急な呼び出し

 翌日はもともと入っていた打ち合わせが一件と、急に捻じ込まれた打ち合わせが一件で、少々苦しいスケジュールだった。打ち合わせ自体はどちらも見積もり段階でたいした山場もなくスムーズだったのだが、時間帯が近すぎたせいで昼食を取りそびれた。ふらふらになってようやくラーメン屋に駆け込んだのが午後四時。中途半端な時間のせいで店は静かで、俺以外には餃子をつつきながらダラダラ喋っているカップルがひと組いるだけ。


 ひとりでチャーシュー麺にがっついていると、シュウノが当たり前のように入店してきて俺の向かいの席に座った。


 俺はしばらく無視して食べ続けた。腹が減っていたからだ。シュウノがどうやって俺の居場所を突き止めたのかよく分からなかったが、どうせまた俺の携帯端末に余計なアプリでも仕込んでいたのだろう。携帯端末は普通、他人が弄れないように指紋認証やタッチキーでロックできるものだが、シュウノは俺の指紋を型取りしたシリコーン義指を所持しているし、タッチキーも何度変えても目敏く観察して盗み取ってしまう。だからもう諦めて放置していた。


「餃子頼まない?」シュウノは美しい西洋風の顔にすごく上品に見える微笑みを浮かべた。顔は上品だが言ってることはタカリである。

「自分で頼めよ」俺は溜息をつき、コップの冷水を喉に流し込んだ。麺は残り三分の一ほどだ。

「財布忘れちゃってさ」

「端末払いとか交通系ポイントとか何かあるだろうが」

「全部忘れちゃってさ」

「じゃあどうやってここまで来たんだよ」

「歩きだよ。散歩」

「嘘つけ」

「餃子くらい奢ってくれていいじゃない? 僕こんなに頑張って歩いてきたんだから」

「知らんがな」

 俺が面倒くさそうな顔をするほど、シュウノの能天気な笑いは増した。

「お前はなんでそんなに元気なんだろな」

「ふふふ」

「自分の仕事は?」

「まあ今月は特に山場も無いからねー」


 シュウノが何の仕事をしているのか、俺は結局のところ具体的には知らなかった。会社勤めでないことだけは確かだが、雇い主はほぼ固定しているらしい。それに、繁忙期と閑散期の落差が激しい。今は間違いなく暇な時期のようだった。


「ニセノさんのお仕事受けた?」と、シュウノは聞いた。

「いや、昨日あの後会ってないな。もう会わないだろう」

「受けなさいよ。死者の国の仕事でしょ? 僕もまた見学に行くから」

「別にお前には関係ないだろ」

「でも面白そうじゃん」

「面白いかどうかで仕事受けてるんじゃねえよこっちは」

「ねえ、餃子ほんとに頼まないの?」

「頼まねーよ」

 俺は残りの麺をズルルルルと一気に流し込んでその勢いのまま席を立った。この店は食券制で先払いなので、食べ終わったら出るだけだ。


「待ってよ待ってよ」

 さっさと店を出た俺をシュウノが追ってきた。「餃子食べたかったのに……」

「知らねえ。一人で食えよ」

「冷たいなあー」

「なんでお前に温かく接しなきゃいけないんだ」


 本日も小雨。気圧は低い。頭がモヤモヤする。今年は秋雨が長くてしつこい。


 結局、あんまり煩いので交差点に面したコンビニで缶コーヒーを買ってシュウノに渡した。空腹の足しになるとは思えなかったが、シュウノは歩きながらチビチビ飲んで随分満足げだった。こうやって餌をやるから都合よく付き纏われるのかな。でもこんな毎日だっていつまで続くか分からないんだし、人生、「今」を楽しむ以外に何がある?


 携帯端末が震える。誰かからのメッセージ。メールではなく端末識別番号を使って送る簡易メッセージだった。


『死者の国ア街4・9Y・1063。できればすぐ来てくださ』

 発信者の名前は無い。しかし簡易メッセージでやり取りする相手は少ないので、過去の顧客で何名か心当たりがあった。文章が途切れているのがなんだか不穏だが。


「シュウノさあ、今夜は空いてる?」

 俺は『承知しました』と返信を打ちながら聞いた。

「ん?」缶の底に残ったコーヒーを意地汚く啜ってから、シュウノは返事をした。「空いてなかったけど今空いたよ。何、仕事?」

「今から死者の国行くことになった」

「おっいいね。行く行く」

「ほんとに? やる気ある?」

「あるある」

「じゃ用意してくるから、三十分……いや二十分後かな」俺は端末に表示された時刻を睨み、バスよりタクシーが良さそうだと計算しながら告げた。「渡る前、こっち側で合流しよう。紛らわしいから」

「また偽物疑惑じゃ困るもんね。了解です」

 シュウノは空になった缶を「乾杯」みたいな形で挙げて、ちょうど青になった信号を渡って行った。


 颯爽と、という形容が似合う。すらりと背が高くて、長い金髪とロングコートの裾が風を受けて靡く。映画か舞台のワンシーンのようだ。あれで口の利き方と中身さえマトモならな。


 メッセージの追伸として状況と相手の名前を尋ねる文言を送ったが、返信は無かった。向こうが「現世」にいるなら既読通知の有無で相手の状況が少しは分かるが、「向こう側」にいる場合はそこらへんの精度も怪しい。とにかく向かってみるしかないか。


 基本的に、解呪の仕事は一秒一刻を争うような事態とは無縁なので、この時点での俺はかなり状況を甘く考えていた。なんなら夕飯を食べて風呂くらい浴びてから行きたいくらいだったが、メッセージの口調が急かすような感じなのが少し気にかかり、最短時間で向かうことにしたのだ。それは顧客へのご機嫌取りくらいのつもりだった。


 支度を終えてシュウノと合流し、十月三十一日の時間線から「川」を渡って指定の現場に着いた途端、俺はもっと真剣に急ぐべきだったと後悔した。


 依頼主と思われる人物は胸の真ん中に棒のようなものを突き立てられ、大量の血を流して死んでいた。

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