダメ押しの一言が降ってくる。


「娘は桜の吹雪く中でのロマンチックな出逢いで私に一目惚れしている」


「一目惚れとかはしてません!」


塔子は堪えきれず口を挟んでしまった。

狐は塔子の言葉には心底心外だったようだ。


「お前との出逢いを演出するためにわざわざ祇園の枝垂れ桜を今年は半月を早く咲かせたのだぞ!桜吹雪に吹かれるこの私を美しいと思っただろう」


(ナルシストだ、この人)


「確かに綺麗な人とは思ったけど…」

塔子の言葉に満足気に狐が頷く。


「一目惚れはしてません」

塔子はキッパリと言い切った。


「ガラスなんて危ないですし、紅丸さんの家にきて暴れるなんて、大人としてひどいと思います。一目惚れもしなかったけど、今後狐さんを好きになれる気もしません」


狐は面食らったようだった。今度は満足気な顔で私の話を聞く紅丸に向かった。


「いや、紅丸さんもいきなり人を拉致して暴行しようとしたんですよ。犯罪です!全然許しません」


「せっかく綺麗によそゆきを来て、髪の毛を編んで間に合うように家を出たのに!公演見逃しちゃったし、絶対ママに怒られるやつだから、誰にも見つからないように早く私を家に帰してください!」


塔子は言いながら大粒の涙をポロポロ流した。狐と天狗は少しバツが悪そうだった。すんなりと帰してもらえた。


リビングだけでなく、全ての部屋の窓ガラスが割れた紅丸のマンションは、至る所にガラス片が飛び散った状態であったし、塔子の今後の処遇については狐と天狗の間での話し合いをすると言われた。


狐は私を誰にも見つからずに送り届けることにかけては、完璧に成功した。お風呂にゆっくり浸かりながら、今日の出来事を思い出す。四条通りも花見小路も溢れんばかりの観光客がいて、見知った顔もチラホラあったのに誰も私たちを認識しないことが本当に不思議だった。


「せっかくのデートなのにね、可愛い子を連れて歩いているのを自慢できなくて残念だ」と吐息混じりに耳元で囁かれた塔子はゾワゾワして、帰り道はずっと狐をシカトをしていた。無視されたことに機嫌を悪くした狐はレンタル着物を着た女の子たちにピンポイントに俄雨を降らせ、悲鳴をあげさせて遊んでいた。今思い出してもゲンナリする。


(顔は綺麗だけど、性格に難ありだなあ)


塔子は今のところ、どちらか選ばなきゃいけないといわれたら、絶対紅丸だなと思っていた。


(紅丸は可愛い部屋を用意してくれてたし、優しそうで悪いやつじゃなさそう)


意地悪そうな狐は、そういえば未だに名前も知らない。


敷きっぱなしのお布団に服のままポフっと倒れこむ。母たちにはまだ行っていないのがバレていないようで、安心したら眠くなった。今日の出来事は衝撃的すぎて、思考は形になるでもなく微睡みを通過していく。


(勝つ春は、夢で見た通りだろうか。指切りすらせずに約束を交わした彼が父なのだろうか)


夢の細かいディテールは指の隙間から水が溢れるように、掴もうとするほど思い出せなかった。とりあえず父の顔はもう思い出せない。


夕飯も食べぬまま、塔子は眠りについた。

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