もう望めないはずの、過去から湧き出た願い。


地平線から太陽が昇り初め、夜明けの光が差し込む頃、私はようやく体を動かすことが出来た。


身を捩って寝返りをうつ、うつ伏せになって地面に手を着き体を押し上げる。


「く……っ」


限界を知らせるかのように腕が震える、自分の体重を支えるのがこれ程までに難しくなろうとは。


まるで動かせない部位を無理やり動かしてるかのような感覚、出血こそ少ないものの筋組織の損傷が激しくあまり力を入れられない。


たっぷり時間を掛けながら上半身を起こし、乱れた息を整えながら刀を杖代わりにして立ち上がる。


筆舌に尽くし難い重労働を成し遂げ天を仰ぎ、閉じた目を開けて、そこに映し出されたものを見てひと言こう呟く。


「……美しいな」


こんな状態にありながら、否こんな状態だからこそ穢れを知らないあの色が私にはよく響いた。


痛みの中に見出す生の実感、溺れかけた後に思い切り空気を吸う際に起きる命というものの実体化、刺激が束となって襲い掛かり脳髄をガンガンと叩く。


「先を、急がねばな……っ」


行動が遅れれば遅れるだけ不確定要素が増える、重症を負っているからと言って休むことは出来ない、死ぬほどの怪我でないのなら尚更だ。


前へ、前へ、何度も転び掛けながら牛歩に等しい速度で道を進む。


コツ、コツと鐺が地面を叩く、ほとんど引きずるようにしか動かせない両足を補佐してくれている、連日の負傷三昧でいい加減身体に限界が来ているのだ。


いくら治りが早いとはいえ、いくら人より頑丈だからとはいえ、短期間で蓄積した負荷があまりにも重く多すぎる、貯水槽の中が空になりかけている。


だが休む選択肢は依然として無い。


私が次に目指すのは街の中、次に狙う命は街の中に潜伏している。


しかし問題もある、何せ詳しい居場所も不明、顔も名前も不明、性別も分からないというどうしようもない振りを背負っているのだ。


そんな砂漠の砂嵐の中で標的を見つけるには長期的な調査が必要となってくる。


もし休息を取るのならその時だ、街に到着してから調査も兼ねて体を休める他ない、私は既に随分と予定から遅れてしまっているのだから。


「計画性のない阿呆と、笑われてしまうな……」


頭の中に思い浮かべるのは我が師匠のこと、彼と別れて随分経つというのにも関わらず、まるで昨日会ったばかりであるのように声音や表情を想像出来る。


「だがどうかこの恩知らずめを許してくれ、私はどうしても、どれだけ無理な計画だったとしても、奴らを放ってのうのうと生きることは出来ないのじゃ」


未熟者、無計画、自己満足、自業自得、私のしていることがどんな事なのかは正しく理解している。


世界に生きる人々にとって、たとえ偽りであったとしても平和とは何物にも変え難いもの、それを破壊し現実という名の絶望に叩き落とす行為はどうあっても許されるものでは無い。


我が道は正道に非ず、我が剣は正義に非ず。


そも、奴らの甘い言葉に絆され手を取ってしまったあの瞬間から既に道は踏み外している、あらゆる弾劾も災難も私には拒絶する権利がない。


この痛みも、あの痛みも、それら全てを罰として受け入れよう。


なにせ私がこれから彼らにする事を考えたらでも足りないくらいなのだから。


せいぜい痛め付けるがいい。


だがせめて、せめて目的を達成するまでの間だけはこの命は勘弁して欲しい、全てが終わったあかつきには私の何もかもを奪ってくれて良いから。


「お似合いの姿、じゃな……」


私は、暗闇の中を彷徨い歩く——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


森の中を、途方もなく引き伸ばされた時間感覚の最中で練り歩き、自分がどれだけ歩みを進めたかすら分からなくなりかけてきた頃。


鼻先に、を感じた。


「——!」


察知と抜刀は同時に行われた。


それまで杖として扱われていた刀は次の瞬間手の中に握られており、アマカセムツギは既に臨戦態勢へと移行していた。


「……」


あたりを注意深く見渡す、私を狙う敵影などないかと警戒する。


足元はふらつかない、気分は悪くない、戦場における体調不良など当たり前のこと、鈍くとも体が動くのであればそれは誤差に過ぎない。


観察の結果、ひとまず驚異は無いことが分かった、だが問題はこの事態にどう対処するかということ。


避けるべきか否か、単純に時間のことを考えるのであれば迂回するのが最善だろう。


しかし——


脳裏に浮かぶは女医者クルックシェッドの事、彼女の人を救いたいという願いはかつて私が抱きそして遂には汚してしまったものと非常に似ていた。


無くしてしまったもの、もう二度と手に入らないものは、例えそうと分かっていたとしても探し求め掴み取りたいと自然と願ってしまうもの。


故に。


「もし、もし私が行くことで助かる命があったなら」


その可能性を考えてしまった瞬間、私の取る行動はどうしようもなく決まってしまったと言っていい。


迷いは無かった。


「行こう」


私は即座に進行方向を変え、この鼻先をつついて止まない血の香りの方へと足を進める事にした。


木の幹に飛び散った赤い雫の痕、踏み倒された草木の姿、徐々に姿を現し始める争いの痕跡、それはここに修羅場が顕現しているという紛れもない証拠。


緑を塗りつぶす赤黒い水滴、それはまるで私を導いているかのように先へ続いている、そしてその都度濃くなっていく闘争の気配。


——途中で幾つかの死体を見た。


森の風景に溶け込むような格好をした死体、手には短剣が握られておりその刃は独特な形状をしていた、恐らくは毒か何かでも塗られているのだろう。


「……気に食わぬな」


嫌な感じだ、何かとても嫌な感じがする。


死体を調べても身分が分かりそうな物は何も持っていなかった、しかし体に着いた筋肉の形状が明らかに一般人のそれとは逸脱している。


これは間違いなく戦う者の体だ、それも騎士や戦士とは『違う種類の戦い』を全うする為の肉体だ、まともな人生を歩んでいる者のそれとはまるで違う。


日陰者の体つき、本来表沙汰になる事のない人々の視界の外で生きる人間のそれだ、この者はまず間違いなく『人狩り』を生業としてきた存在だ。


「残った足跡はひとつでは無い、複数の足跡が何かを追いかけ先に続いている、多数の犠牲を出しながら」


すなわち、それが意味するのは。


「これだけの手間と人員を掛けてまで殺したい誰かが居て、そしてそんな裏の仕事を請け負う者を返り討ちにするほどの腕を持った誰かが居る」


間違いなく一般的な揉め事では無い、これはもっと上の高度に政治的な要因が絡んだような案件だ、今の世の中でそんなイザコザを起こそうとする連中にどのような目的があるかなど考えたくもない。


様々な可能性が頭の中に浮かぶ。


それを踏まえた上で起こりうる危険を想定しながら痕跡を辿る。


呼吸を整えて、痛みに目を瞑り、いつ如何様に災いが降りかかったとしても対処出来るように。


怪我がどうとか疲労がどうとかそんな事は戦場では通じない、仮に腹を刺し貫かれていたとしても行動起こさねば死あるのみ、それが嫌なら無理をしてでも動く以外に生存の道は無い。


`無視をする`という選択肢を捨てたという事はそういう事だ、自ら死地へ飛び込んだのなら相応の覚悟を持って挑まねばならない。


散見される戦いの跡。


死体。


壊れた武器。


潰れた草花に血痕。


徐々に証拠が増えてきた、もうそろそろ『近い』ということが空気感で理解出来る、恐らくはここを抜けた先ぐらいに目的のモノはあるだろう——


「——おらあああっ!!」


ガギィンッ!


雄叫びと共に、金属のかち合う音が聞こえた。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※


森のやや開けた空間にて、火花を散らしながら打ち合う人影が在り。


合計数は四、見掛けの格好から推察される勢力数は二つ、そしてそれぞれの陣営に二人づつ人員が配置されており、双方が剣をぶつけ合い戦っている。


地面に転がるのは鎧を着込んだ騎士のような者、向かって左手側に居る勢力と同じ格好をしている。


そんな彼らと、いや正しくは『彼と彼女は』だが、二人と打ち合っているのは先程森の中で多数倒れているのを見かけた毒武器を扱う者共。


パッと見では互角に見えるが明らかに騎士勢力側の消耗具合の方が大きい、恐らく連続して大人数との戦いをこなしているのだろう、見て分かる疲労の仕方をしていてあれでは殺られるのも時間の問題だ。


瞬間ッ!私の取れる選択肢は三つ!


ひとつ、騎士側の勢力に加勢する


ふたつ、暗殺側の勢力に加勢する


みっつ、どちらも見捨て退散する


私が選んだのは——


サンッ!


振り抜かれる刀身。


直線上に切り裂かれるは重心を見失う。


私は今にもどこかへ倒れてしまいそうな木に指向性を持たせるべく、足の裏で押すように蹴りつけた。


支えを突如奪われた大木は加えられた力に抗う術を知らない、それは正しく私の思惑通りの方向へとグラ付き倒れ込んで行った。


そう、へ。


ガサガサガサッ!


バキバキバキッ!


「——ッ!」


「なんだっ!?」


突然の異音、突然巻き起こる異常事態、現場に居た全ての人間が一斉にそちらを警戒した。


彼らが互いに頭の中で考えている事はひとつ『もしや敵の隠し玉か!?』


それ故に下手な動作を起こさずひたすら状況把握に努めようというある意味皮肉とも取れる共通認識が働いた。


……そんな中で。


ただ一人現状を把握している私が


倒れる木を目隠しに使い。


倒れゆく木を足場と扱い。


懐から鋭利に磨き上げた石ころを取りだし、敵がこちらの姿を認識するほんの数瞬前にそれを射出ッ!


ギュンッ!


凄まじい回転と加速を与えられた礫はもはや達人の放つ斬撃と同義、もし仮に反応が間に合い武器で何とか弾けたのだとしても。


バギィィィンッ!


それを受け止めたが粉々に砕け散る事は当然の摂理であった。


「な、に……!?」


そして彼らの視界に映り込む一人の剣士の姿。


倒れ込む大木に足を掛け、まるでそこにしゃがみ込むかのような姿勢をして、腰に差した刀に手を掛け深紅の眼光を放つ驚異的な女剣士の姿ッ!


——ズダンッ!


その者はあろう事か空中に浮かぶあまりに不安定な足場を蹴り。


——ギュンッ!


目にも止まらぬ雷鳴が如き跳躍を以て。


——ス。


対峙した暗殺者のひとりを脇腹から左の肩口まで寸断し絶命させた。


「……は」


それ即ち、瞬きにすら勝る程の一瞬の出来事。


その場にいた誰もが。


突然起こったあまりに予測不可能かつ不可解な現象に度肝を抜かれ、突如混入した異物に対する評価をどうすべきかに意識が捕らわれた。


敵か?味方か?それはどちらの勢力にとっても考慮すべき問題であり考えなくてはいけない驚異性であったが。


しかし紙一重の差で、襲われた側とそうでない側との間で生まれた動揺の強さに差があった。


——地上に降り立つ剣士。


「ちぃ……!介入とはな!」


暗殺者の意識がそちらに向く、彼は二人プラス一人が己の敵に回ったのだと判断し最も近くの更なる危険に目を向けて警戒を行ったのだ。


無論、それは正しい。


彼が相対していた騎士連中は既にかなりの消耗状態にあり大した驚異では無い、それよりもまずこの突然現れ仲間を一方的に斬り殺した正体不明の女の方がよっぽど恐ろしいという判断は非常に正しい。


ただ一点、性格というモノを考慮しなければだが。


——ダッ


軽快な物音。


「……っ!?」


今更気が付いてももう遅い。


死神はとうの昔に迫っていたのだからっ!


「——なんだか知らねえけど」


走り出したのは黒鉄の騎士。


「——敵か味方かもわからねえけど」


肩に背負った騎士剣を振りかぶって。


「討てる仇は——」


不用心にも意識の逸れた己の敵に向かって。


「——やれるうちに討たねぇとなぁッ!?」


目の前で切り刻まれ毒に苦しみながら死んだ仲間の無念を剣に込め、地獄の業火に任せる仕事など無いと言わんばかりの灼熱の一刀を振り下ろし。


「しま」


ザン!


抵抗する間も今際の際の台詞を吐く間も与えずに、その女が振り抜いた一撃は見事に仇敵を破断した。


「そんでぇ……!」


その勢いを維持したまま足を入れ替え、こちらに切っ先を向け構えて寄越す女騎士。


彼女は言った。


が何故こんな所に居やがるッ!」


首を突っ込むと決めた覚悟の結果が。


「……そう来たか」


まさに今、目の前に広がっていた。

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