戦場剣技


気付くべきだった。


「これは……」


予測するべきだった。


「……っ」


後ずさるクルックシェッド、その顔は恐怖に歪んでいる、彼女は心が折れている、この先自分が辿るであろう無惨で残酷で目を覆いたくなるような最後。


相手は、私の知っているものとは大きく違っていたが、しかしそれでも狼と呼ぶに相応しい見た目をしていた。


彼らは基本的に群れる生き物だ。


周りを取り囲むように展開し、獲物を追いつめ、一撃離脱を繰り返して消耗を狙い、死角を突き、そうして敵を殺すのだ。


どうして思い至らなかった!私が戦ったあの化け物、アレがどうして`たった一匹だけだ`などと考えていたのだ!


「グルルルルル……」


闇の中に浮かんでいた光は少しづつ距離を縮めてくる、大勢、大勢、私が戦った個体と比べてもまるで遜色ない体格をしている怪物共。


「……ち」


後ろに視線をやる。


狭い通路、入り組んで暗い、私であってもそれほど遠くが見えるわけではない、ここが奴らの巣だとすれば地の利は向こうにある。


クルックシェッドを置いていったとしても逃げ切ることは不可能だ、私が姿を消せたり壁をぶち破ったり出来るなら話は別だが!


生憎私は獣の脚力を舐められるほど馬鹿では無い、それもこの大きさの獣だ、人間よりも大きな体格を持っている彼らの足を振り切るのは……無理だ。


やるしかあるまい!


「クルックシェッド」


「……っ、う、うん」


「もし、生きたまま食われそうになったら、その時は優先して首を撥ねてやる故安心せい」


「うれしい、なぁ」


暗く影の差す顔で、不細工もいい所な笑顔を作る彼女、死にたくない、死にたくないという声が今にも聞こえてきそうな苦しそうな顔だ。


前方を警戒しながら、足元に転がる石を幾つか拾い上げる。


目線を外さず、刀を向けたまま、微塵の隙も晒すことなく懐にしまい込む、我が師から学んだ最も使い勝手の良い武器、それがこの石ころだ。


わざわざ拾い上げなくとも、既に懐に幾つか仕込んであるが、こうして何かを隠している姿を相手に見せることで、不用意な接近を少しでも抑制出来はしないかという苦肉の策。


現に。


「……ガルルル」


奴らは詰めてこない、恐らくはこちらを警戒してのこと、仲間を殺した私を舐めていないのだ、誰しも死にたくは無い、今は隙を伺っている最中なのだ。


「さぁて、どうしたものか……」


膠着状態。


何か少しでもきっかけがあれば事態が動く。


一瞬の油断、視線移動で生まれる死角、呼吸の間、瞬き、構えに生じる隙、自分から攻めてはいけない、かと言って引く事も出来ない。


受けに回るしかない。


——ザリッ


来た。


獣の一団が距離を詰めてきた、この狭い通路をいっぱいに広がって、視覚的にも心理的にも圧力を掛けられる。


じりじりと距離が縮まる。


敵が近付けば近付くほどに狭まる視野、目の前に迫る危険に注視するのは人間の本能だが、それではイザという時見るべきものが見えなくなる。


だからあえて見ない。


あえて、自分から、生き物として至極真っ当で正しい本能にそっぽを向く、例えるならそれは、迫り来る切っ先から目を逸らすような事。


到底正気とは思えない所業だが、数秒先の命の保証が確約されていない戦場においては、それこそが生き抜く為の道であり必須の技能である。


——だから反応できた。


「ガアアッ!」


「ひ……っ」


威嚇、雄叫び、牙を剥き出し爪をギラつかせ、獰猛な欲望をさらけ出し、喉笛を噛み千切り獲物にありつく為にやってくる。


真っ向から一匹で、わかりやすい脅威を指し示し、本能がやかましく警笛を鳴らす、『オマエこのままだと死ぬぞ……!』と。


——私だから反応できた。


「……舐めるでないわ!」


刀を逆手に持ち替え脇の下からに通す。


ゴウッ!と後頭部スレスレを何かが通り過ぎる、私は振り返ることをせず、そのまま後方に飛んだ。


そして。


——ズブッ!


「ギャッ……!」


甲高い悲鳴が上がる。


背中に、慣れぬ人では無い感触がある、硬い毛皮におおわれた獣の肌、私の頭部を一撃で狩り取ろうと目論んだ狡猾なる狩人、すなわち外敵。


「……えっ……!?」


ここでようやくクルックシェッドが事態を把握する、我々が既に囲まれていたということを!


後ろの通路から敵が回ってきていた!前方の狼共はそれが分かっていてあえて手を出さなかったのだ、確実な瞬間を狙うには挟み撃ちにするのが良い。


飛び込んできた獣は、僅かに外された間合いによって爪と牙を空ぶった。


私は背中の敵に反撃される前に事を起こす。


脇腹に深く突き刺さった刀に力を込め、肉と骨によって固定された刀身を力づくで解放し、振るう。


——ゴリゴリゴリゴリッ!


嫌な音を立てながら獣の体を引き裂いていく刃、それは深く大きく腹を切り裂いて、恐ろしくも多量な血の残滓を纏わせながら空中に躍り出た。


逆手に持ったまま、振り子のように下から上に切り上げる。


追撃を仕掛けようとしていた前方の獣がそれで止まった、並々ならぬ反射神経で刀の間合いからギリギリで距離を取る。


——ザッ!


刀が頭上まで持ち上がったところで順手に持ち替えて、腰と足首に捻りを加えて振り返る。


傷付けられた怒りに身を任せ、無防備なる背中に噛みつかんとしていた獣が目を見開く、何故ならこの時点で既に構えは完成していたからだ。


「グァ——」


爪を盾に頭部や急所を庇おうとするが、今更守りに入ってももう遅い、お主はこのアマカセムツギの剣の間合いに入り隙を晒した。


いったいどうして逃れられる道理があろうか?


ほんの少し、角度を変えて。


頭部を庇う腕を切る。


「ギャ……ッ!」


手首から先を失った獣は逆上し、負った怪我の数倍いや数百倍の苦しみをこちらに与えるべく飛びかかる。


鋭い爪が突き込まれる。


なりふり構わぬその一撃は、まともに喰らえば間違いなく即で絶命に至る代物ではあるのだが、しかしこちらの攻撃はまだ終わっていない。


「ふ……っ!」


ズバッ!


手首を返し、下ろした刀をそのまま振り上げて、迫り来る爪を腕ごと切り飛ばす。


「グゥゥ……ッ!?」


宙に舞う黒い腕、私は切ったそのままの勢いで後ろを振り返るフリをした。


ビクッ……と、背中に襲いかかろうとしていた敵の足が止まる。


今しがた、不用意に間合いに入り込んだ仲間がどのような目にあったのかを見ていた彼の者は、一瞬己の身を案じてしまったのだ。


眼前にあるのは両腕を失った獣、彼は最後の力を振り絞って突貫を仕掛けてくる、たとえ腕がもがれようともまだこの牙があると言わんばかりに。


刀を地面と水平に、相手に切っ先を向け狙いを定める、そのまま前方に鋭く踏み込んで突きを放つ。


——ニィ。


それを待っていたと言わんばかりに残酷な笑みを見せる怪物、奴は大口を開けて私の突きを喰らいに来た、ここで仕留めに来ると予想したのだろう!


そして牙は。


——ガヂィンッ!


「ガ……」


を捉えた。


瞬間、獣の横をすり抜ける。


誘いに乗ってしまった彼に出来ることはもう何も無い、両腕を失い、最後の頼みの綱の牙さえも届かぬとあればもはや命運これまで。


すれ違いざま、敵は後ろから首を貫かれ絶命した、私は死体となった彼を片手で押し飛ばし、三度阻まれ四度目となる突撃を図る獣の進行を妨げた。


見渡、認識。


回り込んできていたのはどうやら今倒したのを含めて四、つまり残りは三体、しかしこの狭い通路の事を加味すると同時に戦えるのは二体が限度。


後ろの奴らがこちらに追いついてくるのも時間の問題だ、あんな死体を投げ付けたところで一時しのぎにしかならん、まずはコイツらを片付ける!


行く手を阻む二体の獣、姿勢を低く横に広がり、一縷の油断もない構えを取っている、そしてその後方には更に一体敵が控えている。


相手は目もよく勘も鋭い上頭もキレる、力は私よりも強く瞬発力も上、今は通じている騙し討ちの戦法もそのうちに慣れられるだろう。


向こうの強みを封じるように戦う必要がある、ならばとる行動はひとつだ。


ダンッ!


足に力を込め、思い切り地面を蹴り、奴ら二匹のすぐ目の前まで距離を詰める。


それはほとんどゼロ距離とも言うべき場所であり、死地と呼ぶにはあまりに十分すぎる危険地帯、間合いの内側も内側、手を伸ばさずとも届く距離!


無謀無策、血迷い、気でも狂ったかと思えるほどの所業!しかしこれには訳がある、数ある選択肢の中からこの行動を優先して選んだ理由が在る!


二匹のうち一匹が、のこのことやってきた獲物に手をかけようと動く。


ゴンッ……!



すぐ近くに構えていたもう一匹の仲間に肘が当たる、引っかかる!彼らは必死に行動を起こそうと動こうとするが、互いが互いを邪魔して動けない!


狭すぎるのだ。


ならば距離を取ろうと下がるが、しかし、よもやここまで踏み込んでくると思っていなかった彼らは、自分達が攻め込まれた時の事を想定していなかった


こうなればもはや前に行くしかない、が。


——ズッ、ブ。


そんな隙は与えない、二匹のうち一匹に、行動を起こす暇など生まれぬうちに突きを放つ、それは易々と喉を貫き生命を断ち切る。


刀身を引き抜くことなく飛び付いて、刺さった刀を操作して力の抜けた死体を操作する、それをまるで盾のように敵の方に向けて肩で押し込む。


先程も言ったが敵は後ろが詰まっている、そんな状況でまともな回避行動を取れる訳も無い、奴らは仲間の死体を真っ向から受け止めるしかなくなった。


——ドンッ!


弾き飛ばされぬよう必死に踏みとどまる。


たかだか人間ひとりの膂力に押し切られる程彼らは弱くない、とはいえ向けられた質量が質量だ、多少は後退を余儀なくされる。


結果。


「グ、ァ……」


最後尾に控えていた一匹が後ろに押し出される、これで攻撃後に即追撃を入れられる心配はなくなった。


刺さった刀を引き抜き、構える。


体格差、筋力差、ありとあらゆる面でこちらが劣勢ではあるものの、そんな中で唯一こちらが勝っているものがある、それは獲物の長さ。


二尺三寸の私の刀、それは奴らの爪や牙よりも圧倒的に長く、今この場障害物越しの状況下、向こう側からこちらに攻撃を届かせることは出来ない!


迸る剣閃。


——ザン


死体とその向こう側の敵、一挙に両断。


ずり落ちる胴体、後ろに見える獣、私は半分になった獣の死体をふたつ纏めて蹴り飛ばし、ぶつけた。


ドンッ!


ひとつならまだしも一気にふたつ、流石の化け物も完全に勢いを殺し切ることは出来ずやや仰け反る、その隙に距離を詰めて刀を振るう。


だるま落としの要領で弾き飛ばされた下半身ふたつ、だがまだ胴体が残っている、もう一度反対の足で残った胴体を蹴り飛ばす。


今回は耐えられない。


体勢を崩して後ろに倒れ込む、しかし奴は脅威の身体能力で床に手を付き、体勢を立て直そうとする。


その前に一気に詰め寄って横薙ぎ一閃、首を狙う。


——ビュッ!


風切り音、刀は肉を切らない、獣は地面にぺたんと胸が着くほどに屈んで攻撃を躱した、奴はそのまま体を跳ね上げて私の喉笛に噛み付こうとするが


——ゴギッ!


飛び出したところを顔面に膝蹴りを叩き込まれ、己の体重に加え推進力、そこへ加えられるぶつかる力に首の骨が耐えきれず、嫌な音を立てへし折れる。


背後に嫌な気配。


私は膝蹴りの反動を利用して上に飛び上がり、体を捻って天井に着地した。


そしてこの目に映ったのは、今まさに先程私が立っていた場所を薙ぎ払う黒い鉤爪であり、天井に逃げた私を追う奴の黄金の瞳であった。


足に力を込め、跳躍。


「ガアアアアアッッ!!」


こちらの跳躍に合わせた爪の一撃、それは真っ向から獲物を引き裂くつもりで振るわれ、しかしいつまで経っても血で濡れることは無かった。


天井、跳躍、直後の事。


私は天井に、己の腕が削れるのもお構い無しに拳を抉りこみ、万力を込めて跳躍の勢いを殺しきった。


肩が外れるかという衝撃に見舞われる、指や肘関節が悲鳴をあげる、しかし命を取られるよりはずっといい、それで隙を作り出せるならもっと良い!


腕を引き抜く。


落下、対空、刀構、着地。


同時に真っ直ぐ落とす刃、手応えあり、敵は顔を半分に叩き割られ膝から崩れ落ちる、だがホッとひと息をつく余裕は無い、直ぐに次が来る。


壁を、天井を、縦横無尽に飛び跳ねながら接近する三つの黒い影、入れ代わり立ち代わり、掴みにくい動きと呼吸で迫り来る。


これはマズいと判断し、懐に手を突っ込んで石を三つ取り出す。


ザッ!と開いた足を前に出し、大きく振りかぶって風を切りながら、下から抉るようにぶん投げる!


回転を加えられた石はそれぞれ別々の方向に飛び、跳ね回る怪物共のこれから進む道、あるいは現在地へと向かっていく。


一匹は体を捻って避け、一匹は足を止め、そして一匹は『そんなモノ問題ない』と判断して突き進んだ


確かにたかが石、当たったところで多少痛みを負う程度、そんなものを恐れて攻撃を止めるなんて大袈裟だ、と奴は考えたのかもしれない。


だが。


——パァン!


そんな音と共に奴の考えは黄泉の国へと吸い込まれる事となる、額に拳程の大穴を空けられて。


グルンッ、とひっくり返るように空中に投げ出された獣は既に事切れており、派手に勢いよく地面に追突して土煙を巻き上げた。


ただでさえ尋常ならざる突進力、普通の人間より遥かに優れた身体能力を誇る私の投擲である事に加えて、最大の要因は凶器の誇る『形状』にあった。


私が初手で懐に忍ばせた石はただの石ころ、ゴツゴツとしたまあるい形のもの、しかし今投げたのはそれとは違い私が常日頃から隠し持っているモノだ。


円盤のように薄く研がれた石ころは、非常に原始的ながら刃と呼ぶには十分な鋭さを誇っており、私が本気で投げれば生き物の体を貫くなど訳ない。


そんなものに、真っ向から挑んでしまった彼は愚かで哀れだと言う他ない。


投擲により一匹が死に、一匹が跳躍を止めた、しかし最後の一匹は無理やり反応して投擲を避け、そのまま跳ねながらこちらに突っ込んで来る。


再びサッと懐に手を忍ばせる。


「……!」


それを見た敵は空中にて急激に向きを変え、常識では有り得ない挙動で飛び跳ね出した。


目撃した惨状、絶対に同じ攻撃は喰らえないと判断してのことだろうがそれは間違いだ。


何故なら私は何も取り出してはいない、懐に突っ込んだ手は何も掴まない、石の代わりには私自身が飛び出した、刀を肩に携え私が飛び込んだ!


接近、接敵、振るう一太刀。


無駄に増やした挙動と虚をつかれたおかげで遅れた反応、幾ら彼らの身体能力と言えど体が悲鳴をあげる程の無茶な回避行動。


正面激突、交差する剣。


キンッ——


ざっくり切り裂かれた左肩。


そして視界の端に映る黒い影、首から上の無い死体が地上に墜落。


決して浅くない傷を貰ったが命の取り合いここに制した、揺さぶり余裕を削った私の勝利、腕が着いているだけ有難いと思わなくてはなるまい。


地に足付き、加速。


走る走る走る——。


対する敵は向かってくる。


その数残り五体、いずれも私の戦い方の一部始終を見ていた個体であり、これまでのように騙し討ちで先手を取るやり方では通じまい。


向こうは私が小細工を使うと考えている、何か手を隠していると思っている、それ故に出し抜く真似はもう出来ないと判断する、ここからは真剣勝負だ。


二体接敵。


爪が来る、刀で軌道を逸らして切り下がる。


避けられ、隙間から捩じ込むように追いかけてくる二発目の攻撃、合わせる様に踏み込んで切り掛る。


躱され、入れ替わるように別の敵、脇から飛びついてくる。


軌道上に切っ先を置く、ギョッとした獣は咄嗟に踏み留まろうとするが間に合わず、眉間を貫かれ絶命。


残り四匹。


刀が刺さっている隙を狙って爪を振る敵、刀から手を離して拳を叩き込み、爪を振る腕を受け止める。


受け止めた腕を弾いて逆側からもう一発ぶん殴り、隙間から刺すように下から顎を殴り抜く、相手の体勢がグラつく、その隙に刀を抜いて逆袈裟一閃ッ!


残り三匹


真っ二つになった仲間を押しのけて前に出てくる残りの三匹、彼らは他と比べると体格が小さくその分狭い通路でも十全に動くことが出来た。


それ故に二匹という上限も打ち破っている。


この土壇場で私は三体を相手にして戦わなくてはならない、腹の傷も開いたうえ肩からの出血も多い、時間はかけられない!


後ろに下がりながら武器を構え直す、注意深くこちらを観察し揺さぶりをかけてくる三匹、これまでの奴らと比べて連携の意識が強いように思える。


一匹が前に出る、切りたくなる位置に居るが手を出さない、するとそいつが鋭く爪を振った、私はあえて反応を捨て体で受け止める。


胸に刺さる爪、だがこの一撃は必殺を狙ったものでは無い、あくまでも牽制の一撃、それも躱されることを前提とした捨てる為の攻撃である。


浅い、故に存命。


敵の攻撃とすれ違わせるように真っ直ぐ突き込む、首に突き刺さった切っ先は命を断ち切るべく動いたが、隣で構えていた仲間がそいつを突き飛ばした。


ズバッ!


それによって喉が掻き切られる獣であったが死には至っていない、いずれ出血多量で死にはすれどこの戦いを終える分には生きていられる!


刀を引き戻す、そこに差し込まれる爪、受け流そうと動いたところに別の攻撃、私は受け流すことをせず、あえて乱雑に刀を叩きつける事で攻撃を弾いた。


パンッ!


跳ね返る刀、その勢いを利用してもう一方の攻撃をも弾く。


パンッ!


再度生まれた反動、それを下向きに変換、攻撃のために前に出た敵の足に向かって振り下ろし切断。


右肩を掴まれる、食い込む爪、軋む骨。


奴は私を引きずり込もうと力を込める、私はその腕に緊張が生まれる瞬間を捉え、食いこんだ爪を支点に、痛みに耐えながらひっくり返した。


「ギャンッ……!」


何が起こったか分からない様子の獣は、そのまま仲間に追突してもつれ込み、反射で私の肩から手を離してしまった。


一歩引き、斜めから三匹が重なるような位置取りをする、ここからでは距離が遠い故絡み合っていない残りの一匹の攻撃は直ぐには届かない。


切っ先を相手に向け、体ごと突っ込んで刺突を抉り込み二体同時に貫く、いずれも頚椎を分断した為これ以上の戦闘続行は望めないだろう。


だが深く差し込みすぎてしまった為に刀を失った、隙を晒さず引き抜くのは不可能、残りの一体は素手で相手をするしかなくなった。


死体に足をかけて蹴っ飛ばす、軽々と避けられ間合いに入り込まれる。


足を掛けながらすり抜けて転ばせる、床を転がりながら敵は足元を薙ぎ払いに来た、腿を上げて対処し足を入れ替えて顔面を蹴り抜く。


ガッ!


蹴られ、流れる敵の体勢、その勢いを利用して回し蹴りが飛んでくる。


屈んで避ける、頭上を通り過ぎる黒い足、屈んだ姿勢から槍のように足を突き出して、蹴りを放ったことでガラ空きになった右脚を狙う。


膝に突き刺さる踵、骨を砕く感覚、敵は自らの重心を支えきれずに膝を着いた、飛び込んで殴り掛かる


爪が振られる、しかしそれが体に到達する前にこっちの拳が先に当たる、獣の爪は勢いを失い、脇腹の肉を僅かに抉りとる程度に収まる。


背中から地面に倒れ込む怪物、私はそこを好機と判断して飛び下がり、死体に突き刺さった刀を掴んでグッ……と力を入れて引き抜いた。


その隙に起き上がり、低い位置から突っ込んでくる獣、だが片膝が死んでいるおかげで以前のような機動力はない。


私は刀を振りかぶり。


逆手に持ち替えて前方に投擲したッ!


驚く獣、それもそうだ、たった今とりもどしたばかりの獲物をいったい誰が手放すと予想出来ようか。


本来なら避けられるはずの投擲、だが膝をやられた現状では防ぐ以外の手立てが存在しない、奴は片腕を刺し貫かせる事で攻撃を防いだ!


その直後


……ズブッ


化け物は、自分の眉間に何か冷たいものが入り込んでくる感覚を味わった。


刀がその手から投げ放たれる直前、私は密かに懐に隠した石を取り出していたのだ。


失速し、滑り込むようにして床に倒れる敵の姿。


よろめきながら駆け寄って、踵を振り上げ、倒れ込む獣の後頭部に叩きつける、何度も、何度も、何度も何度も何度も!足が疲れて痺れるまで。


やがて顔の形も原型を失い始め、ただ痙攣するだけになったのを確認し、腕に刺さった刀を引き抜いて、動かなくなった体から首を切り離し、その場にへたり混んだ。


「……罪人、ちゃん?」


音が無くなり、動く気配も消え不安になったのだろう、それまで沈黙を貫いていたクルックシェッドが検討違いの方向を向きながらそう言った。


「こ、ここに……おる……おるぞ……」


息も絶え絶え。


あまり一気に喋ると傷が痛んで苦しい、血を流しすぎたおかげで貧血気味だ、左肩は上がらぬし胸にも腹にも穴が空いている、散々な目にあったわ。


「……っ!治療!」


ドタドタと音を立てて近づいてくるクルックシェッド、お主では暗闇を見通せぬというのにどうやって治療などするつもりでいるのやら。


「大丈夫……っ!触りながらなら、体触りながらなら状態分かるから……っ!上手くいく保証はないけどとにかく大丈夫だからっ!」


支離滅裂、むちゃくちゃ、つい乾いた笑いが出てしまうほどには焦っていて、荒唐無稽な発想だった。


「げほ、げほっ……」


笑ったおかげでむせてしまう、全く勘弁して欲しいものよ。


それに治療するって言ったって、アイツらがここで倒した者以外に居ないとも限らぬのに、何とも呑気な……ああでも、そうか……どうせ一人だけ逃げても外に出られる訳でもなし、今はこれが最善……


そうして


いつの間にやら私は気を失っていた——。


※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※※ ※※※


「……み、右じゃ」


血まみれ、包帯だらけの私と


「わかっ……た……」


それを背負って、私の道案内を頼りに先を進むクルックシェッド、肉体派でない彼女にとってはこれ以上ないくらい辛く苦しい役目だろう。


「やはり……自分で歩ける……げほ、げほ……」


「……ダメ……は……肺に……穴空いてるんだから、それに、私全ッ然……役に立ってないし、これくらい……これくらい、しなくちゃダメ……なの、いいから大人しく……く……っ、背負われちゃってて!」


せっかく怪我も治りかけていたと言うのに、またこんなに負傷して、いよいよ私もヤキが回ってきたのかの……。


この陰気な地下空間は、もう暫く続くのであった。

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