Ⅵ 前篇(下)


 高速で扉が開閉している鋼鉄の回廊をその眼でみたことで、シーナは潔く同行を諦めた。俺たちみたいに自信をもって自在に飛ばす経験がないので、きっと扉の前では身が竦んでしまうだろう。

「弟子が育てた魔女にしては美人だ」

 おかしな褒め方をして、師匠の師匠メッサイアはアルフォンシーナの為にホーエンツォレアン家の花園から勝手に花を摘んでくると、シーナに手渡した。

「さあ、これを持って家にお帰り」

「その前に、お訊きしたいことがあります。メッサイアさん」

「なにかな、お嬢さん」

 もらった花が枯れないように、シーナは水を張った如雨露に花束を入れた。二人は園庭にある石の長椅子に腰をおろした。

 アルフォンシーナとメッサイアはしばらく熱心に何かを話し込んでいた。傘のように長いメッサイアの魔法杖は曲がった先を手近な木の枝に引っかけて、ぶら下がっている。

 こんなに悠長にしていていいんだろうか。俺は一旦屋敷に戻って、ベルナルディとルクレツィアさんの様子を確認してまた戻って来た。その間、ブラシウスは鋼鉄の扉の通過方法を考えていた。

「途中までは止まることなく一気に抜けられる。その後は、一枚ずつ扉の手前で止まって慎重に攻略していくしかなさそうだ」

「ブラシウス」

「俺が先頭を飛ぶから間隔を見ておいてくれ。七剣星は修行の一環としてあれを突破したのだ。だったら俺たちにも出来ないことはないさ」

 俺はブラシウスの同行は断るべきだと想った。危険すぎる。だから彼にそう伝えた。

「今さら」

 心外そうにブラシウスは俺を小突いた。

「あの通路の向こうに何があるのか気になるじゃないか。メッサイアさん、あの鋼鉄の扉を抜けると、そこには何があるのですか」

 俺たちが振り返ると、メッサイアとシーナが二人揃って「そんなことも分からないのか」という顔をこちらに向けていた。シーナは冷ややかに云った。

「少しは考えてみたら。アルバトロスは誰を誘拐したの」

「ハンスエリ」

「赤子は独りでは生きられないわ」

「うん」

「だからアルバトロスは乳母か、ルクレツィアさんも一緒に連れて行けばよかったのよ。でも彼はそうしなかった。赤子だけを連れ去ったわ。そこから考えればいいのよ」

 さっぱり分からない。行く先は乳児院だろうか。

「『揺りかご』だ」

 はっとなってブラシウスが云った。 

「あの鋼鉄の通路の向こうには、『揺りかご』があるのではありませんかメッサイアさん」

「そうだ」

 師匠の師匠メッサイアは頷いた。

「『揺りかご』だ」



 『揺りかご』のある処。そこは異空間に広がる平原だ。時間の流れもまるで違い、あの世でもこの世でもない。

「常に極夜か夜であり、地軸と地表の接点に近い氷の国だ」

 メッサイアは俺たちに説明した。

「そこに『揺りかご』はある。翼ある魔人が子育てをした場所だ。『揺りかご』に赤子を預けると、乳を与える母がおらずとも、その中で赤子を育成することが出来るのだ」

「子どもの頃、乳母からよくその話を聴かされて育ちました」

 ブラシウスは頷いた。

「悪い子は魔人の揺りかごに預けてしまいますよと。悪戯をしていると乳母が脅すのです。『そこには美味しいお菓子も、おもちゃもありません』」

 これで、師匠の行き先も、ハンスエリの居場所も分かった。

「あとは鋼鉄の回廊を通り抜けるだけだ。メッサイアさん、行きましょう」

「もう一人の偉大な魔法使いは何処だ」

 メッサイアは俺たちに訊いた。

「息子の方だ」

「アロイスのことですか。彼なら人間の父親と共に、空中馬車で魔都観光に出かけています」

「魔都見物は中止だ。連れて来い」

「何処にいるか知りません」

「観光ならば巡る場所は限られているだろう」

 メッサイアは俺たちを叱りつけた。

「『揺りかご』の前で黒金くろがねの魔法使いが待ち構えていたらどうするつもりだ。無銘のお前たちが敵う相手ではない。素手で軍隊と闘うようなものだ」

「マキシムがいます。マキシムは白銀しろがねの魔法使いです」

 莫迦者、と怒鳴られた。

 メッサイアは呆れた顔をして俺たちを見廻した。

「いくら弟子が白銀しろがねの魔法使いであっても、弟子ひとりだけでは確実に敗れる。確実にだ」

 そうなのか。なんとなく、師匠なら独りでも黒金くろがねに匹敵するような気がしていた。メッサイアはそんな俺たちの想い込みを頭から完全に否定した。

「黒金を滅ぼすためには最低でも十二人の白銀が要ると云ったではないか。それでようやく、というくらいだ。だからこそ『偉大な魔法使い』を連れて来なければならない」

 語気強くメッサイアは何度も云った。

「アロイスを使わない手はない」

「しかしメッサイアさん。アロイスはアルバトロスの実子です。それにまだ子どもです。魔法使いとして覚醒したばかりで魔法の扱いもまだ未熟な彼を戦闘に参加させるのはどうかと」

「見くびり過ぎだ」

 今度は怒声が降って来た。

「もしその少年が真に『偉大な魔法使い』ならば全く不要な心配だ」

 そしてメッサイアは唐突に云った。

「さあ、そろそろ帰るか」

「帰るとは」  

「わたしは海外に居ると最初に云わなかったか」

「聴いておりません。そうなのですか」

 メッサイア・サレレント・キュバリスは師匠の師匠なだけのことはあった。

「わたしの本体は海外を放浪中だ。お前たちが呼ぶから仕方なく来た。これ以上は長居出来ない」

 師匠の師匠も一緒に来てくれるものだとばかり想っていた。

「本当に行ってしまうのですか」

「それならば、その前に鋼鉄の回廊の入り口を教えて下さい」

 慌てて俺たちは追いすがった。最初からそれが知りたくて師匠の師匠を探そうとしていたのだ。それが分からないことにはどうにもならない。

「待って、メッサイアさん」

 シーナの声でようやくメッサイアは脚をとめた。面倒くさそうにメッサイアは長い魔法杖を空に向けた。

「マキシムの箒の軌道の痕を追えばよいだろうに。高速度で、曲がる時も減速せずに折れているのがそれだ。なに、そんなことは出来ないと。魔法の修練をお前たちは怠っているのか」

「今どきそんな魔法は必修科目ではありません」

「仕方のない子どもたちだ」

 長い魔法杖の先を使ってメッサイアはすらすらと地面に絵を描いた。何の絵なのかさっぱり分からない。ブラシウスだけが読み解けた。

「港の近くだ。鋼鉄の回廊の入口は、翼ある魔人像の手にした盾の中だ」

「それで合っていますか、メッサイアさん」

 振り返ると、師匠の師匠メッサイア・サレレント・キュバリスの姿は来た時と同じように忽然とかき消えていた。師匠の師匠らしい自己完結ぶりだった。


 

 メッサイアが海外の本体の許に帰ってしまった後、俺はブラシウスに頼んだ。

「師匠は俺が追う。ブラシウスはシェラ・マドレ卿の馬車を探し出して、屋敷の火事と、ハンスエリが黒金くろがねの魔法使いに攫われたことをアロイスに伝えて欲しい」

 シェラ・マドレ卿は夜景の素晴らしい処があると云っていたし、今晩は隠れ家的な料理の美味い宿にミュラー親子を招待するとも云っていた。今頃はその夜景に向かっているはずだ。俺の依頼に対してブラシウスは拒否の姿勢をみせた。俺はもう一度云った。

「アロイスを連れて後から来てくれ」

 ブラシウスは眼の動きでアルフォンシーナの存在を俺に示した。そんなお遣いはシーナに頼めというのだ。しかし俺はブラシウスに重ねて頼んだ。

「シーナは魔都に行ったことがない。不案内なシーナより、シェラ・マドレ卿の馬車を探す役目は土地勘のある君の方が適任だ」

 シェラ・マドレ卿のことだから、一口に観光といっても、探すのにも苦労するような穴場に行っている気がするから余計。

「わたしはここで待っているわ」

 シーナはシーナで、家に帰ることを拒んだ。

「ベルナルディやルクレツィアが目覚めた時に傍にいた方がいいし、誰か一人は連絡係に残っていたほうがいいわ」

 折衷案でそういうことになった。


「じゃあ、後から追い付くよ」

 魔都観光中の一行を探しに行くことをしぶしぶ承知したブラシウスは箒に跨った。

「アロイスは来るかな」

「きっと来る」

 人間の父親ヘルマン・ミュラー医師との情愛が確かなように、母ルクレツィアさんと異父弟ハンスエリに対して、アロイスは特別な感情を持っている。ハンスエリが攫われたと知ったらきっと来てくれるはずだ。そして俺はそんなアロイスのことが少し羨ましい。

 棄子は記憶を抜かれて棄てられる。俺やシーナが、実の母親と巡り合えることなど、万に一つの可能性もないからだ。

 俺を生んだ人はどんな魔女だったのだろう。父親は。

 両親のいる人間の友だちを見るたびにそう想ってきた。そのたびに、俺はシーナの存在を想い出した。俺は独りではなかった。俺には俺と同じ棄子のシーナがいた。アルフォンシーナが俺の傍にいたから俺は寂しいなんて想わずにいられたんだ。もしシーナが家族に逢えないことに嘆き哀しむようなことでもあれば、俺は両手いっぱいに花を摘んで駈けつけて、「ほら、シーナ」とシーナが笑顔になるまで毎日花をあげようと想っていた。一度もそんなことにはならなかったけれど。

 寂しい時は、この世界の何処かに同じように寂しい想いをしている人がいる。俺にとってはそれがシーナだった。そして師匠もそうだった。師匠の胸にある埋まらない氷室。

「ねえ師匠、俺は師匠呼びなのにシーナだけはマキシムと呼ぶのは差別だよ」

「なによ。わたしの方がマキシムとの付き合いは長いのよ」

「痛っ。師匠、シーナが俺を蹴った」

「二人とも庭に掃き出すことはないじゃない、マキシム、箒で追い出すのはテオだけでいいじゃない」

 あの家で、大きな欠損を抱えた幼い俺たちと師匠は互いを支え合っていた。

 ブラシウスが箒を浮かせた。

「テオ、運河に沿って行けよ」

 俺は頷いた。飛び立つ前に、ブラシウスは庭に残っているシーナを振り返った。

「ホーエンツォレアン家が今はこのような時だから、アルフォンシーナ、何かあったら君はツォレルン家を頼ってくれ」

 雲が晴れて夕陽が少し顔を出している。

「事情を分かっているバルトロメウス兄上が君の救けになってくれるだろう。テオ、じゃあ後で」

 そう云い残してブラシウスが離陸すると、後には俺とシーナが残された。俺はシーナに話しかけた。

「メッサイアさんと何を話しこんでいたの、シーナ」

「他愛のない世間話よ」

 シーナはさらりと応えた。箒に乗った俺は出来るだけいつも通りを意識した。現地に着く頃にはもう日が落ちているだろう。

「行ってくるよ、シーナ」

 笑顔でシーナに云った。ブラシウスの云うとおりだ。俺に何かあっても、師匠に何かあっても、今のシーナには頼れるところがある。だから今は考えないようにしよう。もう戻れないかも知れないなんて。



 港街の巨人像はすぐに見つかった。太古にいた魔人を模した巨像で、守護神のように海に向かって建っている。

 翼の生えた魔人。

 人間界のゴシック大聖堂にある雨樋のガルグイユが実はそれなのだが、こちらの物は実物大でかなり大きい。

 運河を辿っていけば迷わないとブラシウスから聴いたとおりに、俺は夕暮れの街を水路に沿って海まで飛ばし、一度海に出てから、沿岸を少し戻るかたちで巨人像に辿り着いた。

 巨人像は片腕に高々と盾を掲げ持っており、地上からでは盾の表面が見えない。俺は箒で飛んで行って、盾の面を見下ろす位置につけた。

 僅かばかりの残照を地平に刷いて、魔都はすっかり夜になっている。

 巨人の盾には中央に丸鏡が埋め込んであって夜空を映していた。これだ。どうやって入るのだろう。

 うろうろしているうちに、箒の先が鏡に触れた。触れたと想うや否や鏡の中に吸い込まれていき、俺は鏡の向こうに繋がっている鋼鉄の回廊に立っていた。

 メッサイアが映像で見せてくれたとおりだった。城門くらいの大きさの丸い扉が果てしなく奥まで続いている。俺は途中まではすいすいと、半ばからは慎重に、そして最後の百枚くらいは、あまりの開閉の速さに背筋を凍らせながら通り抜けた。最後の方の数枚は、箒の先端が噛まれかけていた。

 鋼鉄の回廊を突破すると、いきなり眼の前に銀河が現れた。そこは夜だった。極光が空に揺れている。紫や緑色にたなびいている極光は夜風に揺れる遮光布のように星空を彩っていた。

 丸扉から飛び出した俺は体勢を立て直し、辿り着いた夜の平野を見渡した。見渡す限りの青白い氷原が広がっている。氷の星に来たみたいだ。そしてその白い平原に、おかしな物体が地面から生えていた。


 それは巨大な繭だった。翼ある魔人の『揺りかご』はその言葉から連想するようなものとはまるで違っていた。箒で中を自由に飛び回れるほど大きく、仰ぎ見なければならないほど巨大だった。

 繭の外側には、血管のような茨が何重にも取り巻いており、中を通り抜けて繭に近づけるようでいて、ぎりぎり通れない。大人が子ども用の玩具を通り抜けようとしても肩がつっかえてしまうように、網の檻は間隔が狭かった。

 葉っぱを落とした巨大なつぼみ。そんな外観をした『揺りかご』は、ぼんやりと光り、氷の平野におぼろな影を映し出していた。

 俺は繭を一周して様子を調べた。

 張り巡らされた根のような網に邪魔をされてよく見えないが、卵型の繭は真ん中あたりで上下に分かれている。円盤で分割された上の方には植物の蔦のようなものが降りていて、どうやらその蔦の籠の中でハンスエリは眠っているようだ。

「師匠」

 氷の平原に俺はマキシムの姿を探した。

「師匠」

 俺は師匠を見つけた。傷つき、片腕を抑えて立っている。

 すぐに俺は箒から跳び下りて師匠に駈け寄った。

 師匠はやって来た俺を一瞥した。その眼に浮かんでいるものを俺は正確に理解した。氷の風が吹く。魔法杖を握りしめ、眼の前の繭を睨んでいる師匠の顔に浮かんでいるもの。

 師匠は万策尽きていた。



》中篇

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