第9話 十万分の一

 ひときわ大きな振動で、つり革が跳ねた。


「こういう仕事ってよくあるのか?」


 車窓には田んぼが流れ、青々と茂った稲が日の光を受けて輝いている。

 澄んだ空の真ん中で燦々と自己主張の激しい太陽の熱も、効きすぎなくらいの冷房に阻まれて感じない。

 車両の中には、平日の昼前ということもあってかあまり人影はない。

 牙人と栞の他には、向かいの席の頭の薄いおじいさんと、端の方に座ってスマホをいじる若い女性くらいだ。

 おじいさんが大きな欠伸をする。のどかな光景だ。


「いや、割と珍しいよ。そもそも能力者自体が希少なんだ」



 ——八月八日火曜日。

 先日任された野良の能力者の確保任務を遂行すべく、牙人と栞は伊豆箱根鉄道、通称いずっぱこの修善寺行きに揺られていた。

 目的地は、ターゲットとなる新城英司が在籍する高校。

 接触し、最終的には確保も実行するとのことだ。


「ま、多くいても困るんだが。どのくらいなんだ?」

「だいたい十万人に一人と言われているな」

 十万、という数が、やけに現実味なく響いた。

 思わず、まじまじと栞を見つめてしまう。

「な、何だ?」

「いや、俺は十万分の一と話してるんだと感動してた」

「真面目な顔でおかしなことを言うやつだな……。自分の方が珍しい存在だという自覚はないのか?」

「なんか照れるな」

「褒めてない」


 十万。ゼロが五つ……。

 牙人は着古したジーンズのポケットからスマホを取り出すと、画面上に指を滑らせる。

 確か、日本の人口が一億二千万とかだったか。その十万分の一は、千二百人。

 スマホの電卓アプリに表示された数列を見て、ようやくイメージをつかむ。

「思ったより多いんだな。こんだけいたらどっかでばれそうなもんだが。現に俺は寺崎のバトルシーンに遭遇したわけだし」

「そこは“局”がうまくやってるんだ」

「……また随分とご都合主義だな」

 我らが“国家特殊現象対策管理局”は、情報操作もお手の物、ということだろうか。

 なんだか喉が渇いてきた。唾を飲み込んでごまかす。

 やはり敵に回すとつくづく恐ろしい団体である。賢い選択をした数日前の自分に、心から拍手を送りたい気分だ。

「私たちが担当するのは静岡県内だけだからな。こうして野良の能力者が見つかること自体が稀なんだ。まあ、基本はあまり仕事はなくて暇なことの方が多いな」

「それでいいのか中村万事屋事務所」

「だから、普段は表向きに普通の便利屋業とかをやっているんだ。人探しとか、家事代行とか」

「意外とちゃんとやってんだな」

「当然だ」

「そりゃ、漫画みたいにいつでも事件が起きるわけじゃないってことか」

 独り言のようにそう呟いて、訓練された兵士のように規則正しく同じ動きをするつり革が並ぶ天井を仰ぐ。


 窓の外の景色がゆっくりになって、電車は間もなく韮山駅に到着した。

 世界遺産の韮山反射炉がある、この辺りの地域ではそこそこ有名な場所である。

 乗り降りはなかったようで、入り込んできたむわっとした熱気が肌に触れたあたりで、すぐに扉が閉まる。

 空気の抜けるような音がして、列車はまた動き出した。

 慣性の法則を身をもって感じた後、高い建物のない見晴らしのよい風景の流れが加速していく。


「……君は、普段何をしているんだ?」

 電車の振動音だけが一定間隔で聞こえる沈黙を破り、栞がぽつりと訊く。

「寺崎みたいな美人さんに興味を持ってもらえて光栄だなー」

「そ、そういう意味じゃないぞ」

「はいはい、特に怪しいことはしてないよ」

「わかっているなら変なことを言うな、まったく……」

 不満げに睨まれるが、その上目遣いや少し茜の差した頬に、思わず口がにやけそうになる。

 クールに見えて、意外と褒められ慣れていないのかもしれない。

 栞は、髪先を指でくるくると弄びながら、目で続きを促してきた。

「普段は主にファミレスでバイトだな。時々他のバイトもしたりするけど」

「フリーターというやつか」


 そういえば、有悟によると、意外にもアルバイトは続けていいそうだ。

 てっきり公務員のような扱いだと思っていたのだが、「国の管理下にある民間企業」に近い扱いなんだとか。

 一年近く働いてそれなりに愛着もあるので、辞めなくていいのはありがたい。

「大学には行っていないのか?」

「いろいろあってな。高卒だよ」

「いろいろ、ね」

 栞が探るような目をするのに気づかないふりをして、牙人は話題を逸らす。

「その言い方だと、寺崎は大学生か」

「あ、うん。……現役女子大生だよ」

 いえい、と言って、ピースにした手が目元に当てられる。

「……」

「……」

 沈黙が続き、赤い絵の具が滲むみたいに頬が染まっていく。

 心配になるほど赤くなった顔を逸らし、それを隠すように片手が顔全体を覆った。

「……忘れてくれ」

「無理だな」

「私に可愛いものが似合わないことはわかっているんだ……」

「いや、そんなことはないぞ」

「慰めはいい」

 本当にそんなことないと思うのだが。

 これ以上言っても逆効果な気がしたので、おとなしく黙っておく。

 ——この顔は、しばらく覚えておこうと思った。


「……で、現役女子大生は楽しいか?」

「おい、ちょっと面白がっていないか!?」




 終点の修善寺駅で降りて、歩くこと十分弱。

 目的地の高校の前まで来たが、校舎が見えない。

 目が悪いわけではなく、校門に高校名は書いてあるのだが、校舎はどうやら山の上にあるようで、ここから視界に収めることはできない。

 少しでも見えないかと見上げてみるが、目が眩むだけなので視線を下に戻す。

 ひとまず手近な日陰に避難。吹き抜ける風が気持ちいい。

 ここまで歩いただけで、かなり汗をかいた。日本の夏は暑い。


「“局”の権力で中に入れたりしないのか?」

「できないこともないが……さすがに怪しまれるな」

「だよなぁ……」

 仮にも秘密の組織のようだし、過度に権力を振りかざすのもまずいのだろう。

 額に浮かんでいた汗を腕で雑に拭って、少しでも不快感を減らそうとする。

「てか、今更だけど今って夏休みじゃないのか? 学校開いてんの?」

「新城の部活は今日も活動があるらしい」

「なるほど……若さって恐ろしいな」

「もうすぐ終わるはずだから、待っていよう」

「それはそれで怪しい気がするんだが」

「……もちろん、周辺でという意味だ」

「今の間は何だ」

 何のことかわからないというように、目を逸らされた。


 とりあえず、情報にあった通学路の途中にあるパチンコ屋の駐車場で、英司を待つことにした。

 昼間から玉を打ちに来る人間も少なくないようで、十数台の車が停まっている。

 パチンコは昔職場の先輩につられて数回やったことがあるが、牙人にはいまいち楽しさがわからず、むしろ金を溶かすだけで普通のゲームをしていた方がましだと感じて、自分から行くようになることはなかった。

 しかし、多くの人が魅了されていることもまた事実。よくわからないが。

 日陰を見つけて、体を少しでも涼しい空間に持っていこうと足を動かす。

 自己主張の激しい日光が隠れて、周囲の熱が少しだけましになる。

 気休め程度に冷えた頭は、今度は暇つぶしの話題を探して回る。

「そういえば、ちょっと疑問だったんだが」

「何だ?」

「初めて会った時、なんで路地裏で戦ってたんだ? しかも一人で」

「ああ……あれか」

「あれだ。ついでに言うと、あいつら何だったんだ?」

「彼らは、最近勢力を拡大している非合法の能力者集団の構成員だ。あの時は、私を拉致しようとしていたらしいな」

「ふーん、力を手に入れたら、当然非行に走る輩もいるってことか」

「ああいうのを取り締まるのも、“局”の仕事だよ」


 やはりなかなか物騒な仕事のようだ。

 悪の組織の怪人だった牙人が言えたことではないが。

「家に帰る途中で路地裏に誘い込まれてな。異能力の相性も悪かったものだから、一方的に」

「相性?」

「私の“黒影”は光に弱いんだ。光が当たると、弱体化する。あの光の球を投げてくるやつとは最悪の相性だったな」

 炎のやつも光を発するし、と付け足して、栞は苦笑した。

「それ、一応監視対象な俺に言っちゃっていいのか?」

「あ。……問題ない」

「ほんとに?」

「ほんとに。……たぶん、根は悪い人じゃないだろう?」

 拗ねた調子で髪先を指でいじりながら見つめてくる栞に、牙人はばつが悪くなって視線を逸らした。


 そんなことを話していると、道にぱらぱらと高校生たちが増えてきた。

「部活が終わったみたいだな」

 栞が呟いて、真面目な顔になる。

 二人の意識は、油断なく高校生の集団に向けられた。

「あ、あれじゃないか?」

 声を上げた栞の視線の先をたどると、確かに写真と同じ顔を視界に捉える。

 ターゲットの英司だ。

 ……しかし、ここで一つ問題が。


「陽キャは友達に恵まれてるなぁ」

「……」

 周囲に人が多すぎて、とても声をかけられない。

 どうやら、一人になるまで待つ必要がありそうだ……。

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