灰の指。


——ブヂッ!


彼女が部屋から出ていってすぐ私は腕に刺さった点滴の針を引き抜いた、そして体に掛けられている布団を蹴り飛ばして体を起こす。


寝台の上に座って腕や足の筋肉を伸ばし、肩を数回グルグルと回して調子を確かめ、両の拳を握ったり閉じたりする。


「……よし」


『動ける』ということを確認した私は一度小さく頷き、足を地面に下ろして立ち上がった。


……こんな所にずっと居るつもりはない、記憶喪失のフリもいつまで保つかは怪しい。


折れた私の刀を見せつけ反応を伺ってきたあたり、何らかの疑念を持たれていることは明白だ、悲しみに打ちひしがれている暇などない。


——武器が要る。


私には『ただ逃げ出す』という選択肢は無かった、幸い内部構造に関しては反英騎士団の調査資料によって把握している。


キョロキョロと部屋の中を見渡す。


そして点滴の支柱台に目をつけた、余計ながちと邪魔だが、だいたい背丈ぐらいの長さを誇る鉄の棒は武器とするのにうってつけだ。


ガチャ……ガチャ……。


車輪やら点滴を引っ掛けるための出っ張りやら、振り回すのに邪魔な部品をひとつひとつ外していく。


そうして作業を終える頃にはちょうど良い長さの武器がこの手に備わっていた。


これならば棒術の要領で扱うことが出来るだろう、少々重たいが許容範囲だ。


問題があるとすれば材質故に滑りやすいという点か、握り方に気を付けなければついうっかり手の中からすっぽ抜けていってしまいかねない。


ヒュン、ブォン。


その場でいくつか技を試し、自分の体がどこまで言うことを聞いてくれるのかを探ると共に、手にした即席の獲物を体に馴染ませる。


「上等」


準備運動を完了させた私はぺたぺたと裸足で床を歩き、壁際に避けて置かれている椅子を掴み取った。


この病室は部屋の一角がガラス張りになっていて、そこから街全体の様子を見下ろせる。


部屋から出る為の出口の外側には何やら見張りと思しき気配が感じられるし、私が通れそうな通気口や抜け道に使えそうな物も見当たらない。


となればやる事はひとつ。


「……はっ!」


私は手にした椅子を助走をつけながら振りかぶり、内と外を隔てる透明な壁目掛けてブン投げた!


——ガシャァァン!


けたたましい破壊音が響き渡る。


「なんだ!?」


突然の尋常ならざる物音に動揺する見張り、抜剣した彼らは中で何が起こったのかを確認するべく部屋の鍵を慌ただしく解錠し、そして足を踏み入れた。


「いったいなんの」


瞬間男の視界を塞ぐ鉄の凶器、風を置き去りに飛び込んできた黒い影。


「音——」


ガァン!


襲いかかった速度×硬度の純粋な暴力は、ものの見事に男の頭蓋を粉砕した、意識を失った男の体は弾き飛ばされ後方の壁へと激突する。


「ク……ッ!」


残されたもう一人の見張り、彼は目の前で起こったことを冷静に飲み込み私に切り掛ってきた。


着地と共に持ち手を入れ替えて小手を打つ、手首の骨がへし折れ獲物が落ちた。


反動を利用して男の横面を殴りつける、痛々しい音が鳴り敵がよろめく。


ギュッと獲物を握り締めガラ空きの喉に向けて思いきり突き込む、甲状軟骨を負傷した見張りは呼吸が出来なくなって床をのたうち回った。


踵で頭部を踏み砕いてトドメを刺す。


後に残ったのは争いの跡、割れた窓に陥没した壁、本来もっと長生きできたはずの警備兵。


「……」


何かを呟こうとして、言葉を飲み込む。


私に出来ることはせめて立ち止まらない事だけだ、奪った命の重さがどうのと今更考えたり思い悩んだりするのは偽善でしかない。


傍らに転がった両刃の剣とその鞘を拾い上げ、死体からベルトを剥ぎ取り自分の腰に巻き付け、奪い取った剣を吊るし予備の武装とした。


今のところ敵影は無い、だがすぐにでも異常を察知した者達が集まってくるはず。


空の病室と倒れた警備を見れば誰でもここで何が起きたのかを想像することが出来る。


変装という手もあるが見た限りではここに居るどちらも私の体格とは大きく違う、これを着ても動きにくいだろうし傍から見たら明らかに不審だ。


——ドタドタドタ!


階段を駆け上がってくる足音、もはや止まることは許されない、彼奴の首を跳ね落とすまで私は決してこの建物を出ないと誓おう。


「すまぬなストランド、お主の計画ぶち壊させてもらうぞ」


千載一遇、逃す手無し……。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


——高速で流れる視界ッ!


「止めろ!必ず捕まえろ!」


猛る大波のような人の群れ、武装した精鋭、廊下という地形上どう足掻いても避けて通ることの出来ない障害、なればどう対処するかなど決まっている。


「押し通るッ!」


道を塞ぐように並べて構えられた盾、それを真っ向から力づくで粉砕する。


乱れた陣形に身体をねじ込みすれ違いざまに連中を殴り倒していく、後から横槍が入らぬよう視界に入った者は片端から薙ぎ倒す。


速度で翻弄して懐に入り、襟首を掴んで引き込み地面に叩きつける、差し向けられた刃を逸らして額に金属をお見舞いしてやる。


壁を蹴る、天井に飛び上がる、逆さまの地面を踏み台に加速し真上から脳天を叩き割る。


男の体を背負って投げ飛ばし、振り向きながら幾人かを黙らせ再び加速、床に滑り込みながら包囲を脱し陣形の外側から順に撃滅していく。


受ける、崩す、打ち込む。


体重を乗せて放った突きで敵の体が中に浮く、獲物を短く持って素早く目を潰し首を折る。


腰の剣を抜く。


片手で軽く振るって手首を切り飛ばす、怯んだ隙に反対の手に持った鉄の棒で服の端を引っ絡めて床に倒し、踏み付けて息の根を止める。


死角から組み付こうとしてきた者に視線を向けぬまま剣を突き出す、剣は敵の喉を貫き致命傷を与えた。


引き抜くと同時に背後の敵に斬りかかり、構えた盾ごと体を斜めに両断して殺す。


そうして部隊を制圧しては陣風が如く駆け抜ける、今まさに開こうとしている昇降機の扉に向けて剣を投げ打って自身も突撃する。


ドスッ!


投擲はちょうど扉が空いた頃に到達し、哀れな警備兵がひとり犠牲となった。


獲物を構え直し閉所に飛び込む。


敵の胴を貫通する凶器、それから手を離して素手に切り替える。


組み付いては頚椎を捻り、向けられたナイフを捌いては奪い取り、逆に喉笛を掻っ切って蹴り飛ばし、別の敵を肩で壁に押し付けて刺しまくる。


最後の一人がナイフを振る、腕を抱え込みながら肘関節をぶち折り、手首、脇の下、太もも首、と順に切り裂いて最後は派手に投げ飛ばす。


生存者はナシ。


そうして血の海となった昇降機を操作してひとつ上の階へ昇っていく。


壁に刺さった剣は破損し使い物にならなくなっていた、死体から新たに剣を調達して腰に吊るす。


奪い取ったナイフは念の為見えないところに仕込んでおいた、この後戦う相手にはもしかしたら必要になるかもしれない。


——しばしの静寂が訪れる。


負った傷は無い、彼らも決して弱くは無いがストランドの部下達の方が何倍も強かった。


数は圧倒的にこちらの方が多いが、如何せん個々の経験値、潜り抜けてきた修羅場の数が違っている、それは咄嗟の判断や表情に表れていた。


「フー……」


獲物は既に血みどろだ、手が滑るような事があってはならないと死体の服で綺麗に拭いておく、所々ひしゃげていたり曲がっているがさして支障は無い。


やがて気の抜けるような鐘の音と共に昇降機が止まった。


扉を抜けた先はこの建物の頂上、すなわち最も権力を持つ者が居る場所。


扉が空いたその瞬間に戦いは始まるであろう、もはや片時の油断も許されない、高まった緊張感は私に程よく作用し集中力を極限まで高めていく。


そして扉が開かれた——。


✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱ ✱✱✱✱


扉の向こう側をこの目が捉えるよりも早く、私の体は昇降機内部を飛び出していた。


探知認識判断警戒対処ありとあらゆる動作が一体となって行われ、それ故に私の行動は一時的に完全停止させられることとなった。


何故ならそれは。


「——居ないだと」


標的の姿が、何処にも見当たらなかったからだ。


隠れ潜んでいる風でもない、机の下や物陰に気配は感じない、正真正銘嘘偽りなくもぬけの殻だった、この目に映るのはだだっ広い社長室だけ。


背後か!?


そう思い勢いよく振り返るも、そこには閉ざされた昇降機の扉があるだけで、不意打ちを仕掛けられるような感じは全く感じ取られなかった。


「いったい何処に」


その時。


ガラガラガラガラッ!!


突如として天井が瓦解した。


「——っ!?」


音を立てながら崩落する天井はまるでかのように均等に分かたれており、私の目はそこ混ざった『異物』を捉えていた。


まるで翼を広げた悪魔のように、両の手にそれぞれ握られた黒い剣。


「随分とせっかちなようですねェ!貴女はァ!」


『灰の指』英雄エルニスト=ガザールは、天を切り裂き舞い降りた——。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る