第6話 2E

 ギフテッドの中でも2Eと呼ばれる高IQの人たちはとりわけ複雑だ。障害者でありながら片や羨ましい、と感じられてしまう立場にある、2Eギフテッド。2Eギフテッドは発達障害でありながら分野によってはIQが130超える人たちのことを指す。2Eの人は翻弄されやすい。

 高IQやギフテッドに反対する立場の人から批判を受けると2Eの存在を引き合いに出されるし、障害者団体からも2Eの存在は語られる。どっちの立場からも2Eの存在は利用される。

 

 アメリカで行われた調査によると、2E(特にASDを伴うギフテッド)の自死率は通常の場合の6倍に当たる。Xで流れたタイムラインにその速報ニュースを見たとき、私の胸騒ぎはピークを迎えた。ああそうか、と思えた半面、多くの当事者がそんなになるまで苦しめられているのか、と思うと歯がゆい思いを感じた。

 

 他の2Eの子供たちは死にたい、と思っているのか……。知って、心苦しく思う自分がいた。今の時代、定型発達の子供であっても生きづらいだろう。発達障害があったり、ハンデがあったりすると猶更、生きづらさに拍車はかかる。このエッセイを発表してからコメント欄で同じような当事者からのコメントを頂いた。

 

 初めに読んで思わず鳥肌が立った。ああ、同じような当事者の方がこの世界にいるのだ、と知って勇気をもらった。自分だけしかこんな凸凹人間いないんじゃないか、と思っていたけれども、同じようなタイプの当事者の方から反響があって安堵した。ああ、同じ仲間がいた。自分の拙いエッセイを読んでくれた方がいらっしゃった。

 

 能力に凸凹があり、苦しむ人もいる。自分に能力があったのか、なかったのか、今でも迷っている自分がいる。数値だけ聞けば勝ち組のように見えるけど実生活では全然勝っているようには見えない私の人生。

 

 だからこそ、訴えられる言葉もあるんじゃないか、と思う。YouTubeやネットの中で高IQであれば人生において何も苦しまない、人生バラ色のように論じるコンテンツも少なくはないが、その中に一石を投じられるかもしれない。普段からその数値の差を考えない日はない。今でも私の中に大きな軛になっている。

 

 昨今の優生思想的な風潮に私は怖れと違和感を覚えている。よく、優生思想を唱える人たちはIQを根拠に主張するが、私のようなケースを知ればどう思うのだろう? 私のように人生の負け組として散々、苦杯を喫してきた人間をどう思うのだろう? ある数値のIQは高いかもしれないけど全然生きやすくない私。

 

 綺麗ごと抜きにIQだけでその人の価値基準は測れないよ。例え、ハンデがあっても素晴らしい才能を発揮する人もいるし、私みたいに高い数値があっても今この瞬間でさえ、悪寒と闘っている人もいる。

 


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