滅びてしまった日本で、皆さんはその後いかがお過ごしですか?

春風トンブクトゥ

第1話 海賊①

「あー、そこの海賊船。よく聞きなさい」

 よれた黄緑のジャケットを着た男が、貨物船の無線機のマイクに向かって日本語で話している。隣では白人の船長が心配そうな顔つきで男を見ていた。

「この船はフィリピンから大阪に寄港した時に物資のほとんどを降ろしてしまっている。御前崎港に寄るのはついでだ。だからほとんど物を積んでいない」

 それは本当のことだった。国連の援助物資を満載してフィリピンを出たこの貨物船は、大阪にて物資と赤十字の医師達、ジャーナリストなどを降ろした後、静岡県御前崎港に向かう。物資や貴重な人材を積んでいたため大阪に行くまでは護衛の船がついていたが、経費節約のため今は外れていた。

「現在この船は農協の保護下に入っている。機関銃が四門設置されている他、八人の精鋭がRPGや狙撃銃を構えてそちらを狙っている」

 操舵室の窓から外を眺めながら、阿含は口元に笑みを浮かべる。誇張もいいところだ。

 船の護衛のうち戦闘訓練を積んだ正規の農協拡張職員は、マイクを持つ山城と阿含の二人だけ。大阪で追加で三人を雇いはしたが、街のチンピラならともかく本物の海賊と戦うには頼りない男たちばかりだった。

 貨物船の備品で使い物になりそうなのは、機関銃が一門。そして甲板に取り付けられた、大型の銛を打ち込む捕鯨砲。あとははったりを堂々と言い切る勇気くらいだろうか。

 厄災が起きて日本が滅びて以降、日本列島の近海は海賊が獲物を求めてうろつく危険な場所になった。護衛船の代わりの安価な労働力として選ばれたのが、日本に点在する自衛組織『農協』だ。国家滅亡という非常事態において、農協は農畜産業の指導・販売のほか、護衛などの依頼を受け、それを提携している拡張職員に斡旋する広域公安事業を行っている。別件で大阪に出張していた山城と阿含は、静岡県に帰るついでにこの護衛業務を受託していた。

 山城がヘッドフォンを耳から離して顔をしかめる。

「いかんな、ひどくお怒りだ」

 そうだろーね、阿含は思う。

 海賊とてノーリスクではない。海上で捕まれば基本的に死刑だし、獲物を探して何日も海をさまよう日が続くという。準備から獲物探しまで下手をすると半月あまり無収入のままここまできて、今更旨味がないからやめます、とは行かない。借金取りの待つ陸に上がるまでもたずに、帰りの船中で仲間割れが起こるだろう。

 阿含は自身の装備を確認しながら操舵室を出た。黒のロングTシャツの上に、クラス四薄型防弾チョッキを着ている。中古のアサルトライフル、AKMが斜めがけされ、大阪で土産に買った本物の忍者刀を背負い、腰にはガスマスクが吊るされていた。あちらこちらに放射能のホットスポットがある日本ではガイガーカウンターとガスマスクは欠かせないが、今回の作戦でも重要なアイテムとなる。阿含は身につけた装具を確認して顔をしかめる。

 この作戦、ほんとに上手くいくんだろうな。

 デッキのスピーカーから山城のアナウンスが流れる。

「交渉は決裂。おそらく二分程度で海賊との交戦距離に入る。敵は一隻。ブリーフィングの通り、雇われ組と指名のあったクルーは配置につけ」

 船の武装のうち機関銃は左舷に、捕鯨砲は船首に備え付けられている。船首を左に向けることで、貨物船は後方から迫る敵に対し機関銃を向けることができる。

「来たぞー、あそこだ!」

 船員の誰かが叫んだ。阿含のいる左舷から海賊の船が見える。ごく普通の古い漁船だ。骸骨のマークが描いてあったりもしない。エンジンは取り替えられているようで、かなりの速度が出ている。阿含はすぐに頭を下げた。

 海賊の一人が撃ったアサルトライフルの弾が船の壁に当たる。二発ほど阿含の頭の上を通ったようで、恐ろしい風切り音が聞こえた。

 ダダダダダダッ

 貨物船の機関銃が凄まじい音を立てて弾を吐き出す。

 弾に当たらないように、海賊船は左に舵を切る。貨物船の船首の方向へ向かう形になった。ここまでは山城の想定通りにいっている。阿含の左耳のインカム越しに山城の指示が飛ぶ。

「よし、船首に向かえ!」

「はいよ」

 身をかがめたまま阿含は走り出した。

「ぎゃああ!」

 機関銃を構えていた男が声を上げた。運の悪いことに海賊がばら撒いていた弾が当たったのだ。しかし阿含は構わず、揺れる貨物船の狭い通路を船首へと走る。

 甲板の捕鯨砲の後ろに立ち、狙いをつけている船員の女は緊張で固くなっている。彼女は思った。なるほど、たしかに自分は若い頃クジラ漁に何度か着いていき、捕鯨砲を使ったこともある。厄災と呼ばれた日本最後の日が過ぎてから、まだ数年しか経っていない時の話だ。当時はとにかく食べ物がなかったため、生き残りの彼女たちは海へ出たのだ。

 捕鯨砲は大人の胸くらいの高さで、自転車のブレーキに似た把手とっての付いた大きな砲門の先端に、鈍い返しのついた銛がセットされている。ウィンチから延びる強靭なロープが銛にくくりつけられており、通常であれば銛が刺さったクジラの体力を消耗させ、引き上げるのに使われる。

 事前ブリーフィングでは唯一捕鯨砲の経験があるということで、“有事の際には”捕鯨砲を任されることになった。他の人にはできないことを任されるので誇らしい気持ちがないわけでもないし、手当もちょっぴり出る。

 しかし、クジラは撃ったことがあるが、もちろん人間はない。ましてや──

「船なんて!」

 雇われた男たちが二人彼女の横に立つ。二人は太い砲身のランチャーを持ち、緊張した面持ちで波間を見ていた。

 しなやかな四肢を最大限に動かしながら阿含が走ってきた。

「砲撃手! 来るぞ」

 波しぶきを立て、エンジン音を響かせながら海賊船が弧を描いて迫る。銃を構えた男たちがデッキにいる様が、はっきりと見える距離まで迫った。

 女は捕鯨砲の狙いをつけ、発射レバーを握りしめた。

 大型の銛が空気が震えるほどの大音量で発射され、海賊船の操舵室に見事に突き刺さった。即座にウィンチが巻き取りを始め、ロープがピンと張られる。海賊船の船首が無理やり貨物船のほうに向けられる。突然船の進行方向が替えられたことで、デッキの上の海賊たちが倒れるのが見えた。

「よっしゃあ、撃てえ!」

 阿含が怒鳴ると、女の横に待機していた男たちが、海賊船に向けて銃を構え、引き金を引いた。

 シュコッ

 海賊船の上に黒い缶がいくつも転がった。缶からは白い煙が立ち上り、それを吸った海賊たちが咳き込み始める。催涙弾だ。すぐに海賊船のデッキが白い煙でいっぱいになる。

 阿含は腰につけた安全帯からフックを伸ばすと、ロープに取り付けた。続いてガスマスクを装着する。

 ジップラインという遊びを知っているだろうか。山の傾斜を利用して斜めにロープを張り、滑車とハーネスを使ってロープ沿いに一気に降りるアトラクションである。

「それじゃ仕事だ。行って来い阿含」

 左耳のインカム越しに山城の声が聞こえる。

 阿含はブーツで甲板の柵を蹴って空中へ躍り出た。十メートル近い高さの海の上。ハーネスを装着した腰に圧力を感じながら、彼の体は海賊船にぐんぐん近づいていく。

 阿含は派手な音をさせて海賊船のデッキに降り立つ。フックを外すと銃を構えた。

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