第11話 初仕事に波乱はつきものだ

「本当に念動力だな」


 山の中の、開けたスペース。

 降るような蝉の大合唱が、暑さを掻き立てるかのように頭に響く。

 木陰に流れ込むそよ風も、どろりとした湿気を孕んで、あまり涼しくはない。

 気の陰から英司の後ろ姿を見守る牙人と栞の視線の先では、石が宙に浮かぶという、まさに超常現象が起きていた。

 特に今更驚くことでもないが、やはり珍しいものには違いない。

 浮いた石は、小さく揺れながら地上から一メートルほどの高さにとどまっている。

 しばらく見ていると、英司がぷるぷると震え、肩で息をし始めた。なんだか辛そうだ。重いものを無理して持ち上げているかのような……。

 かと思うと、唐突に石が落下し、英司は膝に手をついてうなだれた。

 ぜえはあと息を切らしつつ、「だめかー!」と声を上げている。

 もしかすると、感覚的にはまさに重いものを持ち上げていたのかもしれない。

 手で触れていないというだけで、ものを動かすにはエネルギーがいる。そんな法則を、高校物理でやった気がする。


 ともかく、ここが彼の訓練場というわけだ。

 確かに、人目もなくて適度に広く、突然発現した異能力を試すには絶好の場所と言える。

「……確かに強力ではないみたいだな」

「そうだなー」

 正直に言って、あまり使える異能力とは思えない。

 まあ、だからこそ特訓をしているのだろうが……。


 英司はすぐに顔を上げると、また同じことをし始めた。

 再度ふよふよと石が浮くが、やはり十数秒も経たないうちに重力に従い落ちてしまう。

 どうやらそれだけで相当体力を使うようで、とても息が切れている。

「とりあえず、怪しいこととかしてなくてよかったな」

「うん。異能力を悪用でもしていたら、あの黒服たちみたいに拘置所送りにしなければならなかったところだ」

「うわー、怖いなー」

 ちなみに、あの後すぐに黒服たちは“局”の回収班に捕らえられ、今は特殊な拘置所にいるという。

 自分も一歩間違えれば今頃同じ場所だっただろうか。

 牢屋の隅に転がる自分の姿を想像して、乾いた笑みが漏れる。


 ……しかし、過去の所業を考えれば、牙人は本来捕まっていてもおかしくない。

「……」

「狼谷?」

「ん?」

「なんだか難しい顔をしていたけど、何かあったのか?」

「あー……冷静に考えてみると、俺たち立派なストーカーだよなと思って」

「……仕事だからセーフだ、セーフ」

 腹のあたりに生じた重たい不快感を振り払うように、少しおどけてみせる。

 今更、何を後悔なんてしているのだろう。もう、何もかも終わってしまったことだというのに……。


「そういうもんか」

「そういうもんだ」

 とにかく、今は目の前の仕事に集中だ。


「さて、謎も解けたことだし」

「うす」

 二人は木の後ろからいそいそと出てきて、丈の短い草原に足を踏み入れる。


「——新城英司くんだな?」

「ふわあ!?」

 栞が後ろから落ち着いた声で話しかけると、英司はわかりやすく、大きく肩を跳ねさせた。

 バラエティ番組なら満点の反応だ。残念ながら、カメラは回っていないが。

 浮かべていた石が糸が切れたように落下し、俊敏な動きでこちらを振り向く。

「えっ、僕の名前……っていうか、いつから……僕の見られ……!」

「落ち着いてくれ」

「無理です!」

「うん、気持ちはすげえわかるんだけど」

 自分の力がばれそうになった時の焦りは、それはもうよく知っている身だ。

 しかも、自分の名前まで知っているとなると、混乱するのも当然だ。


「あばばばばば」

「落ち着こうか」




「——なるほど、そういうことかぁ」

「ああ。それで、同行してもらいたいんだけど……」

「もちろん大丈夫ですよ! むしろお願いします!」

「う、うん……。テンション高いな君」

 落ち着いて話してみると、案外あっさりと同意をもらうことができた。

 なんだか拍子抜けな感じもするが、楽に仕事が終わるならこんなに嬉しいことはない。

 一方で、謎に食い気味に返事をする英司に、栞は若干たじたじだ。

 さすがは、「僕、青春を謳歌してます!」と言いたげなキラキラとした瞳をしているだけあって、元気に溢れている。


「いやあ、それにしても、この力を持ってるのって僕だけじゃなかったんですね」

「さすがになかなかいるもんじゃないらしいけどな。十万人に一人だそうだ」

 さっき栞に聞いたことをそのまま教えると、英司は「ほえ~」と感心した様子でうなずいていた。

 話してみた印象も、裏表のない明るい少年といった感じで、やはり悪いやつではなさそうだ。

「じゃあ、このまま三島の方まで来てもらってもいいかな?」

「了解です! ……あ、けどその前に、昼飯食ってもいいですかね? お腹空いちゃって……」

「構わないけど、切り替えが早すぎやしないか?」

 呆れた様子の栞に「あはは、よく言われます」と返しながら、英司は傍らに置いてあったビニール袋を漁り始めた。

 出てきたのは、おにぎりが三つと、コンソメ味のポテトチップスにスポーツドリンク、そして飴玉。

 すると、英司が怪訝そうに真っ黒な包み紙の飴玉をしげしげと眺め始めた。

「あれ、こんな飴買ったっけな……」

「自分が買ったものくらい覚えとけよ」

 おかしなことを言い出した英司に、適当にそう返す。

「うーん……まあいっか」

 英司はなんだか楽になれる不思議な言葉を唱えると、黙々とおにぎりを口に運び始めた。


 言動の節々にアホっぽさを感じるのは気のせいだろうか。

「あっ、しゃけと間違えて梅干し買ってた!」

 ……気のせいではなかったようだ。

 高校生男子らしく勢いよくおにぎりを胃袋に吸い込んでいく英司を見ながら、牙人は思わず苦笑を漏らした。

 そういえば、牙人もまだ昼飯を食べていない。コンビニでどら焼きではなく、少しでも腹の足しになるように軽食でも買っておくべきだっただろうか。

「……」

「何だ?」

 まあ、栞の可愛らしい一面も見ることができたし、そういう意味ではおいしい思いはしたと言える。

「ごちそうさまでした」

「なぜ君が言うんだ」

「ほんの気持ちだよ」

「寝言はレム睡眠のときに言ってくれ」

「食後の挨拶は大事だぞ」

「だからなんで君が言うんだ……」

 これ以上続けると、視線がこの暑さの中ではむしろありがたいくらいに冷たくなってきそうだったので、肩をすくめてごまかしておく。


 そんなやり取りをしている間に、英司のおにぎりの最後の一個はすでに腹の中へ消えた後で、今まさに先程の黒い飴玉を口に放り込むところだった。

 袋の中身まで黒かった。のど飴か何かだろうか。

「んー、なんか変な味だな……。あ、お待たせしました!」


 ——と、異変が起きたのはそのときだった。


「……かはっ!?」

「どうした?」

「ぐっ……ぐぁああああっっ!」

「お、おい!」

 突然胸のあたりを押さえて苦しみだす英司。

 明らかに様子がおかしい。

 荒い呼吸を吐きながら、ふらふらとその場に崩れ落ちてしまう。

 目は血走り、額には大量の汗がうかんでいた。

「のどに何かが詰まった……ってわけでもなさそうだな!」

「……っ! まさか!」

「寺崎?」

 栞は目を見開くと、焦った様子でビニール袋の中に放り込まれていた黒い飴玉の包み紙を取る。素早く目を走らせると、くしゃりと握り潰した。

「やはりか……!」

「何がやはりなんだ? 俺にもわかるように言ってくれ」

「この飴玉、異能力暴走剤だ! なんでこんなところにあるのかはわからないが……」

「と、いうことは?」

「がぁあっ!?」

 問いかけた牙人の目の前で、地面に深く根差した立派な樹木が、見えざる力によってググッと動き始める。

 ミシミシと木の繊維の千切れる音がして、青い葉が紙吹雪のように舞う。

 いつの間にか蝉は鳴きやみ、鳥たちの混乱の声が耳に痛いほど聞こえる。


 文字通り樹木は、そのまま宙に浮かぶと。


「——彼の異能力は、限界を超えた暴走状態だ!」


 さながら巨大な棍棒のように、頭上から降りおろされた——!

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