「また届いた……」 

 今年に入ってから、浦野家には定期的に江戸から小包が届くようになっていた。今やその小包は、部屋の一室を埋め尽くさんとしている。

「一体何が入っているのやら……」

 柚は軽い溜息を吐きながら、小包を部屋の中に置いた。

 この小包の送り主は、権助であった。権助は昨年の暮れから江戸に旅に出ており、年が明けて春になった今でもまだ帰ってきていない。正月が終わってすぐに江戸にいる権助から、荷物を送るから預かってほしいと文が届いたのだった。

 まさかこんなに届くとは思わず、しかし勝手に人の荷物の中身を見るわけにもいかないので、途方に暮れていたところであった。しかも実家にではなく浦野家に送ってくるあたり、怪しいものである。

 権助が江戸から帰ってきたのは、それから間もなくのことであった。

「よっ!」

「権助さん、おかえりなさい。いつ帰ってきたんですか?」

「昨日帰ったばかりだよ。いやぁ、しばらく見ない間にすっかり女らしくなっちゃって」

「今までは女に見えなかったって言いたいの?」

 少し憤慨してみせれば、権助はおかしそうに笑った。いつものように、ただ揶揄っているだけのようである。

「前よりきれいになったって言いたいんだよ。な、おもん」

「うん。柚おねぇちゃん、きれい」

 権助と一緒に浦野家を訪ねたおもんは、いたって真面目に言っている。

「もう、おもんちゃんまで……」

「女がきれいになるときゃ、もしかして、いい人でもできたんじゃ……」

「権助さん!いい加減にしないと、江戸から届いた荷物、全部燃やしちゃいますよ!」

 そっと様子を窺っていた春太郎は、彼が帰ってきてからすっかり賑やかになってしまったと、騒がしいような、懐かしいような気持ちになっていたのであった。


「この荷物のことを説明してもらおうか」

 縁側で権助の買ってきた団子を頬張りながら縁側でくつろいでいるとまず、春太郎が尋ねた。

「実は……」

 昨年の暮れに江戸に行った権助の目的は、物見遊山の旅ではなく、とても大真面目な理由があったのである。彼は急に思い立って、地本問屋を営みたくなったのでった。

「小間物屋じゃなくて地本問屋ですか?」

 権助の実家である万国屋は、棗藩の中でも有名な小間物屋であった。それが何の関係もない地本問屋とはと意外に思って柚は尋ねたのだが……

「実家は兄貴が継ぐから、俺は関係ねぇよ。俺もそろそろ真面目に考えねぇとやばいかなって思ったら、いっそのこと自分で店をやろうと決めたんだ」

 言っては悪いが、不真面目な権助にしては殊勝な心がけである。

「もともと読本やら絵は好きだし、細々とでもやれたらってことよ」

「でも、何で江戸に……?」

 どうせなら町人文化の隆盛を極めている江戸の地本問屋を見て学ぼうと、権助は両親に頭を下げて、旅費を出してもらったのである。頭を下げられたことなど初めてであり、地本問屋を営みたいという突拍子もないことに、すぐには承諾してくれなかったが、やっと去年の暮れに許しをもらったのであった。

 江戸ではただ地本問屋を見学してきたのみならず、親切なある店の主に、商いのいろはやら諸々を教えてもらったそうだ。しかも江戸では無名の戯作者やら絵師に、作品を棗藩で売らせてほしいと頼みこんだのである。

 浦野家に届いた荷物の正体は、読本や絵を作成する道具や材料、作品やらなのであった。

「地本問屋になることを両親が許してくれたなら、荷物は実家に送ればいいだろう」

 やや不満気に春太郎が言えば、

「こんな大量の荷物を送ったら、うるさくてたまらねぇ。頼れるのは旦那だけだったんですよ」

 と、調子の良いことである。

 すぐに店が完成するから、もうしばらくよろしくと、権助は拝んでみせた。ちなみに店を建てる費用もすべて、両親に出してもらったそうだ。大店ともなれば、朝飯前のようである。

「すごいわ、権助さん。見直しちゃった」

 気楽な次男坊で、遊び人だと思っていたのにとは、柚の心の声である。

 権助は柚の言葉に満足している様子だ。

 一方、おもんはどこか浮かない顔をしている。

「おもんちゃん、お団子、食べないの?」

 団子はおもんの好物である。なのに、少し口をつけただけだった。

「おもん、どっか身体の調子でも悪いのか?」

「ううん」

 もしかしてと、柚は思い当たった。春太郎もすぐにわかったようで、

「きっと、お前が家を出て行くから寂しいんだろう」

 と呟く。

 権助が江戸に行っている間、おもんは何度か浦野家に遊びに来たものの、いつもよりも元気がない様子であった。よく面倒を見てくれた叔父がいなくなって、つまらなさそうにしていたのである。

 毎日、家神に権助の無事を祈っていたという健気な場面もあった。

「おもん……」

 権助は姪であるおもんを、とても可愛がっている。だからおもんの気持ちがうれしかった。

「家を出るっていっても、歩いて来れる距離にいるんだ。いつでも遊びに来いよ」

「いいの?」

「ああ。おもんの好きそうな絵も、いっぱいもらってきたんだ。店で好きなだけ眺めていいんだぜ」

「わーい!」

 一緒にいた家族が家を出て行くのは、近くにいるとわかっていても、寂しいものだ。

(おっかさんも、寂しかったのかな……)

 一人で勝手に奉公に行くと決めて家を出た過去を持つ柚は、そんなことをしみじみと思う。母のためを思うなら、早く婿をもらって花乃屋を継ぐべきなのだろうが……

「ん?」

 柚はつい見つめてしまった春太郎から視線を逸らした。

(ないない、あり得ない話よ……)

 春太郎の妻になるなど、両親の戯言に過ぎない。きっとそうだと、柚は自分に言い聞かせた。

 権助が地本問屋を始めるのは、それから一月後のことである。そして将来、権助の店では『棗の怪異物語』が売り出されるのであった。


 『棗の怪異物語』の編纂は、始まったばかりである。柚たちが生きている時代の怪異だけではなく、歴代の浦野家当主が関わった怪異も、まとめなければならなかった。

 怪異の相談が持ち込まれなければ、柚と春太郎は編纂作業にかかりっきりなのである。清之進も弾正の家で、編纂作業に励んでいるのであった。

「最近は目立った怪異もないですね」

「『棗の怪異物語』を完成させることに専念したいから、ありがたいな」

 怪異が大好きなはずの春太郎にしては、意外な返答である。

「一年もすれば完成するって言ってましたけど、その間、新しい怪異に出会わないのって、寂しくないんですか?」

「そうだな。寂しいは寂しいのかもしれん。だが、完成した後でなければ、母上が許してくれんのだ」

「え?母上って……」

 何を許してもらうつもりなのか。と問いかけようとしたが、やめた。

 本能的に、それが何なのかははっきりわからなくても、察するものがあったからである。

「柚……」

 しばらくして、春太郎が穏やかに呼んだ。

「お前が嫌でなければ、俺のよ……」

 春太郎が振り返ったとき、柚は机に突っ伏して寝息を立てていた。

「…………また肝心なところで寝ているとは……月尾、柚を部屋まで運んでやれ」

「はいよ」

 音もなく現れた月尾は、柚を軽々と持ち上げて、部屋まで連れて行った。

「何で寝たふりなんかしたんだ」

 部屋に着いたとき、月尾にそっと尋ねられて、柚はびくりとする。まさか見破られているとは思わなかった。

「だって……」

 春太郎の言いたいことが、わかってしまった。以前にも言ったような口ぶりであったが、そのときは本当に寝ていたらしい。

「主のこと、嫌いなのか?」

「まさか嫌いなわけ……」

「じゃあ好きなのかよ」

「…………」

 何も言わない代わりに、顔が真っ赤になってしまった姿が、答えである。

 月尾は苦笑してみせる。

「人間はややこしくて仕方ねぇな。主は柚のことが好きで、柚もすきってことは、相思相愛じゃねぇか」

「変なこと言わないで!」

 柚はとうとう、布団の中にもぐってしまった。

 恥ずかしい。たったそれだけの気持ちが、寝たふりを決め込んでしまったのだった。


 柚と春太郎が弾正の家を訪ねたのは、翌日のことである。

 すっかり春の陽気に当てられて、長閑な景色が心地良い日であった。

(また早起きさせられて、勉強もさせられるんだろうな……)

 相生村に住む野上弾正は、清之進の元師匠である。彼の元で勉学に励んでいた清之進は、いつしか過激な道を進んでしまったが、今は二人、昔に比べれば穏やかな日々を過ごしている。

 弾正の教え方は、苛烈だ。経験したことのある柚は、億劫な気持ちもあるが、弾正のことは嫌いではなかった。むしろ、会いに行くのが楽しみである。それは、春太郎も同様であった。

「弾正様……!!」

「弾正殿……!!」

 外の景色とは裏腹に、弾正の家では信じられない出来事が起こっていた。

 弾正が苦し気な様子で、布団に臥せっていたのである。



【家神】


 とある商家に、神様の祠あり。

 代々、家神を祀るも、先代の死により家神の存在が忘れ去るる。

 家神は、その家に富をもたらすありがたい神なり。忘れることすなわち、神を蔑ろにすることと同じ。神を蔑ろにすれば、百代まで祟られること間違いなし。

 家人の一人、家神に祟らるる。家人慌てて家神に饅頭を供えれば、たちまち、呪いは解けり。

 祟られたくなければ、毎日拝むべし。祈れば旅に出れども、病一つもなく帰れり。

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