秘密の予感

 電話で叩き起こされた。


「はい、あいむらです」

 寝ぼけた頭で自分の声を聞く。自分の名前を自分に向かって言い聞かせていないと、そのうち忘れてしまいそうな気がする。現に自分が今、何歳なのか、俺はもはや咄嗟に答えられなくなっていた。手帳の一番最後のページに貼り付けた年齢早見表を見て、今年の行をペンでしっかり指してからでないと、自信を持って答えられない。死者の国で眠っていた期間はカウントされない。自分の年齢にも、通常の暦にも、その空白の時間は含まれない。自分の体感としてもそれで間違いはないはずで、何も考えなければ違和感など浮かびそうもないのに。


 俺が気にしすぎなのだという自覚はある。実際、ニセノに聞いてみたことがあるが、今が何年か分からなくなるのは毎年一月か二月の間だけだという。死者の国で「眠って」いた期間については、記憶に無いのだから気にかけようがない。大抵の人間はそうなのだろう。


 電話の発信者はそのニセノだったが、聞こえてきた声は機械音声による読み上げだった。住所と日時、最寄駅、大まかな依頼内容を告げ、「メッセージは以上です」と言った後、また最初から同じ内容を繰り返す。最寄駅がある程度馴染みのある駅だったので、少し気が楽だ。詳細な経路はバスに乗ってから調べれば良いだろう。



 指定された住所に着くと、小ぶりなマンションのエントランスにニセノがいた。

 営業にでも来たような地味なスーツを着て、脱いだコートを折目正しく腕にかけている。長い金髪は後ろで纏めて縛っていた。


 対する俺は、ほぼ寝ていた時の格好のまま。ジーパンのような柄がプリントされたズボンに、薄っぺらのシャツ、それを隠すようにフード付きのトレーナーを被って出てきた。急な呼び出しだったし、普段から寝巻きと仕事着の区別があまり無い。


「すまん、着替え忘れた」

「いえいえ、むしろわたくしが着替えそびれたんです。午前中、会議だったもので」ニセノは曖昧な笑みを浮かべて言った。

「どうもチグハグだな……まあいいか」

「まー相手は気にしないでしょ。どうせ怪しい仕事ですから」

 俺はお前ほどじゃない、と言いたくなったが、五十歩百歩という気がして黙った。


 マンションの一室で出迎えた主婦はがみサヤと名乗った。小柄で身軽そうな女性で、まだかなり若い。雰囲気や口ぶりからすると新婚というほどではないのだろうが、俺とほとんど歳は違わないように見えた。


 彼女にとっては、ここは夫の母親の家で、二年前のあの日以来初めて入ったそうだ。

「義母はまだから戻らなくて……」サヤは口籠もりながら、問題の部屋の戸を開けた。


 埃が分厚く降り積もった空っぽの部屋の中央に、大きな針金細工のようなオブジェが浮いている。無数の細い棒が蜘蛛の巣のように腕を張りながら交差し、対称性のある無機的な形状を作りだしている。全体としてはダイヤモンド型の物体の骨組みだけを残したような形で、宙に浮いたままゆっくりと回転しているようだった。


 部屋に家具は一切なく、一つだけある窓は黒い板で塞がれている。


「明かりをつけても良いですか?」俺は壁のスイッチに手を伸ばし、依頼人をうかがった。

「えっと、つけても良いんでしょうか?」湖上サヤは不安そうに聞き返した。「すみません、この埃も掃除していいのかわからなくて……」

「大丈夫ですよ。故意にぶっ壊したりするんでない限りは、影響は出ないと思うので」俺は明かりのスイッチを入れ、自分の鞄から大きめの布巾を出して足元の埃を拭き取った。

「ああ、すみません、何か拭くものをお持ちします……」サヤは慌てたように言って、廊下の奥へ駆けて行った。


 俺とニセノは部屋に入ってオブジェに近付いた。

「なんでしょうね、これ」ニセノはオブジェの尖った一端を軽く指でつついた。


 オブジェは独楽のように緩く頭を振り、すぐに元の直立した姿勢に戻った。


「普通に片付けていい気がするけどな」俺は言った。「見たところただのインテリアじゃないか」

「けど、これ専用の部屋みたいになってますけど」

「別にそういう部屋があってもいいだろ。それぞれの趣味だよ」

「まあ、趣味ならとやかく言えませんけどねえ」


 サヤが自立型の掃除機を押して戻ってきた。床を這うように走り、埃を吸いながら同時に水拭きするタイプのようだ。それを一周させると、埃が綺麗に取り除かれて床が見えるようになった。床はパステル調のタイルで、これは元々のフローリングの上に家主が自分で重ね貼りしたものだそうだ。サヤの義母はセルフリフォームや模様替えを繰り返して部屋を作り込むのが好きだったらしい。


 床に変わったところは無かったが、俺は一応カメラで床全体を撮影して、持ち込んだノートパソコンに画像を取り込んだ。同様に天井と四方の壁も撮って確認したが、呪文のたぐいは無いようだった。


 そうするとやはり、呪文が仕込まれているのは本体か。

「一応聞いとくんだが」俺はにこにこ顔で立っているニセノを見た。「この家って、過去にお前が時間をことのある案件?」

「では、ないですね。最近対応した別なご依頼人の、ご友人のご友人……みたいな感じで、口コミで知ってご連絡頂いたみたいです」

「なるほど」

「その別なご依頼人というのもわたくしの担当ではないです。弊社の別な技術を持ったスタッフが対応したもので、探し物だか探し人だかの依頼だったはず」

「へえ……色んなことやってるんだな」


 その「色んなこと」のひとつに、今後は俺の仕事も組み込まれるわけだが。


「ていうかこれ、お前が来る必要無かったんじゃ?」

「まあまあ」ニセノは何故か、俺を宥めるような調子で言った。「一応ね、新人指導ですよ」

「必要無いだろ、どう考えても。お前んところ通しても通さなくても、俺の仕事は何も変わらないぞ」

「ま、シュウノさんもいないことですし」

「シュウノに仕事手伝ってもらってたわけじゃねえよ俺は」

 シュウノの立ち位置は常に「見物人」であって、仕事に必須の相棒ではない。付いて来るも来ないも奴の勝手だし、いないからといって代理人など必要無いんだが。


 しかし依頼人の前で言い争うわけにもいかない。掃除機を片付けて戻ってきたサヤに、俺は解呪にあたっての要望を聞いた。


「ええと……夫がどうしたいか、にもよるので」サヤは困ったように首を傾げた。「それに、どういったものなのか分からないと、なんとも」

「見た感じ単なるインテリア、内部的な呪文で宙に浮いている飾りのようなので、例えば単に他の部屋に動かしたいだけなら、このまま移動して終わりです。または、他の部屋にも置き場所が無いようなら、浮かぶ機能だけをオフにして、どこかに片付けるか、普通のゴミとして処分しても大丈夫です。金属のようなので、この地域だと不燃ゴミになりますかね」

「はあ……」サヤは腑に落ちない顔をした。「そうすると、このまま放置というのもありなんでしょうか?」

「全然ありです。このままの状態で特に不便が無ければ、このままでも」

「ちょっと……ちょっと待ってくださいね」夫に聞いてみる、と言ってサヤはまた廊下の奥へと引っ込んだ。


「とりあえず呪文を読んで差し上げれば良いのに」ニセノはオブジェを示して言った。「何をそんなに抵抗するんです? どうにかして仕事をしないで済む方向に持ってこうとしてますよね」

「嫌な予感しかしないもの、この置き方……きっと知りたくなかった秘密の日記とか出て来るぞ。どうしても家主の秘密を知りたいという要望が出ない限り、俺はやらん」

「でもねえ、あれこれ作業したほうがお金は儲かるんでは?」

「短く済ませて次に行ったほうが単価は上がる。ダラダラやるもんじゃないぞこんなの」


「すみません、ちょっとだけ、代わっていただけますか」サヤが通話中の端末を持って戻ってきて、俺にそれを差し出した。


 通話の相手は夫のようだった。

「もしもし、すみません、業者さんの方ですか? 急に来ていただいたようで」端末の向こうの男の声は、口早で神経質そうな印象だった。「呪文が含まれているということですよね? 一旦内容を全部見て頂きたいんです。処分をどうするかは、追って考えますが、とりあえずは内容の精査を。可能ですか?」

「ええ、まあ、可能だと思います」俺は内心苦々しい思いで答えた。

「あと、妻が見つけたものの他にも、家の中に何か呪術の痕跡があれば。別料金になっても構いませんから、全部見ていただけますか?」

「わかりました。そしたら一応、全部の部屋を見せて頂きます」

「よろしくお願いします。今、会社なんですが、早めにそちらに向かうので」

 ああ、面倒くさいな。思わず返事の代わりに溜息が出そうになる。この男が合流する前に、さっさと作業を終えてトンズラしたい。


 ニセノは自分の端末をルーペモードにして、オブジェの軸を覗き込んでいた。

「何か書いてあったか?」俺は通話を終えて端末をサヤに返しながら、聞いた。

「いっぱい書いてありますね。テロメアが」

「は?」

「TTAGGG」ニセノはそれこそ、何かの呪文のように言った。

「知らんな。新しいやつか?」俺はまた何か、呪文の形式の一種だと思って聞き返した。


 ニセノは顔を上げ、謎の笑みを見せながら振り向いた。

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