1:聖女のお仕事(1)

 霊脈という存在がある。


 川の流れと似て、しかし地下を流れる霊的な力だ。

 その影響は大きい。

 穏やかに流れる内には何も問題は無い。

 だが、一度乱れると、人心もまた乱れる。

 作物の実りにも負の影響をもたらす。

 天変地異てんぺんちいの引き金になり得ることもあった。

 

 そう、影響は大きいのだ。

 甚大じんだいと言っても良い。

 だが、川の流れのようには対処は出来ない。

 霊脈の存在を、常人は認識することすら不可能だった。

 現状を把握することも出来ず、流れを穏やかにする工夫、尽力じんりょくはまったく許されない。


 しかし、霊脈に対して人間は無力では無かった。


 霊脈を認識し、その流れに介入出来る存在がある。

 その存在は『聖女』と呼ばれていた。

 霊脈を慰撫いぶし、人心をやわらげ、豊作に貢献しる存在だ。

 

 そして、アザリアもまたその中の一人であった。


 冬の寒さを経て、いよいよたくましく伸び始めた麦穂の波。

 初春の農村、その田園の只中ただなかにアザリアはいた。

 目を閉じて、わずかに腕を広げる。

 軽く息を吐く。


(……いきます)


 すぐに感覚がやってくる。

 何度経験しても不思議な感覚であった。

 自らの身体が溶け、大地と自然と、その境界がおぼろげになってしまったようなと言うべきか。

 

 この状態のアザリアには分かることがあった。

 常人には見えないはずの地下の霊脈が、自身の一部であるかのように把握出来た。


 網の目のように、大地の下を流れる大きな力。

 それは泰然たいぜんとして、穏やかに流れ続けている……というわけでは無い。


 ところどころに妙な停滞ていたいがあった。

 そのために流れは乱れている。

 流れが少なすぎる場所もあれば、逆に力が集中して激流のようになっている場所もある。


 ここからが聖女としての腕の見せ所であった。


 理解してからの次の段階。

 霊脈への干渉。


 からみ合った糸をほぐす感覚に似ていた。

 停滞を一つずつ、そして確実に解消していく。

 その結果は、地下に確かに現れていった。

 一つ停滞が解消されるごとに、霊脈はなだらかな穏やかさを得ていく。


 さほど時間はかからなかった。

 霊脈は無事、なぎの海のような静けさを得るに至った。

 

「……ふぅ」


 目を開いたアザリアは、笑みで額の汗をぬぐう。

 これで大丈夫だった。

 この付近は一年は安泰あんたいである。

 霊脈による人心の乱れは起きない。

 天候次第のところはあるが、例年並みの豊作が期待出来る。


 これがアザリアの仕事だった。

 聖女としての、アザリアの仕事だ。


 ◆


 聖女としてひと仕事を終えた後である。

 アザリアはそのお礼として昼食のもてなしを受けることになった。

 

 青空の下でいただく、温かい野菜のスープと大麦のかゆのもてなしだ。

 ありがたいことこの上ないものだったが、差し出してきた老人──村の長老は申し訳無さそうに頭を下げてきた。


馳走ちそうといって、このような物しか無く……お口に合えば良いのですが」


 お口に合うどころか大満足であった。

 切り株に腰を下ろすアザリアは、スープの木椀もくわんかかげて彼に笑みを返す。


「何をおっしゃられますか。農村出身の私にとって、これ以上に口に合うものはありませんとも」

「そうおっしゃっていただきますと……ですが、聖女様のお働きに対し、これが馳走ちそうではなんとも情け無い限りで」


 彼はひたすら恐縮していて、アザリアは逆に申し訳なくなってしまうのだった。

 今度は苦笑で彼に応じる。


「いえいえそんな。そもそも、ご馳走していただけること自体が過分かぶんと申しましょうか。これは聖女として当然の義務なのですから」


 そうなのだった。

 霊脈の慰撫いぶは、聖女としての当然の仕事だ。

 本来であれば、ご馳走どころかお礼の言葉すら過分だと言えた。

 だが、村長は何を思ったのか。

 驚いたように目を丸くした。


「な、なにをおっしゃられますか! 馳走が過分などとまさか。義務ともおっしゃられましたが、それで説明のつく仕事ぶりでは無いでしょうに」


 それこそ過分な評価であった。

 アザリアは苦笑のままで首を左右にしようとしたが、その直前である。

 周囲には村長の他にも多くの農民たちが集まっている。彼らがこぞって声を上げた。


「そうですとも! 義務だなんて、そんな仕事ぶりには!」

「まぁ、えぇ。実際に何をされているのかなんて、私らにはまったく分かりませんが……」

「それでも、他の聖女さまが担当された年とは実りが明らかに違いますからなぁ」

「さすがは大聖女さま。我らのための、誠心誠意の仕事ぶり。本当にありがたいことです」

 

 アザリアの感覚では、これもまた過分であった。

 少々以上の過分な称賛だ。

 だが、今度は否定はしなかった。

 苦笑を笑みに変えて、彼らに頭を下げる。

 ただただ嬉しかったのだ。

 自分の仕事を認めてもらえることは、アザリアにとって何ものにも代えがたいことだった。

 聖女冥利みょうりに尽きるとも言えた。


 だが、そこにある高揚感は一瞬だった。

 アザリアは思わず眉をひそめることになる。


 農民たちが悪いわけでは無い。

 ただ、彼らの称賛がある種の呼び水となっていた。

 彼らとはまさに正反対の──徹頭徹尾てっとうてつび罵倒ばとうしかないあの男の顔が浮かんでしまったのだ。

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