第2話 『まじゅつ』

「グレイシャル! 走り回ったら危ないよ!」


「だいじょうぶ! ぼく、つよ――」


 グレイシャルは転んだ。

 初めこそ我慢していたが、次第に痛みに耐えきれなくなってきた。


「うぅ……ひっぐ……」


「ほら、言わんこっちゃない。これからは僕の手、離しちゃ駄目だよ」


「わかった……おとうさん」


 嗚咽を堪えながらカールの手を握る。


「よく見たら膝を擦りむいてるね。歩けるかい? 帰りにホルムさんの所に寄って治してもらおうか」


「うん……」


 雨上がりの日。

 カールは珍しく仕事が忙しくないので、グレイシャルを連れて散歩に行っていた。



 ――――



 グレイシャルは3歳になった。


 子供の成長とは実に早いもので、昨日まで歩くこともできなかったと思えば、気がつけば自分の足で立って歩いていたりと、嬉しくも悲しいものである。


 カールはグレイシャルが生まれてからの三年間を思い返していた。


「グレイが生まれてからもう三年かぁ……。色々あったなぁ」


「いろいろ? いろいろって、なに?」


「色々は色々だよ。例えば、僕のお手伝いをしてくれてるサレナっているだろ? いつもは優しいけどあの人、怒ると本当はおっかないんだぞ?」


「うっそだー! されなさん、よくぼくにおかしくれるよ!」


「ははは! お父さんもよくお茶とかもらってるよ! 怒られないようにしろよ?」


 そんな取り留めの無い話をしていると、二人は教会に着いた。

 カールは教会のドアを開けて中に進む。


 そこそこ大きい教会なのでドアの先はすぐに聖堂、という一般的な造りでは無い。

 居住用の部屋もあったりする程度には広いのだ。


 二人は廊下を歩き聖堂へと向かう。


「リリエル、そうではない。治癒魔術に大切なのは魔力の流れと、治った後の身体をイメージする事だ」


「はい! お父さん!」


 二人が聖堂内に入るとそこには魔術を教えるホルムと教わるリリエルが居た。

 リリエルは傷付いて血を流している子犬に治癒魔術をかけていた。


 白い体毛を持つ、やけに骨格の良い子犬だった。


「やあ、ホルムさん。お取り込み中だったかい?」


「カールか。いや、構わないよ。見ての通り治癒魔術をリリエルに教えていただけだ。それでなにか用かね? お祈りなら空いている席でするといい」


 ホルムは空いている席を手で示す。


「いやいや、今日はお祈りに来た訳じゃなくってね。グレイ、足をホルムおじいちゃんに見せてご覧」


 グレイシャルはホルムに擦りむいた膝を見せる。


「ふうむ。これは痛かっただろう。歩くのも辛かったはずだ。よく我慢したね。カール、君はこんな年端も行かぬ子に気を使う事もできんのか?」


「えぇ!? 僕はグレイが歩けるって言ったから大丈夫だと思ってたけど、もしかして大変なことになってる!?」


「いや、至って普通の擦り傷だ。特に問題はない。これくらいならすぐに治せる。が、私は気が利かない父親に落胆したよ」


「驚かせないでくれよ!」


 冗談だとも、と言ってホルムはグレイの膝に右手をかざした。


「テレアスの名の元に、この者に癒やしを」


 ホルムがそう言うと、グレイシャルの傷付いた膝を淡い光が包み込む。

 次第に血は止まり傷口は洗い流され、裂けた皮膚は元通りになった。


「これで大丈夫の筈だ。まだ痛むかい?」


「ううん。だいじょうぶ! ありがとうホルムおじいちゃん!」


「次からは転ばない様にもっと気をつけるんだぞ?」


「うん!」


 そう言うとグレイシャルは元気よく教会の中を走り回りに行った。


「こら、グレイ! あんまり騒いで物を壊したりするなよ!」


 カールが声を上げる頃にはグレイシャルの姿は見えなくなっている。


「相変わらず元気な子だね。さすがはの子だ」


「こっちは大変だよ。疲れ知らずな肉体に、負けん気の強い性格。まったく誰に似たのやら」


「まあ、十中八九君たち夫婦だろうね」


 そう言って二人は笑いあった。


「ところで、リリエルは何歳になったんだい?」


「捨てられていたので推定になるが6歳になる。グレイとは3歳差だ」


「6歳で治癒魔術を? 随分と優秀なんだね」


「そうでもあるが、そうでもない。彼女には治癒魔術以外は教えていないからね」


 何故、とカールは思った。


 通常魔術というものは『火・水・風・土・雷』の基礎属性魔術を初めに覚える。

 その次に属性同士をかけ合わせて複合属性魔術を習得し、攻撃の仕方を覚える。

 もし治癒魔術を覚えるとしても、攻撃ができるようになった後だ。


 だからこそ聞かざるを得なかった。


「それだと魔物に襲われた時はどうするんだ? テレアス教の聖職者なら他の街に行ったりする機会もあるだろう。癒やす事が出来ても、敵を倒せないんじゃ意味が無いんじゃないかい?」


「冒険者や騎士団に所属している者ならばそれでも良い。だがね。私はリリエルを、私の管轄である伝道会で一生面倒を見るつもりだ。異端審問官にさせたり、粛清会などといった野蛮な所には入れるつもりは無い。まあ、君と同じ親バカというやつだ」


「そういうことねえ。気持はよく分かる。でも、僕はグレイにそのうち剣術を教えるよ? 守られるだけじゃ、大切なものを失っちゃうかもしれないからね」


「ふん。勝手にするといい。だが、くれぐれもリリエルに剣を持たせようなどとは考えないでくれよ?」


「わかってるよ。第一、剣を持つ女の子なんて青薔薇騎士団でしか見たこと無いよ」


 暫く二人の間で沈黙が流れた。

 その間にカールは長椅子に座って目をつむり、戦神テレアスに祈りを捧げる。


 元々カールはテレアス教徒ではなかったが、三年前のアリスの出産を境に戦神テレアスを信じるようになり、テレアス教に入信した。


 そして領主なのを良い事に、テレアス教関連の税を下げたのだ。


 普通の街なら「どうしてテレアス教だけ贔屓ひいきされるんだ!」と暴動が起きるかもしれないが、幸いにもバーレルの街の住人はほとんど全員がテレアス教徒だったのだ。 


 5分ほど祈っていただろうか。

 気がつけば聖堂の中に子犬の声が響いている。


「あはは! くすぐったいって!」


 カールが席を立ち後ろを振り向くとそこには何と、僅か6歳の女の子が治癒魔術を習得していたのだ。

ホルムは自分の娘の成長と才能を褒めた。


「よくやったリリエル。お前は今、消えゆく命を助けた。それはとても尊いことだ。見てみなさい、この子犬も喜んでいる」


 子犬はとても激しく尻尾を振っている。

 カールは二人と一匹の方に近づいて話しかけた。


「すごいねリリエル。まさか本当に習得してしまうとは。良かったら名前でも付けて飼ってあげてはどうかな?」


「えぇ、でも……」


 そう言ってリリエルはホルムの方を見た。

 ホルムは微笑みながら言う。


「飼いたいのだろう? 別に構わないよ。命の尊さを学ぶのは、聖職者としても大切な事だからね」


「やったー! お父さんだーいすき!」


 一人はホルムに抱きつき、一匹もホルムに飛びついた。

 ホルムは一人と一匹を愛おしそうに撫でながら言う。


「ふふ、いい子達だ。リリエル、その子をグレイに見せてあげてはどうだい? 名前も一緒に考えるといい」


「分かった! 行ってくるね、お父さん! 君も行こう!」


 リリエルと子犬は元気に走り出し、教会の何処かに居るグレイシャルを探しに行った。


「うちの子も一緒に決めちゃっていいのかい?」


「構わんよ。リリエルは普段教会で勉強しているせいか、私以外とはあまり話す機会も無いからね。たまには同年代の子と話すことも大切だ」



 ――――



 リリエルは教会の中を探し回った。

 子犬も彼女の後ろを着いて行く。


 しかし、どこを探してもグレイシャルは居ない。

 彼が何処に居るか悩み、考えたリリエルは建物の中だけで無く、建物の外の庭も探してみることにする。


 すると彼はすぐに見つかった。

 グレイシャルは花壇の前で座っていたのだ。


「やっと見つけた。グレイ、何してるの?」


「きれいなもの、みてたの! これ。このしろいおなは、なんていうの?」


 どれどれ、とリリエルは花壇を覗き込む。


「あー。これね。百合ゆりの花よ! お父さんが植えたって言ってたわ。なんか思い入れがあるとかどうとか。グレイもこの花好き?」


「うん! とってもしろくて いいにおいがする! ぼく、これすき!」


「私もこれ好きよ。お父さんとよく一緒に手入れしているの」


 二人はしばらく花を眺めていたが、しばらくしてリリエルがグレイシャルに話しかける。


「ねえグレイ。この子、私が治したのよ! お父さんに教わった治癒魔術で!」


 グレイシャルは子犬を見て目を輝かせていた。


「まじゅつ? りりえるがわんわんなおしたの!? すごいね!」


「ふふ、すごいでしょ! それでね、お父さんが『この子にグレイと一緒に名前を付けてあげなさい』って! だから、今から一緒に考えよ!」


「うん!」


 そうして二人の初めての共同作業は唐突に幕を開ける。

 リリエルはどんな名前が良いか聞くが、グレイシャルはまだ幼く、あまり良い案は出て来ない。


 ちなみに、二人が考えている間も子犬は尻尾を振りながら二人にくっついていた。


「もっと他には良い名前ないの?」


「うーん、じゃあ、ぼくがすきなもの!」


「何かしら?」


「りりえる! りりえるってなまえ、どう?」


 一瞬、リリエルは賛同しかけたがすぐに正気に戻って言った。


「ちょっと! それ私の名前よ! 駄目! 呼ぶ時に困るわ! 他に居ないの好きな人! お父さんとお母さん以外ね!」


 グレイシャルは彼女の反応を受けて困ってしまう。

 しかし、彼は幼いながらも頭を使いリリエルが納得する答えを導き出す。


「じゃあされな! ぼくのいえのおてつだいさん! されなさん! だめ?」


「それだとグレイのお家に行った時にサレナさんが困るでしょ! だから、そうねえ……」


 リリエルは考える。

 グレイシャルよりも少しだけ年上の頭をフルに使って、捻りに捻った。

 そしてついに思いついたのだ。


「……! 思いついたわグレイ! サリーよ!サレナじゃなくて『サリー』よ!」


 グレイシャルは再び目を輝かせてリリエルを見つめる。


「すごいよりりえる! そうだね! そうしようよ! さりー、いいこ!」


「わおーん!」


 サリーは嬉しそうに吠えながら尻尾を激しく振り、グレイシャルとリリエルを交互に舐めていた。

 どうやら『サリー』と言う名前が気に入った様だ。




 ――――



「それじゃあ僕達は帰るとするよ。今日はありがとう、ホルムさん、リリエル。それからえーと……」


「サリーよ!」


「ははは、ごめんねリリエル。それからサリー。また今度ね」


 そう言って二人は教会を後にして自分たちの家である屋敷へと帰って行った。


 その夜のこと。

 グレイシャルは傷付いた子犬や自分がどうやって治ったのか気になった。

 幸いにもリリエルが言っていた『まじゅつ』をアリスが使える事を知っていたので、アリスに聞いてみる事にしたのだった。

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