6 買い物

 しばらく1人で悶々と悩んだ。「弟に負けて悔しいから将棋を覚えたい」というのを言い訳に登坂さんに近づいたズルいやつ、と自分について判断しつつある。

 僕は最初から登坂さんが目的だったのか。なんていやらしいやつだ。恥ずかしくなる。

 異性を好きになる、というのは、なんとなくいやらしい感じがする。僕が子供だからだろうか。分からないがとにかく悶々と考え続ける。


 結論が出ないので、スマホをとる。


「弟の学童保育、もう将棋流行ってないんだって」


 そう打ち込んで、送っていいか悩んで削除する。そうしていたら何故か登坂さんからメッセージが来た。

「うちの親がありがとうって言っておいて、って言ってた」


 登坂さんらしいな、と思う。僕は、


「気にしないで。それより弟が将棋に飽きちゃったみたいだ」


 と返信した。


「真殿くんは将棋好きなんでしょ? もう弟さん関係なくない?」

 と返ってきた。

 その通りなのだった。


「真殿くんが指したいなら指せばいいんだよ。指そうよ真殿くん」


「そっか、そうだね」


 なんだかすとんと納得した。僕は登坂さんと将棋が指したいのだ。

 弟がもういらないというので、盤と駒を部屋に持ってきた。子供でも遊べるように、大きめの駒に駒の動きが書いてあるやつだ。

 それから余っていたリングノートを出してきて、将棋のノートを作ることにした。ハメ手がきた時の対処法だとか、金銀逆形とは、壁とは、そういうことをコツコツとノートにまとめる。

 でもそれはそれとして、登坂さんに声をかけた、下心、いやそこまで醜いものでないと思いたいが、登坂さんを異性として意識している自分をどうにかしたい。


 登坂さんといろいろな話がしたい。好きなアーティストとか好きな漫画とか好きな弁当のおかずとか、苦手な科目とか、将来の夢とか。

 でも登坂さんは将棋を教えてくれる人であって、そういう雑談をする相手ではない。いや、同じ学校の生徒なんだから雑談をしたっていいのだろうが、でもそれはいけないことのような気がする。


 悶々と悩んで、それでもその晩はなぜかぐっすり眠れた。次の日も昼過ぎに、登坂さんから「指せますか」とメッセージがきた。

「指そう」と返信し、ショッピングセンターに自転車で向かった。


 フードコートでは登坂さんが、やっぱり清楚なワンピース姿で待っていた。

「なんか疲れた顔してるけど、やっぱり雨に当たって寒かった?」


「ちょっとだけ。でも傘じゃ自転車防御できないしね」


「まあそれはそうだ。あのさ、」


 登坂さんは小さい子供みたいにはにかみながら、


「指すだけじゃなくて、ここショッピングセンターなんだし、なにか買い物しない?」

 と提案してきた。


 僕の頭のなかで法螺貝が鳴り響き、「そのとき歴史が動いた」という言葉がよぎった。登坂さんは何を買うのだろう。

 登坂さんはタブレットをサッチェルバッグにしまい、背負って歩き出した。ついていく。思ったより歩くのが早いし足元は可愛らしいストラップシューズで、なんとも品がいい。僕なんか履き古したサンダルだぞ。


 登坂さんはまっすぐ、テナントの書店に向かった。CDやスマホアクセサリーなども売られている、なんだかごちゃっとした店だ。

 漫画やライトノベル、雑誌の売れ筋コーナーが大きなスペースを占めていて、それに追いやられるように隅っこで細々と展開している「囲碁・将棋・麻雀」のコーナーに登坂さんはどんどん歩いていく。


「お、案外いいラインナップじゃん」


 登坂さんはしばらく書架を眺めて、


「マドノくん、この詰将棋の本オススメだよ」


 と、一手詰め・三手詰め・五手詰めが収録された詰将棋の本を取り出した。けっこう昔に初版が出て何度も重版のかかった人気の本らしい。

 渡されたので開いてみる。「はじめに」のところに監修した棋士の書いた文章が載っていた。その文章を読んでみると、「この状況になれば詰みなのに、初心者はその状況でも取れる場所に欲しい駒があるとつい取って詰みを逃すことがある」みたいなことが書いてあって、確かに……と納得してしまった。「ヘボ将棋 王より飛車を 可愛がり」というやつだ。


 そんなに高いものでもない。今月は特に欲しい漫画は発売されないはず。買ってみることにした。

「詰将棋は電源がいらないしどこでもできるし、カバンに入れとくと暇がつぶれていいよ」

 なるほど。それで小さめサイズの本なのかもしれない。


 広いショッピングセンターのなかをウロウロする。

「登坂さんがすごい将棋盤と駒買ってもらったのってここのおもちゃ売り場?」


「ううん、小学生のころは街のまん真ん中に、本物のデパートがあったんだよ。そこで買ってもらった。まさかこんな、テレビゲームとトレカとリカちゃんしか売ってないおもちゃ売り場にあるわけないじゃん」


 確かにその通りである。


「まあうちの親のことだから、わたしもよその子みたいにテレビゲームを欲しがるって思ったんじゃない? 小学校に入ってよその子たちがゲームってもので遊んでるのは知ってたしね」


「でも登坂さんは将棋盤と駒だったんだ」


「うん。ゲームよりずっと高かったから。親は困ってたよ、でもなんでも買ってあげるって言った手前ダメだって言えなかったみたい」


 登坂さんはニヒヒと笑った。僕は、登坂さんが悪いことを言っているときの、この「ニヒヒ」の表情が大好きなのだった。

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