第6話 名は白花に決まりました

「おれ、おれ!」


 彼女は何度も「おれ」と言いながら、持っていた爪楊枝を差し出して、何かを訴えている。


「豊……今、嬢ちゃん喋ったよな?」


「うん、聞き間違いじゃなきゃ「おれ」って言った」


 なぜ彼女が今更言葉を話したのかはわからないが、何を主張しているかは見当がつく。「飴がなくなったから、もう1本くれ」だろう。しかし飴はさっきのが最後の1本、新たに作らなければならない。


「おそらく……『これだけじゃ足りねぇ』って言ってるのかも」


「お前、嬢ちゃんの言葉がわかるのか!?」


「根拠はないよ? そんな気がするだけ」

 

「そうか……確かに飴じゃあ腹は膨れねぇな。俺らの晩飯でも分けてやればいいさ。よし嬢ちゃん、少し待っててくれ!」


 じいちゃんがかなり遅めの夕飯の準備をするためキッチンへと向かう。しかし、彼女はいまだに飴を要求していた。


「おれ!」


「飴はもう無いんだよ。今ちゃんとした飯を用意するからもう少し待ってくれ」


 伝わっていないことは百も承知だが、他に意思の伝達方法がわからない俺は開き直って普通に会話することにした。もちろん、当の彼女が俺の言葉に対する反応は首を傾げるだけ。


 そもそも、彼女が言葉にする「おれ」とはどういう意味なのだろうか?


 この国の言葉だと「俺」になり自分を指す言葉だが、彼女にはそれ以外の言葉が伝わらない為、その線は薄いと考えるのが普通だが……。


 それに彼女は女性、いないわけではないが、自らを「俺」と呼ぶ女性は多くはない。


 ——考えても埒が明かないな。ここはダメもとで言葉をかけてみるか。


「いいか? お前言っている『おれ』はこの国では『俺』になるんだ」


 自らを指差して彼女に伝える。彼女は興味深そうに俺の話を聞いているのは表情見ればなんとなくわかった。


 「だから……もし自分を何かを主張したいときは『おれ』じゃなく『私』だ! いいか? 『わ・た・し』だぞ?」


 我ながら言葉の通じない相手に対して、なにを真剣に教えているのだろう……。


 彼女になるべくわかりやすいように「俺」の時は自分を、「私」の時は彼女を指差す。そう上手くいくことなど無いと、高校生の俺でもわかっていたが、事態は思わぬ方向へと傾いた。


「……わ……たし……?」


 明らかに彼女は俺の発音を真似して、「わたし」と言ったのだ。


「ははっ! そうそう、『私』だ!」


 自分の言葉が通じることがこれほどまでに嬉しいのかと、思わず笑顔になってしまう。


「わ……たし、わたし!」


 今まで強張っていた俺の表情が緩んだことに彼女自身も感じる物があったのか、目をキラキラさせながら、とびきりの笑顔で覚えたての言葉を連呼する。


 彼女を保護するにあたって重大な問題の1つであったと、しかし今のように彼女がこちらの言葉を習得してくれるのであれば、その問題にも解決の兆しが見えてきた。


 そんな俺達の騒ぎを聞いてキッチンから、じいちゃんが顔を覗かせる。


「何を騒いでんだ?」


「じいちゃん! こいつ、言葉が通じるかもしれないんだよ!」

 

「わたし! わたし!」


「この短時間で俺達の言葉を理解したのか!? 賢い嬢ちゃんだな……」


 自身を指さして「わたし」を連呼する彼女を見てじいちゃんが驚いていると、ぐーっという音がリビングに響く。アニメでよくある、聞いた瞬間にわかる音の出どころは俺でもじいちゃんでもなく、彼女の腹からだった。


「ははは、嬢ちゃん腹が減ってたんだったな。待ってな、もうすぐできるぞ」


 腹が鳴ったことに恥ずかしがる素振りも見せない彼女は音の出どころである、お腹の位置を触りながら不思議そうな表情を浮かべている。


 程なくして、かなり遅めの夕食がテーブルに並ぶ。今日のメニューは和食だが、おそらくこの国の者ではない彼女は俺の想像通り箸の使い方がわからない様子。その為、スプーンとフォークを用意したが、こちらも使い方がわからないようで、結局手で食べようとしている。


「おいおい、スプーンもわからないのか」


 だからと言って、そのまま手で食べることを許すのは気が引ける。そこで俺は箸からスプーンに持ち替えて食事をして、その姿を見せることで彼女に食器の使い方を学んでもらおうと試みると、彼女は見様見真似でスプーンを使って食事を始めた。


 その姿は決して優雅ではないが、慣れない手つきながらも懸命に夕飯を口に運び、美味しそうな表情の彼女を見ていると、なんだか温かい気持ちになる。


 ——親心とはこんな気持ちだろうか? まだ高校生だけど。


 いつもよりも長い時間の夕飯を終えて後片付けも済んだ頃、じいちゃんがある提案をしてきた。


「豊、考えたんだがよ、いつまでも嬢ちゃんを『嬢ちゃん』と呼ばずに、ここにいる間は何か名前を決めてやらねぇか?」


 確かにいつまでも彼女のことを、名称もつけず一緒に過ごすのはなにかと不便だ。


「それもそうか……。どんな名前にしようか?」


「豊が決めてくれ。俺だと古臭い名前になっちまいそうだ」


 とはいっても、唐突に彼女の名付け親になるなど思いせず、腕を組んで頭を傾ける。一時的なものとはいえ、名前という重要なものを考えるのだ。慎重にならない訳が無い。


 こんな時は何もない場所から生み出すのでなく、彼女から連想できるものを由来にした方が良いのではないだろうか? しかし、彼女と出会ってまだ数時間……彼女から連想できるものなど、ほとんどない。


 べっこう飴を食べられたことや、この国の人ではないことが頭に浮かぶが、そこからどうやって彼女の呼び名に結び付ければいいのかはわからなかった。


 悩みながらも振り返ると、満腹になり満足したのかソファでうとうとしている彼女が手に持つある物が目に入る。


 ――それは俺が彼女を見つけるきっかけとなった白い花。


 そうだ。彼女と言えばこれがあるじゃないか!


 考えることが多すぎて忘れていたが、彼女の唯一の所持品である得体のしれないこの花を由来にした名前を考え始める。すると、まるで水中に浮き輪を沈めて手を離すと勢い良く浮上してくるかのように、1つの名前が頭に浮かんだ。


「……


 無意識に口から出た言葉をじいちゃんは聞き逃さなかった。


「ん? なんか言ったか?」


はどうかな? 漢字だと白い花と書いて白花しらはな

 

 ひねりもなにもないが、変に熟考してややこしい名前を付けるよりかはマシだと自分に言い聞かせる。


「白花ちゃんか……いいんじゃねぇか? この娘らしくて」


「よし、決まり!」


 じいちゃんからも、賛成を得たため。 改めて、彼女の方へ振り返り名前を告げようとすると、彼女はソファで眠ってしまっていた。


「ありゃりゃ、寝てしまったか」


 無理もない。白花にとっては怒涛の1日だったろうし、腹も膨れて気が抜けたのだろう。起こすのも気が引けるので、移動はさせずに毛布を被せそのままにする。


 怒涛の1日はようやく終わったのだ。

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