第二章 蠢動

第6話 貴族と迷宮

リュミール王国 バーゾク伯爵領 都市アルビア―――



夜も更け、多くの市民が床に就いている時間。

サーモ・バーゾク伯爵はランプが照らす室内で、本日何度目になるか判らない溜息をついていた。少し腹部がふっくらとした中年の男性だ。

彼がいる執務室は、実用的ながら舐められない程度には金をかけた調度品が備えられている。数人でディナーが出来そうなほど大きな書斎机には、今は羊皮紙とパピルスが堆く積まれ、走り書きのされたワックスタブレットがいくつも転がっている。

サーモは羊皮紙に目を通しながら、時折嫌そうな顔をして羽ペンを取り、書き込んでは印象を押す。



「サーモ様、そろそろお休みになられては……お体に障りますぞ」

「ああ、カラン」


サーモは、話しかけられてようやく気が付いた様子で顔を上げる。

カラン……細身で白髪に白く長い髭を蓄えた家令は、恭しく頭を下げる。

まるで枯れ木のように細身ながら、目つきは鋭く、まるで抜き身の剣を思わせた。



「そうしたいのは山々なんだけどさぁ……。

 ネーズ・アンジェのところにさぁ、トルム村っていう開拓村ヴィル=ヌーヴあったでしょ?

 肝入りの場所で、すごく力入れてたのに、ネークンの野郎に攻め込まれたんだよ」

「ネークン・オーツネ伯爵……王弟殿下の派閥に所属する方でしたな。

 甚大な被害が出て、ネーズ様も派兵したと聞きましたが。

 ……まさか、サーモ様の責任が問われることに?」


リュミエール王国では、国王の代わりに、貴族が領地管理を行っている。

男爵や子爵が小さな領地を治め、それらを伯爵が管理する。

伯爵であるサーモはつまり、ネーズの上司なのだ。

なお、その伯爵らは侯爵が管理し、公爵が侯爵に指示を出す。


数十年前にダンケルハイト帝国との戦争で事実上の敗北を期したリュミエール王国は、敗戦が尾を引き、後継者を巡り内戦が勃発。

今は王太子と王弟の派閥に分かれて争っており、バーゾク伯爵家は王太子の派閥の陣営である。



「いや……今回は僕も腹を括ったけど、そこまではなかったよ。

 ネークンに落とし前はつけるけど、業腹なのは別のところでさぁ。

 ネーズのやつ、トルム村に兵士を配置しとけっていう僕の指示無視してたんだよね」

「……は?本当ですか?」

「僕も冗談か何かと思って……ネーズからの使者に3回聞き直しちゃったよ。

 僕が手配しておいた用兵費用を、自分の懐に入れてたんだってね。

 いやあ、参った参った、思わず使者の首を刎ねちゃったよ」



こう、ズバッとね、と斧を振り落とす手ぶりを見せるサーモ。

カランはもとより鋭い目つきをさらに細め、憤りを隠せない様子だった。


「……ネーズ様の背信、陛下の沙汰を願うまでもありません。伯爵様の裁量でいたしましょう」

「あ、ネーズはネークンとの戦線に出てを遂げたそうだよ。

 後釜には嫡子を据えるそうだよ。

 あの馬鹿息子ね、知ってるでしょ?」

「……アンジェ男爵家が自決したのは評価できるでしょうが、しかし無罪放免とはなりませんな」

「そうなんだけどねぇ、もう一個の案件がねぇ……」


カランはふう、と息を吐く。



「……迷宮ダンジョンですな。そのトルム村の近くで見つかった、という」

「そうそう、そうなんだよぉ……

 冒険者ギルドから通達があったよ。

 後日、冒険者を派遣して、確認後は正式に組み入れるそうだ。

 ……本当にしまった。

 トルム村の状況確認に冒険者を雇うんじゃなかった……。

 偶然見つけたとかさ、いや本当に、もう……」

「兵を動かす余裕はありませんでした、仕方のないことかと……しかし、厳しいですな」

「本当だよぉ……。

 いやだなぁ……そもそも、ダンジョンのある領地の税徴収って滅茶苦茶高いんだよなぁ……。

 焼き討ちされたトルム村に冒険者ギルドの支所を作るらしいから、復興費用はだいぶ色が付くそうだけどさぁ……」

「トルム村に作るということは……」

「そうなんだよぉ、一番の問題はそこだよぉ……ネーズの息子が迷宮伯になるのさ。あの馬鹿がだよ?

 だから安易にアンジェ男爵家の罪の追及もできないんだよねぇ……」


迷宮伯というのは、領内にダンジョンを持つ男爵や子爵家に与えられる特別な爵位だ。

ダンジョンは魔物の住む危険地帯であるため、いざという時のために兵を準備しておく必要がある一方、魔物やダンジョン内で得られる素材やアイテムなどの貴重品が得られ、それらを求め冒険者が集まる。

人が集まれば様々な商売が盛んになり、ダンジョンによっては鉱山や港を所有する領に匹敵するほどの財貨を得る。

男爵や子爵の裁量だけではそこから生じる問題に対応しきれないため、円滑に事を運ぶために、部分的に伯爵位に匹敵する権限が付与される。

これにはダンジョンを抱える下位貴族保護の名目もあり、上位貴族が男爵や子爵の持つダンジョンを領地ごと取り上げようとするのを防ぐのだ。


つまり、ダンジョンに対しサーモが打てる手というのは、かなり限られてしまう。



「絶対なんか問題おこすよぉ……ほんと辞めて欲しいよぉ……」


サーモは手で顔を覆い、深いため息をついた。

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