第29話 復讐の始まり

 ぼんやりとした、というよりは。ふんわりと柔らかな空間に両親がいた。

「ユヅリはまだ5歳なのに、譜面を見ただけで記憶する才能があるなんて凄いわ。」

「うん、この子は天才だ。さすがマリエと僕の子だね。」

「ええ。でもね、才能があってもなくてもユヅリは私の可愛い子!」

 そう言ってお母さまは私をぎゅっと抱きしめた。

「ママ、苦しい~!」

「あら、ごめんなさいねユヅリ。うふふ。」

「ほら、ユヅリ。パパにもおいで。高い高いをしてあげよう。」

「パパ、私はちっちゃい子じゃないもん。」

「でも、パパよりちっちゃいだろう?」

「違うもん!」



「あなた…大変なことに。」

「ああ、君も気を付けてくれ。すぐにデリアの所に行くんだ。」



「ユヅリ、ここでちょっと待っていてね。荷物を用意してくるから。」

 お母様はそう言って部屋を出て行った。

 誰もいない、ごちゃごちゃした部屋を見回した。開いた窓の傍にある机から、数枚の紙がひらひらと落ちてきた。それを拾ってみると楽譜だった。譜面を読むと曲じゃなかった。曲じゃないのに頭にどんどん入ってきて、頭が割れそうに痛くなって…。

「ユヅリ!それは見ちゃダメ!」

 戻ってきたお母様の慌てた顔…。そして急いで楽譜を暖炉で燃やし、私を連れて家から出ようとした時。玄関にが恐ろしい笑顔でお母様を捕まえた。

「研究は成功したのかね?」

「あれは失敗よ。できなかったわ。」

「そうか。じゃあ、できるまでやってもらおうか。」

「無理なものは無理ですわ。」

「仕方ない。私もこんなことはしたくないのだがね。」

 お父様はお母様から私を奪った。

「痛い!」

「ユヅリ!乱暴はやめて!」

「ゆづり、か。」

「!!」


 

「ゆづり、今日からこの子は君の妹、凜だよ。」

 絵本を読んでいると、お父様が小さなと手を繋いでやってきた。

「りん…。」

「仲良く遊ぶんだよ。」

「はい。」

「凜、おねえちゃんと仲良くね。」

「…。」



 そう、あれはハーメルンの笛吹男のお話を聞いた後だった。

「ユヅリ、ママがユヅリに魔法をかけてあげる。」

「魔法?どんな魔法なの?」

 お母様はバイオリンを持ち、ゆっくりと弾き始めた。それは、とても心地よく眠気を誘った。

「とても綺麗な曲。なのに悲しいな…。」

「ごめんね、ユヅリ。しばらくの間、過去を忘れて。死曲も封印して…。」

「死…?」

 お母様の手が私の頭を優しく撫でた。

「おやすみなさい、。」



 屋敷が炎に包まれていた。

「お母様!お父様!凛!!」

 いくら叫んでも、燃え盛る火の音と家が崩れる音に掻き消される。

「ゆづり様!危険です!」

「だって!中にいるのよ?助けないと!」

「もう無理なんです…ゆづり様。」



 考えてもわからなかった。お母様が私になにを残したのか。

 でもそれは、ほんの些細なきっかけで。


 ー封印は溶けたー


 大学に入学して間もないころだった。第二音楽室でバイオリンを弾いていた時の事だった。誰かの気配を感じ、声をかけた。

「誰かいるの?」

 それが一之瀬亮だった。

「ごめんなさい!」

 彼が足早に去っていく。その時の靴の音がキュッキュッと鳴った。不快な耳障りな音。それが脳に到達するような痺れの後、忘れていた記憶の欠片が徐々に戻っていった。

「頭が痛い…。」



 気が付くと夕暮れ時で、大学をでるとマーティンがずっと待っていてくれていた。

「遅くなってごめんなさい。」

「いいえ、それより大丈夫ですか?ご気分が悪いようにみえますが。」

「ええ、大丈夫よ。それより、マーティン。お母様から受け取ったもの、思い出したわ。」

「そうでしたか。」

「それで、ね。手伝ってほしいことがあるの。」

「何をお手伝いすればよいのでしょうか?」

「復讐を。」


 

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