第18話 姦通だって?冗談じゃない

「まず、本王から夕べのことを話すとしよう」 

 郡王が話し始めた。

「その前に、夫人は先月落馬してしばらく昏睡状態にあったことを言わねばならぬ。ようやく意識が戻ったのだが、本王は不安で不安でならぬ。意識が戻ってからも、夜は寝た気配がしてもしばらくは親王殿下と縁側で碁を打ったり、将棋を指したりしていた」


 次は周王だ。


「本王と八兄、そして八嫂の三人は、子どもの頃から知る仲である。父皇の調子が戻らず、八嫂まで昏睡されたことを聞き、南都を預かる八兄がどれだけの負担をしておられるか想像し、手伝うために南都へ赴いたのだ。毎晩毎晩、県君がうなされていまいかと、八兄が心配されるので、夜はしばらく夫人の寝室の前の縁側で郡王と二人で周り縁で碁を打ったり、将棋を指していた」


 また郡王だ。


「それを聞いた夫人が、また三人で将棋を指したいと言う。しばらく前まで昏睡状態にあった人を、縁側で夜風に当てるわけにはいかぬ。寝室で三人、つまり我ら夫妻対周王で将棋を指していたのだ。そこへこの者が踏み込んできた」


 陳亮は徐傑を呼んだ。


「なぜ踏み込んだ」

「……寝室の障子に、ひと組の男女が手を取り合う様子と、『人が目を覚ます』『ひどいじゃないか、瑶瑶、可愛い顔をして』『諦めぬ』『連れて逃げたい』という声が聞こえたので……」

「確かに、道ならぬ男女の会話に聞こえるな……」


 俺は頭を抱えた。


 周王が立ち上がり、円卓と将棋盤を用意するように求めた。


 俺たちは夕べを再現した。

 俺と周王が向かい合って座り、将棋の駒を進める手つきを横から見せたのだ。

 周王が円卓の下を指差し、不快そうな声で言う。


「これでどうやったら本王が県君の手に触れることなどできるのだ!」


 郡王は円卓の下で俺の足を揉んでいるのだ。

 ギャラリーが声を漏らした。


「静粛に!静粛に!」


 郡王は円卓から出て言った。


「昨日、夫人はこの政務府の前の階段を登ろうとして、足が攣ってしまった。それで将棋を指しながら、夜も夫人の足が心配で揉んでいた」


 後ろのギャラリーから黄色い声が飛んだ。


「昨日、殿下が夫人の足を揉むのも、おんぶして登られるのも見ました!」

「俺も見た!」

「帰りの馬車の中で、ねえ!」

「あの熱い口づけ……」


 そうなんだよ。馬車の窓にかかっていたすだれは上がったまんまだったんだよ。


 ギャラリーがやんややんや言い始めたので、陳亮は忙しい。


「静粛に!静粛に!」


 周王まで叫んだ。


「本王の隣でだぞ!どうやったら姦通なんか!」


 陳亮は周王に質問した。


「親王殿下、徐傑が聞いたと言う発言についてお聞きしたいのですが」


 周王は不機嫌そうに答えた。


「『人が目を覚ます』というのは県君の発言だろうな。本王が入ったとき、音を立てたので侍女たちを起こしてしまわないかと心配したようで叱責された。あと、日中郡王と少し喧嘩をしたのでそのことについて本王は誤った。ええと、」


 陳亮は隣の速記を見たのだろうか。


「『ひどいじゃないか、瑶瑶、可愛い顔をして』というのは」


「よく覚えていないが、それも本王だろう。瑶瑶というのは、子ども時代からの八嫂の呼び名だ。八嫂は太后宮で育ち、我ら三人は子どもの頃から知る。そして昔から将棋にめっぽう強く容赦がないので、つい本王がなじったような気がする。他には?」

「『諦めぬ』」

「勝負のことだ」

「『連れて逃げたい』は?」

「これも勝負のことです」

 周王はため息をついて続けた。

「誤解させる言い方なのは認めよう。本王が八嫂を正夫人にと心から望んでいたことは、多くの人が知っていることだ。すぐに断ち切ることができるような軽々しいものではない。想像してみて欲しい。目の前でその人が夫と、それも本王の大切な八兄が、とにかく、八兄は人目を気にしない人で、揉まれて八嫂は……」


 周王はそこで言いすぎたと口ごもったのに、どこかで「あぁん」というピンク色の声が飛び、陳亮が静粛を求め、俺はまた袖で顔を覆った。


「とにかく、本王の目の前なのだぞ……本王はもともと将棋に強くないのに、もうイライラしてしまい、どう動いても次は王手飛車取りというところまで追い込まれてしまった。飛車と王を連れて逃げてしまいたいという意味だ」


 今度は郡王だ。


「皇后宮か太后宮で、我ら三人の子ども時代をよく知る者に聞くがいい。周王殿下は負けかけると、将棋盤をひっくり返してみたり、駒を持って逃げ出したことが何度もある」



 だが、後ろの方から女の声がした。


「ですが、昨日お帰りになった娘子は殿下にお怒りの様子でした」


 水仙だった。


「そなたは誰じゃ」


 水仙が前に出た。


「水仙と申します。髪結いを生業にしておりまして、今は郡王府に通いの髪結いをしています」


 郡王が言った。


「確かに、そなたは本王が夫人のために雇った髪結いである。水仙か百合か覚えていない」


 俺の番か。


「確かに、この者は水仙と呼び習わす髪結いである。今朝はこの者が来る前に出たので髪の毛があまり整っていない」


「水仙、昨日帰宅した娘子はなんとおっしゃったか覚えているか」


 水仙は俺をちらりと見て答えた。


「皇后宮で両殿下が取っ組みあったので帰らされたことや、殿下の行為に腹を立てておられました」


「娘子、その通りですか?」


 俺はため息をつきながら答えた。


「皇后宮で両殿下が取っ組みあったので帰らされ、おかげで陛下のお見舞いもできなかったのです。このことに対する不満がありました。また、さっき出た話ですね、人前でおぶわれました。そのことについて、太后娘娘の前で母后娘娘から叱責され、これも気に食いません。それとさっき周王殿下のおっしゃったとおり、郡王殿下は人目をあまり気にするお方ではないようで、それで二人きりになったときの様子までご覧になった人がたくさんおられるわけです。本君は気にします。それで、昨夜は夕食を共に取ることを拒否しました。ただすねただけです。夫婦の間で多少、ね、ございますでしょ」


 陳亮は頷いた。


「確かに、どこの夫婦にも多少はあります」


 そこに水仙が叫んだのだ。


「南殿に仕える者は皆知っています。殿下と娘子があまり仲がよろしくないことを」


 俺はため息をついた。


「記憶を失ったのです。訳が分からず戸惑っているところを、殿下に大切に大切にしていただき、情が湧くではありませんか」


 陳亮はまた頷いて続けた。


「昨日の両殿下の取っ組み合いが、少し気になります。娘子、伺えますか」

「本君と郡王殿下の結婚によって、第八皇子殿下と第九皇子殿下の間に隙間風が吹いていたようですが、和解したようだったので、母后娘娘と二人でその部屋を出て、両殿下二人だけにして差し上げましたところ、取っ組み合いが始まってしまいました」


 そこで郡王は口を指差した。


「塗ったのでわからぬか。化粧を落としたら見せられる」


 油と布が用意され、郡王が口元をぬぐうと、そこには青あざがあった。


「これは周王殿下が?」


 周王は俯いて頷いた。


 皇后宮の女官だという女が尋問される。


「わたくしが知ることは、パンと音がした後に周王殿下が『諦めぬ』と叫ばれたことです」


「周王殿下、これはさすがに将棋ではありますまい」


 周王は辛そうに答えた。


「さっき八兄と八嫂がおっしゃった通り、八嫂は昏睡された。気がつかれたはいいが、記憶が飛んでおられる。我々三人の子どもの頃の、楽しかったことも忘れておられるのがどうにも辛く、何としても記憶を取り戻して欲しいという希望を述べたところ、八兄には『記憶を戻すためにもう一度落馬させるつもりか』と言われて、そう言う意味ではないと、口論になってしまい、勢いで……」


 郡王も続けた。


「本王は顔を殴られたから目立つが、本王も親王殿下の腹を殴った。本王の方が力が強いのに、力を抜いた記憶がない。相打ちとしていただけると嬉しい」


 周王は答えた。


「本王の青あざは腹で目立たぬゆえ、本王こそ申し訳なかった」


 何をやってるんだこいつらは。

 周王は自分の腰に手をかけて言った。


「……本王の腹を見せようか?」


 ギャラリーが黄色い悲鳴をあげ、俺も見たいが郡王に抱き寄せられ、目を両手で覆われた。


「い、いえ、結構です。では両殿下の間にしこりは……」

「ない」

「あるわけがない」


 陳亮は俺に聞いた。


「娘子、今一度伺いますが、郡王殿下のことを……」

「大変大切にしてくださいますし、好ましく、この方が夫で良かったと思います。もう、これ以上聞かないでください。恥ずかしい……」


 周王が言った。


「この通り記憶を失ってからは、本王など眼中に入らぬという有様。その前だって、八兄夫妻は帝都での大婚からすぐにこの南都に赴任し、本王と姦通することなんぞ不可能だ。我ら二人が後宮を出てからは、県君は常に太后宮にいたし、その前も二人きりになったことすらないのに」


 郡王が続けた。


「本王だって、大婚の前に二人きりになったことなどない」

「ならば姦通の疑いは……」


 俺たち三人は声を合わせた。


「あるわけがない!」


 陳亮は徐傑に言った。


「いかに申し開く」


 その途端、徐傑の顔色が変わった。赤黒くなったかと思うと、口から血を吹いた。


 禁衛隊の隊長、南都防衛軍の二人の、三人の軍人が駆け寄った。


「舌を噛み切った模様です」

「助かるか?」

「わからぬ。医師(くすし)を呼べ!」


 大騒ぎの中、水仙が叫んだ。


「兄上ーっ!」


 俺たちは、顔を見合わせた。


 俺たちは、海蘭が太子派の者に姦通現場を押さえられると伝えたのだと思い込んでいたのだ。

 だって、夕べ南都防衛軍が射落とした鳩の足には、海蘭から太子宛の文が結びつけてあったのだもの。


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