第7話 死を想像する

 ガサガサ、と枯れ木を踏む足音が2つ。

 俺は薄闇の中で耳をすましていた。

 美子さんが俺の服を強く掴んだ。

 出来れば彼女の手を握ってあげたかった。

 だけど俺が手を握ってしまえば、何かが飛び出して来た時に対処が出来なくなってしまう。

 美子さんの吐息が聞こえた。ネネちゃんの吐息も聞こえた。

「絶対に俺の服を離しちゃダメだよ」

 と俺は言った。

「離さない」と妻は言った。


 闇に向かって歩みを進める。

 俺は門番のことを考えた。俺達を逃したことで彼には処罰があるかもしれない。

 もしかしたら、あの手紙には俺達のことを逃すな、と書かれていたのではなく、この街から俺達を逃せ、と書かれていたのかもしれない。

 顔なじみと言っても、門番には俺達のことを助ける義理はないのだ。

 もしかしたら街の外で騎士団が俺達を殺そうとしているのではないだろうか?

 街で召喚者を殺してしまえば噂が広がるだろう。次に召喚される日本人、あるいはすでに召喚されている日本人が、その噂を聞けばどうなるだろうか? だから誰にも見られない街の外で殺すために俺達を街の外へ逃したのかもしれない。

 思考も闇の中に入っていきそうだった。


 ガサガサ、と踏みしめる足音が増えた。

 俺は立ち止まった。

 妻も立ち止まった。

「どうしたの?」

 と彼女が尋ねた。

 シッ、と俺は言って、人差し指を立てた。


 気のせいか?


 足音は聞こえない。

 辺りを見渡す。

 風も無いのに不気味に木が揺れていた。

 木々の間から赤い瞳がコチラを見ていた。

 俺は一瞬だけ息を止めた。

 いつも俺が狩る側だった。いつも俺が魔物を殺すために息を潜めていた。

 だけど今は狩られる側なのだと気づく。

 不慣れな薄闇の中。彼等は狩るために息を潜めてコチラを見ている。

 ゾッとしたと同時に、今まで俺が殺してきたゴブリンのことが頭をよぎった。彼等は俺を憎んでいる。

 俺を殺したくて仕方がないはずだった。


「ファイアーボール」

 と俺は叫んだと同時に、手の平から赤い炎を出した。

 炎は強い光で辺りを照らした。

 その瞬間に数匹のゴブリンが潜んでいるのが見えた。


 1匹のゴブリンが炎に包まれると同時に、俺は妻の手を握って走った。

 後ろからゴブリンが追って来ている。

 このままではすぐに追いつかれる。

 もっと早く走りたい。だけど妻は赤ちゃんを抱えている。


 ゴブリン達は炎を棍棒につけ、俺達を追いかけて来た。


「気配を消して暗闇の中に潜め」と門番は言っていた。

 

 捕まったら全員が殺されるだろう。

 俺は強く美子さんの手を握った。

 冒険者になって毎日通った森だった。

 だけど暗くなり始めている森は今までの森とは違う。

 後ろを振り返ると4つの炎が見えた。炎に照らされて緑色の凶悪な顔が見えた。


 妻が殺されるところを想像した。緑色の汚い魔物に犯されて殺されるのだ。

 ネネちゃんが殺されるところを想像した。可愛らしい小さい頭を棍棒で殴られて殺されるのだ。


 俺は嫌だ、と思う。

 妻が犯されて殺されるのも、ネネちゃんの可愛いらしい頭が潰されて殺されるのも。


 俺の命なんていらない。だから彼女達を失うのだけは嫌だった。


 そして俺は目的地に辿り着いた。

 数日前にゴブリンに襲われた時に俺が作った地面の割れ。

 ゴブリンを落とした地割れである。さすがにあのゴブリンは地割れから出ているだろう。

 もう闇が広がり始めていた。


 妻の手をギッと握り、地割れの穴に美子さんを下ろした。「隠れといてくれ」と俺は言った。


 片手には小刀を握り、片手には魔力を溜めた。四つの炎が俺を取り囲んだ。

 ゴブリン達を応援するように木々が揺れている。

 攻撃を仕掛けたのは俺からだった。

 魔物が持つ炎が薄闇の中で目印になっている。


「ファイアーボール」と俺は叫んで、1番得意な魔法を出した。

 俺の手から飛んで行った炎は、1匹のゴブリンに当たった。

 次の魔法攻撃までのアイドリングタイムが生じる。すぐに次の魔法が撃てない。


 それを知っているのか、知らないのか、ただただ俺への憎しみで動いているのか、残りのゴブリンが棍棒で襲って来た。


 ミゾオチに棍棒が入り、次には頭を棍棒で殴られた。

 そのまま闇のなかに沈みそうになる。


 オギャーオギャー、と地割れの穴から赤ちゃんの泣き声が聞こえた。


 1匹のゴブリンが穴に近づいて行く。そして地割れの穴を炎で照らして覗いた。そして凶悪な顔でニヤリと笑った。


 妻とネネちゃんが殺される想像が頭の中でリピートされる。

 どれだけボロボロになっても、俺が殺されても立ち上がらなくてはいけない。


 妻が作ってくれた団子を、腰に付けた巾着に入れていることを思い出す。

 団子を口に入れて俺は小刀を必死に振り回しながら、地割れの穴を覗いているゴブリンに近づいた。


「ウインドブレード」

 手に風の刃を作り、ゴブリンの首を切った。赤黒い血が首から溢れ出す。死んだゴブリンが地割れの穴に落ちないように、俺は蹴り飛ばした。


 残り2匹。

 遠くの方で馬の足音が聞こえた。

 まだネネちゃんは泣いている。

 火のついた棍棒を俺は奪い取った。

 俺は棍棒を振り回した。ゴブリンが振った棍棒とぶつかり、手がジーンとする。

 背中からもう1匹が攻撃してきた。骨がゴリっと折れる音がした。

 崩れ落ちる前に、巾着に入れていた団子を口に入れて回復する。


 そして魔力が手に溜まった。

「ウインドブレード」と俺は叫び、もう1匹のゴブリンを倒した。


 残り1匹。

 ゴブリンが逃げて行く。

 仲間を呼びに行ったのだろう。

 だけど追いたくなかった。

 妻と娘から離れたくなかった。


 夜の闇は深くなっていく。

 棍棒の炎を頼りに、地割れした穴に向かった。

 馬の足音が大きくなっていく。

 やっぱり騎士団は俺達を追いかけてきたらしい。


 俺は地割れした穴を炎で照らした。

 美子さんは胸を露わにして、ネネちゃんにオッパイをあげていた。さっきもあげてなかったけ?

 

 穴には死んだゴブリンもいた。

 ひっ、と美子さんが小さい悲鳴を漏らした。

 数日前に穴に入ったゴブリンだった。仲間に気づいてもらえず、ココで死んだんだろう。


 もう少しすれば騒ぎを聞きつけた騎士団がココに来る。

 仲間を連れてゴブリンも来るだろう。

 

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